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著書がベストセラー、蛭子能収の人生哲学とは?謹慎中も周囲が呆れる仰天行動

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

©BS朝日

2月3日(土)に放送される同番組には、漫画家・蛭子能収が登場する。

いじめられっ子だったという少年時代、漫画家を目指すことになった意外な経緯、年収1億円超の売れっ子タレント生活から賭博麻雀で逮捕され謹慎生活になるまでを赤裸々に語る。

また、先妻の死と59歳での再婚、そして「葬式に出るとなぜか笑ってしまう」「目標は死なないこと」など、数々の蛭子伝説の真相とその語録を編集者・石原正康が徹底検証していく。

 

◆映画監督を目指し上京するも断念。なぜ漫画家に?

蛭子は1947年に熊本県天草市で生まれ、その後23歳まで長崎県長崎市で育った。

周囲の空気が読めなかったのは子供の頃から。そのためか、中学に入ると不良たちから毎日いじめにあっていたそうだ。

高校卒業後、一度は地元の看板店に就職するも、夢を抱き1970年に上京。当時は映画監督を目指していたという。しかし、ある理由から断念し漫画家を目指すことになる。

そんな定職につかず先の見えない青年時代の蛭子を支えたのが、妻・貴美子さんだ。東京と長崎の文通から始まった恋は、その後、貴美子さんが上京して妊娠・結婚。

後に念願の漫画家となった蛭子だが、原稿料は安く生活は苦しかった。そんななかでも大好きなギャンブルを止めることはなく、あるとき、ひらめいた必勝法を実行するため借金を試みることに。結果次第では貴美子さんにまで被害が及ぶ可能性があったという。

◆天然キャラでブレイク! 年収1億円を超える人気タレントに

そして、処女作『パチンコ』が伝説の漫画誌『ガロ』に掲載されデビューしたのは1973年。メジャーな漫画とは全く違う、ヘタウマな画と不条理で暴力的でシュールな作風が一部の若者たちから熱狂的な支持を集めた。

さらに、カルト的な人気はあったものの世間的に全く無名だった蛭子に転機が訪れたのは80年代。劇団「東京乾電池」のポスターを描いたことがきっかけで舞台に出演。テレビからも声がかかり、『笑っていいとも!』『スーパーJOCKY』といった人気番組にレギュラー出演するように。独特のイントネーションと天然キャラでブレイクし、「蛭子さん」の愛称で一躍人気者になる。

それまでの貧乏生活から一転、年収1億円を超える人気タレントになったが、好事魔多し。麻雀賭博で逮捕され、謹慎生活に。ところが、蛭子は周囲が呆れる仰天行動に出る。その行動とは?

◆正直すぎる言動でヒンシュク。蛭子流の人生哲学とは?

その後、キャラクターが生きたのが2007年から始まった旅番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』だ。旅の相棒であるしっかり者の太川陽介とは対照的な正直すぎる発言と自由奔放な振る舞いがウケ、10年続く人気シリーズに。

しかし、正直すぎる言動でヒンシュクを買うこともしばしば。撮影協力してくれた店主を激怒させてしまったこともあるそうだ。それでも一向に気にする様子も見せないのは、蛭子なりの考えがあるからだとか。

その言動と独自の考えは注目を集め、2014年に出した著書『ひとりぼっちを笑うな』はベストセラーとなった。はたして、蛭子流の人生哲学とは?

◆蛭子能収は、近年の再ブレイクをどう思っているのか?

一昨年には初の主演映画が作られ、その後も出版が相次ぐなど「蛭子ブーム」といっても過言ではないほど華々しい活躍を見せている蛭子能収。

生き残りが厳しい芸能界で、気が付けば30年以上のキャリア。蛭子が多くの人に愛され、支持される理由とは? そして、近年の再ブレイクを自身はどう思っているのか?

ボートレースをこよなく愛する蛭子のため、東京・江戸川区にあるボートレース江戸川の舟券売り場にて行われたインタビュー。自由気ままにものを言い、世間に忖度をしない生き方に爆笑、仰天、そして呆れる1時間になりそうだ。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2018年2月3日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日