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いしだ壱成、人気絶頂の23歳で発症したうつ病。さらに…逮捕、謹慎、二股騒動、事務所解雇…「もう終わったと思いました」

1990年代、『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)、『未成年』(TBS系)をはじめ、多くの人気ドラマに出演し、注目を集めたいしだ壱成さん。

細身のからだに女性的なファッションを身に着ける“フェミ男”ブームを巻き起こし、着用した洋服は売り切れが続出。

歌手デビューも果たし、映画『アートフル・ドヂャース』(保田卓夫監督)、舞台『毛皮のマリー』など立て続けに出演。若手トップ俳優となった壱成さんだったが、体調に異変が…。

 

◆23歳のときにうつ病を発症

1992年に俳優デビューしてから次々と話題作に出演し、傍からは順風満帆に見えた壱成さんだったが、1997年頃から体調に異変が生じはじめていたという。

「ファッション雑誌に出たり、ブームになっていたあたりで僕は精神的に病みはじめていました。後になってうつ病だとわかるんですけど」

-その頃はまだ今ほどうつ病のことが知られていなかったのでは?-

「そうなんですよ。心療内科もあまりなくて。何もわからなくて、自分では『どうしたんだろう?』って。全然人とコミュニケーションが取れないし、取りたくない。一挙手一投足にも障害が生じるんですよ。ご飯の食べ方もわからないみたいな感じになってしまって、『お箸ってどうやって持つんだっけ?』という感じでした。

うつの症状って、今では色々解明されていると思いますが、僕の場合は『大うつ病性障害』なんですけど、当時はそういう言葉もなかったので。

一番首をかしげていたのは父で、『どうしたんだ?お前』って。会話にならないし、僕がずっとこもっているので『どうした?何かあった?』って心配して霊視に連れて行かれたりしたんですけど原因がわからなくて。父の知り合いのクリニックに行って薬を処方してもらってもあまり効かなくて。そんな状態でも仕事を続けていましたけど」

-仕事は予定通りこなしていたわけですか-

「はい。どういう状況でもセリフは入るんだなって思いました。そうして何とかやっていくなかでいったん持ち直したんですけどね。最初の症状は、自分の世間的な評価の大きさに耐えられなくなって出たという感じでしたね」

-デビューしてからすごい勢いで次々と大きな仕事が決まっていましたからね-

「はい。何もわからないまま世界が変わって、完全にキャパオーバーしてしまいました。もともとは、魚をモリで突いて取っていたような、ただの島の少年だったわけですから(笑)」

 

◆大麻取締法違反で逮捕

2001年8月、壱成さんは大麻取締法違反の現行犯で逮捕され、人生が一変することに。

「本当に自分の不徳のいたすところというか、脇が甘かったというか…。自分がしたことで全面的に自分が悪いので、何も弁解はできないし、今でも反省していますとしか言えないんですけど」

-実際はどういうことだったのですか?-

「やっぱりいろんな人がいるんだなあと思いましたね。毎日主演舞台で昼夜長い公演だったので、渡されたから持っておこうって。持っているだけでダメですから受け取らなきゃ良かったんですけど。使うつもりはなかったし、一度も使っていなかったので、何で捨てなかったんだろうって思いますけど、忙しかったのと、正直なところ持っていることを半ば忘れかけていたんですよね」

-それが、家宅捜索のときに発見されたわけですか-

「そうです。そこでいっぺんに人生が変わったというか。いろんなことがいっぺんに崩れてきました。自分が悪いんですけど」

-執行猶予がつきましたが、その間は謹慎ということですか-

「そうです。1年半くらい何もしないという時期があって。もちろん僕が悪いんですけど、仕事のオファーはまったくなくなったし、それまでそばにいた人たちもみんな蜘蛛の子を散らすようにいなくなって…人生が一変しました。

当時は、大手の事務所に所属していたんです。デビューしたときは父の個人事務所だったんですけど、お金のことで困ったことがあって。若いときにあまりお金を持っていてもいけないということで、事務所で預かっていたはずの僕のギャラがないということがわかって父と仲違いもあったし。

父がいろいろな商売をやっていて、結局その赤字を補填(ほてん)するために僕のギャラが全部使われてしまっていたんです。ちょうど、その頃、例の『不倫は文化』報道も重なって。そのときに父が3つくらい会社をやっていて、ジャガーとか高級外車が3台、ハワイにマンション、麻布にマンション、そのほかあちこちにマンションがあったりして。

父はトレンディー俳優ということで、ものすごく忙しいときで、青山の交差点にあんな人だかりは僕は見たことがないと言うほど人だかりができましたからね(笑)。

父が僕を迎えに来たときに、本人は多分計算していたんでしょうけど、息子の前だからいいところを見せたいというのもあったみたいで、青山の交差点の信号のところで待っていてくれと言われて。

そこに毎回違う車で現れるんですよね。ベントレーとかフェラーリ、今日はベンツという感じで。そんなにすごい車で来たらみんな振り返るじゃないですか。せめて乗ったままでいればいいのに、わざと降りるんですよね。『ヨッ!』みたいな感じで(笑)。

そうすると周りにいた女性たちが『キャーッ』って言いながら寄ってきて取り囲まれるんですよ。それが一通り終わるまでずっと僕は外で待っているんです(笑)。父は『こういうのが俺たちの商売なんだよ。お前はこれぐらいになれるように頑張れ』みたいな思いだったと思うんですけど」

-「不倫は文化」のときには連日ワイドショーを賑わしていましたね-

「すごかったです。全然関係ない僕の映画の制作発表会見にも父の取材が来て、誰も映画のことは聞いてくれませんでしたからね。『お父さんの不倫はいかがですか』って(笑)。僕に聞かれてもなあって思っていましたけど」

-謹慎期間は何をされていたのですか-

「ほとんど何もしていませんでした。事件後の僕に父は寄り添ってくれましたけど、ギャラを使い込まれていたことがあったので、わだかまりはありましたね」

2003年に復帰した壱成さんは、映画、舞台、音楽活動を再開。同年、最初の結婚をして長男が誕生するが2006年に離婚することに。

 

◆二股交際女性に脅され

2008年、映画『泪壺』(瀬々敬久監督)に出演。壱成さんが演じたのは、自分に想いを寄せる朋代(小島可奈子)の気持ちに気づかず、彼女の妹・愁子(佐藤藍子)と結婚した雄介。愁子がガンで若くしてこの世を去って数年後、雄介と朋代は再会して…という展開。

「『泪壺』は大変でした。いわゆる濡れ場がメインの作品で。瀬々監督というのはロマンポルノで有名な監督さんなので、濡れ場のシーンになると丸一日なんです。台本上はさほどページ数がないので、『何でこれにスケジュールを一日取っているんだろう?』って思っていたんですけど。女優さんをかばうのが大変でしたね」

-複雑な役でしたね。姉妹がいて、姉は最初から壱成さん演じる雄介のことが好きだったのに、妹と結婚して、その妹が亡くなって-

「はい、それで姉とようやく結ばれたと思ったら悲劇が…という複雑な役でした。とにかく瀬々さんが濡れ場にすごく凝るんですよね。『そこで胸を揉みしだいて、そのあと押し倒して』って。それで、ちょっとでも動きが違うと『ちょっと違います』という感じで(笑)」

-でも、瀬々監督は女性のからだを本当にきれいに撮りますね-

「そうですね。すごくうまいですよね。すごく官能的な感じでした。撮影はもうグッタリでしたけど(笑)。汗もかきましたし、カットがかかるとどうしても女優さんのからだを隠さなきゃいけないし。そのことばかり考えていましたね。

喉が渇いていないかとか、お腹(なか)がすいてないかとか。食べるとお腹が膨らんじゃうからってあまり食べてなかったので、その辺をケアしていました」

-その後、わりとすぐに歌舞伎町にホストクラブ「愛」をオープンした愛田武さんをモデルにした漫画を映画化した『NIGHT☆KING ナイトキング』(藤原健一監督)に主演されて-

「キャラクター的にはすごく破天荒で。実話だったので楽しませてやらせてもらいました」

-個性が強そうな男性キャストが多かったので舞台裏が大変だったのでは?-

「そうですね。まとめるのはかなり大変でした」

-2009年は、そのあと『鎧 サムライゾンビ』(坂口拓監督)にも出演されて、そのまま順調にいくかと思われたのですが、二股交際が報じられて騒動に-

「はい。後から付き合った女性には『息の根を止めてあげる。全部マスコミにチクッたから』って言われました。慰謝料を払ったときには『もう全部マスコミに言ったから、さようなら』って」

-それを言われたときにはどう思いました?-

「もう終わったと思いました。事務所も解雇されましたし、何も考えられなくて。さすがにもう死のうと思いました」

-そのときにもまだうつ病だということはわかっていなかったのですか-

「はい。後から前のもうつ病だとわかるんですけど、まだそのときはわかりませんでした。うつ病の症状は出ていたんですけど。たまたまそのときに住んでいたのがタワーマンションの高層階だったので、『ここから飛び降りれば全部終わるなあ』みたいなことをずっと思っていました。毎日毎日『今日こそ、今日こそ』みたいな感じで」

-それを思いとどまらせたのは?-

「解雇されたそのすぐ後に、拾ってくれた方がいて。『これを機に演劇界に出て行こうよ』ってなって、舞台を本格的にやりはじめたんです」

 

◆中国に渡り歴史大河ドラマの撮影に

本格的に舞台の仕事に取組みはじめた壱成さんだったが、2010年、中国に渡り、中国制作の歴史大河ドラマ『恕の人~孔子伝~(原題:孔子)』に出演することに

「もともと僕がお世話になっていた音楽事務所のスタッフさんから直接連絡があって『中国に興味ある?明後日なんだけど空いている?広州(中国)に飛んで欲しいんだけど』って言われてチケットを渡されたので、総監督に会いに行ったんです。そうしたらその総監督が僕の顔を見て『OK』ってなって」

-中国語は?-

「全然しゃべれなかったです。日本、中国、台湾、香港、韓国の合作だったので、セリフのやりとりはそれぞれの国の言葉だったんですけど、中国といっても北京語とか広東語とか色々あって。

主にメインが北京語でしたけど、セリフのやり取りは全然日本語で構わないからということだったので、それだったらできるかなと。ただ、7カ月間ひとりで行っていたので、ある程度は中国語もしゃべれるようになりましたけど、過酷な現場でした。

今でもそうだと思いますけど、向こうの映画なりドラマの撮影はホテルを借り切っちゃうんですよ。そこにスタッフとかキャストも全員泊まり込みで。僕は、たまたまひとり部屋だったんですけど、そこにずっと7カ月間いました。

キャストはみなさん彼女だったり、奥さんだったり、なかには家族ごと越してくる人もいました。それで奥さんとか彼女がアシスタント、マネジャー役みたいなことをやっていて。

日本みたいに、ケータリングもなければ、楽屋とかもないので、野原だったら野原にずっとみんなで椅子を持って来て座っているんです」

-すんなり馴染めました?-

「はい。もともと海外旅行にひとりで行くのが大好きだったし、小さいときからあちこち移り住んでいたというのもあったので順応能力はかなりあったんですよね。

それと自分より年上の俳優さんばかりだったので、わりと可愛がられたというか。みんないろいろ世話をしてくれたというのもありまして。溶け込むのは早かったですね」

-その間の生活費などはどのように?-

「全部中国のエージェントがもっていました。日本の代理店を2つぐらい通して中国のエージェントだったので、通訳みたいなこともしてくれていて、お金が足りなくなれば渡してくれました。でも、お金を使うことなんてないですから。朝4時から夜12時くらいまでずっと撮影があるので」

-出番がないときはどうされていたのですか?-

「それが毎日出番があったんですよ、監督に気に入られて(笑)。それはうれしいんですけど、主人公の孔子の横にいつもいる役だったので、毎日撮影でした。

7カ月のうち、オフの日は2日か3日しかなかったです。北京から車で4時間ぐらい離れた河北省というところの山の中にいたのでとくにすることもなかったですし」

-周りがみんな中国の人だと必然的に言葉も覚えるでしょうね-

「そうですね。最終的に言っていることはだいたいわかるようになりました」

-中国で作品を撮るお話もあるとか-

「はい。その頃のブレーンとは今も仲がいいので。すぐにどうこうというわけではないですけど、やっていきたいなと。

日中合作映画を撮るときのフィルムコミッション、わかりやすく言うと撮影隊と地域社会をつなぐ調整役ですかね。そういうのを作っておいてくれとか、制作の動き、撮影隊を用意してくれとかというようなところなので、どちらかというとプロデューサーに回ることが増えてくるかと思うんですけど」

中国から帰国後、舞台に多く出演。2011年から石川県に移住し、地域の活性化に取り組みつつ、サイケデリックトランスDJとしても活動をスタート。

2022年には「いしだ壱成&哲学バーテンダーTM 宇宙ユニット」結成(愛と平和の啓蒙活動)など幅広いジャンルで活動。再びバラエティ番組、映画にも出演するようになるが、私生活ではさらに2度の結婚&離婚、金銭トラブルも。

次回後編では、2015年に河相我聞さんと再共演した『アルジャーノンに花束を』(TBS系)の撮影裏話、結婚&離婚、トルコでの植毛、石田純一さんと初の父子共演となった主演映画『散歩屋ケンちゃん』(寺井広樹監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

©2023 「散歩屋ケンちゃん」製作委員会

※映画『散歩屋ケンちゃん』
2023年7月7日(金)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
配給:たきびファクトリー
監督:寺井広樹
出演:いしだ壱成 石田純一 ビッグ錠 佐伯日菜子 友川カズキ

いしだ壱成&石田純一父子が初共演。定職に就かず、クリーニング屋、写真屋、ガチャ屋など「何でも屋」として働くケンちゃん(いしだ壱成)は、ひょんなことから「散歩屋」をはじめることに。「散歩屋」とはお年寄り、引きこもりの方など支援が必要な人やワンちゃんと一緒に歩く職業。さまざまな事情を抱えるクセのある客と出会うなかでケンちゃんは生き別れた父(石田純一)への思いを募らせることに…。

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