
石原良純、父・慎太郎さんに似た“不機嫌そうな”仏像を発見「お寺をめぐると見つかる」
本日8月4日(火)、親戚コンビの石原良純と小泉孝太郎がMCを務め、日本のさまざまな名所を訪ねてその素晴らしさを探求して学ぶ『日本探求アカデミックバラエティ 火曜の良純孝太郎』が放送される。
今回のテーマは、東京・芝大門にある徳川家の菩提寺“増上寺”。
東京タワーが背後にそびえ立つ都内屈指の“映えスポット”であり、節分や芸能人の葬儀などでも度々目にする名刹だが、江戸時代には超広大な敷地を誇っており、今なお歴史的に貴重なものが数え切れないほど残されている。
今回は、そんな増上寺の知られざる秘密を探るべく、MC2人が大冒険。境内のさまざまな非公開エリアへ特別潜入する。
◆増上寺の痕跡を追う!
2人の旅は、“大門”付近からスタート。
普段から車でこの一帯をよく通るものの、ゆっくり歩くことはあまりないという孝太郎。かねてより増上寺には「徳川家と縁があるのかな」というイメージを抱いていたと話すと、良純も「増上寺をめぐればいろいろなものが見えてくるんじゃないかな!」とワクワクしながら冒険に乗りだす。
現在の増上寺は“三解脱門(さんげだつもん)”が表の顔となっているが、元々の入り口は、地名にもなっている“大門”。つまり江戸時代は、大門から先がすべて増上寺の境内であり、現在の東京プリンスホテルや芝公園を含む広さで、総敷地面積は約25万坪、東京ドーム約17 個分だったとのこと。
近隣のビルの屋上にのぼり、かつての敷地を見渡した2人は、増上寺と東京タワー、公園の緑が重なる絶景に感激。
孝太郎は「この“画”がいいですね。増上寺と公園の緑があって…」、良純も「増上寺の絵はがきみたいだ!」と感嘆の声を上げる。
また、江戸時代の浮世絵を見た2人は、大門から三解脱門までの距離が煩悩の数と同じ“108間”だったことを知って驚く。
さらに江戸時代、埋め立てが進むまでは海が近かったため、町民たちは三解脱門に上って眼下に広がる海岸線を楽しんでいたこともわかり、2人は江戸庶民の暮らしに思いを馳せる。
続いて増上寺の敷地内に入った2人は、“鐘楼堂”へ。ここに収められている“大梵鐘(だいぼんしょう)”は1673年に造られたもので、重さ約15トン、東日本最大級の鐘。
2人は普段は入ることのできない鐘楼堂の内部を見学し、その巨大さを体感。大梵鐘は今も朝夕に鳴らされ、近隣に時を知らせているが、かつては鐘の音が海を越えて“ある場所”まで鳴り響いていたという逸話が伝えられており、壮大なスケール感に良純&孝太郎も驚かされる。
本堂の“内陣”では、室町時代の作とされる本尊・阿弥陀如来を間近で参拝。
やさしい表情の本尊を見た良純は「お寺をめぐると自分の好きな顔(の仏像)が見つかる」と話し、あるとき父・慎太郎さんに似た“不機嫌そうな”仏像を発見したというエピソードを告白する。その仏像とはいったい?
このほか“安国殿”では、家康が勝運を祈ったとされる秘仏“黒本尊”の由来にも迫る。
◆徳川将軍家墓所にMC2人も驚き!
増上寺の歴史を語るうえで欠かせない、徳川将軍家墓所も訪れる。
文化財に指定され、普段ほとんど開くことのない“鋳抜門(いぬきもん)”から、特別に中へ入れてもらった2人。一礼して門をくぐった孝太郎は目の前に広がる厳かな空間に「全然違う世界に来ましたね…」と息をのむ。
この御霊廟には、もともと増上寺の広大な敷地内に点在していた歴代将軍の墓が集められ、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と、その側室たちが祀られている。
しかし、なぜ徳川将軍家の墓所は、増上寺に6名、寛永寺に6名と分かれているのか。そして、なぜ15代慶喜だけが谷中霊園に眠るのか――。今回、徳川将軍家の墓所をめぐる歴史の謎が明らかに。
さらに、“増上寺はなぜ徳川将軍家の菩提寺となったのか!?”、“もともと麹町付近にあった増上寺が現在の芝の地へ移された理由とは何なのか!?”というミステリーにも迫り、“江戸城の裏鬼門を守るため”という広く知られた説とは異なる、意外な理由が浮かび上がることに。
大冒険の最後は、現在改修工事中の国指定重要文化財・三解脱門に特別潜入。テレビ番組の取材でタレントが内部に入るのは今回が初めてのこと。
歴史的建造物を未来へ残すための、地道で緻密な修復作業を目の当たりにした2人はひたすら感服する。
※番組情報:『日本探求アカデミックバラエティ 火曜の良純孝太郎』
2026年8月4日(火)よる8:10~9:00、テレビ朝日系24局(※一部地域を除く)
※『火曜の良純孝太郎』は、TVerにて無料配信!(期間限定)
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