「この打球は懐かしい」と前田智徳氏が絶賛。覚醒した広島・堂林翔太の“打撃フォーム”
プロ野球で今シーズン、広島東洋カープの堂林翔太が驚きの活躍を見せている。
それは、広島ファンの誰もが待ち焦がれた光景だ。
打率は3割を超え、8年ぶりの二けた本塁打をマーク。今やチームにとって欠かせない存在となっている。
2012年にブレイクをはたすも、何年もの間レギュラーどころか一軍定着すらできなかった男が、プロ11年目の今年、突如として覚醒。その理由は一体なんなのか?
8月30日(日)の『GET SPORTS」では、元チームメイトで野球解説者・前田智徳の解説とともに、堂林覚醒の真実に迫った。
◆栄光と挫折の野球人生
今から11年前、2009年の夏。甲子園の主役となったのが、当時高校3年生の堂林だ。愛知の名門・中京大中京高校のエースで4番として、夏の頂点へとチームを導いた。
類まれなるバッティングセンスが評価され、野手としてドラフト2位で広島に入団。甘いマスクからファンの間では「鯉のプリンス」と呼ばれ、一躍人気選手となった。
しかし、当時の堂林はそのフィーバーに浮かれることなく、「今は泥臭く」という言葉を口にしていた。
その言葉通り、入団からひたすらバットを振りつづけ、プロ3年目、20歳のときにようやく一軍デビュー。開幕スタメンの座をつかみ取ると、ここから脚光を浴びる。
高校時代躍動した甲子園でプロ初ホームランを放ち、オールスターにも出場。この年、チームでただひとり全試合に出場し、チームトップのホームランを放った。
しかし、順風満帆に思えたプロ生活が一変する。
度重なる怪我もあり、年々成績が下がっていく。チームは2016年からリーグ3連覇をはたすも貢献はできず、2軍で過ごすことが増えていった。
堂林は精神を鍛えるため、チームの支柱であった先輩・新井貴浩とともに、燃え盛る炎の前で修行をする護摩行を敢行。
「何かを変えたい」と危機感を口にしていたが、その思いとは裏腹に成績は一向に上向きにはならず、崖っぷちだった。
そんな堂林が今シーズン、6年ぶりの開幕スタメンをはたすと、打率は3割を超え、二けた本塁打もマーク。
この好調を裏付ける1本のホームランがある。
◆前田智徳絶賛の一打
現役時代、堂林とチームメイトだった前田智徳は、7月16日(木)の巨人戦の中継中に、ある言葉をつぶやいた。
それは、堂林が巨人メルセデスから右中間へとホームランを打ったときのこと。
「この打球は懐かしいですよ。久々に見ました。こういう打球を…」
「懐かしい」という言葉の真意を前田に聞くと…。
「昔はベンチで、右中間へのホームランをよく見た。左打者が引っ張ったときよりも強い打球が飛んでいた。天性のものがあった」
堂林がブレークした2012年、現役だった前田が目の当たりにした“バッター堂林”の凄さは「右中間への強い打球」。
それを可能にしているのは、堂林ならではのフォームにある。
一般的な打者と違い、堂林は構えの時点で左肩をキャッチャー方向にひねる特徴がある。ピッチャー側から見ると、背番号がすべて見えるほどだ。
そこから、さらにひねりを加えてボールを打ちに行く。このフォームが、右中間への強い打球を生み出しているという。
しかし結果が出ない期間、堂林はこのフォームに悩み、試行錯誤を繰り返した。そうしていくうちに、本来の強みである右中間への強い打球が打てなくなっていたのだ。
自らのフォームに迷いを抱いていた堂林の背中を押した人物がいる。
◆「右中間」こそが「センター」
今年1月、宮崎での自主トレ。
堂林の隣にいたのは、同じチームであり、同じ右バッターの鈴木誠也だ。
3歳年下の後輩に対して、一緒に練習することを志願した堂林。2週間ともに過ごすなかで、鈴木からこんなアドバイスを受ける。
「右中間がセンターだと思って(打席に)入ればいいんですよ」
一般的に、バッティングの基本はセンター返しと言われている。
しかし堂林のフォームは左肩をひねるため、肩の向きはもともと右中間を向いている。そのため、センター返しのように放った打球は自然と右中間へ。
つまり堂林にとっては、「右中間」こそが「センター」の感覚なのだ。
試行錯誤を繰り返してきたフォームについて、堂林は「最終的に誠也に背中をグッと押してもらえたのが強かった」と振り返る。
球界を代表する打者に背中を押され、「自分だけのフォームを貫く」ことに迷いは消えた。これが今年、堂林が覚醒した一番の理由だった。
そして残りのシーズンに向けて、次のように決意を語った。
「泥臭く。必死に1球1球に食らいつく。とにかく1年間1軍の戦力になりつづけられるようにがんばります」
※番組情報:『GET SPORTS』
毎週日曜日夜25時30分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)