「憧れ」から、「見られる側」へ。広島を出て東京でアイドルになった少女<山本愛梨>
テレビ番組『ラストアイドル』から生まれたグループ「Love Cocchi」のメンバー・山本愛梨(やまもと・あいり)。
地元の広島県でローカルアイドル「キューティーパイ」のメンバーとして活動していた彼女は、パフォーマンスでモーニング娘。などの曲をカバーしたことで、アイドルの魅力に気づき、やがて自身がアイドルになることに憧れるようになる。
その後、さらにスキルを高めるべく、モーニング娘。の鞘師里保など数多くのアイドルを輩出したアクターズスクール広島に所属。そこで「ラストアイドル」挑戦の話が舞い込み、アイドルとしての高みを目指すべく、意を決して一歩を踏み出したのだった。
広島を飛び出し、東京でアイドルとして活動する彼女。
なぜ彼女は思い切った決断を下すに至ったのか。
アイドルとともに育った山本の半生を振り返る。
◆「本を読んでるフリをしていた」幼少期
2002年11月、広島県で生まれた山本愛梨。
幼少期は引っ込み思案で、学校でも1人でいることが多かった。
「教室で本を開いて眺めたりもするんですけど、実際はほとんど読んでなかった(笑)。読んでるフリだったので、読書家っていうわけでもないんです」
なにかに熱心に取り組むこともなかったが、小学2年生になった頃、夢中になれることが見つかった。
それは、テレビのなかで輝く女性たちの存在だった。
「何気なくテレビで歌番組を見ていたら、すっごくキラキラした人たちがいたんですよ。AKB48さんが歌って踊る姿が、輝いて見えて。これだ!私もこんなふうになりたい!って思ったんです。それからは、家にいる間はずっと『ポニーテールとシュシュ』『Everyday、カチューシャ』など、いろんな曲を歌って踊ってましたね」
それを見た母が、ダンススクールを探してくれることに。
一番の望みは、数多くの有名アイドルを輩出したアクターズスクール広島に通うことだったのだが…。
「広島県の郊外に住んでいたので、遠くて通えなかったんです。でも、乃木坂46の和田まあやさんや、わーすたの松田美里さんが通っていたスクールを見つけてくれたので、小学4年生から通い始めました。最初はジャズダンスから始めて、ヒップホップ、ハウス…といろんなクラスを受けるようになって。歌やお芝居のクラスも習うようになっていきました」
そのスクールには「アイドルクラス」もあり、そこで出会った友人とともに、山本はローカルアイドルグループを結成することになる。
「中学1年のとき、アイドルクラスに入ったら『キューティーパイ』という3人ユニットを組むことになったんです。地元のショッピングセンターなどのステージに立って、いろんなアイドルさんの曲をカバーしながら活動していました」
◆ハロプロに夢中。自身もアイドルに
その頃にカバーすることが多かったのは、モーニング娘。の楽曲。
「パフォーマンスしたなかでいちばん好きだった曲は『なんちゃって恋愛』。そこからはモーニング娘。さんが大好きになって、CDやDVDを見てたくさん研究するようになりました。特に好きなのは鞘師里保さん、佐藤優樹さん、小田さくらさんです」
キューティーパイはほどなくして解散となるが、別の芸能事務所から声がかかり、ソロでの活動を開始。
「週末、地元の対バンイベント(複数のアーティストが順番に入れ替わるイベント)に出ることが多かったです。ステージに立ってるときも、特典会でチェキを撮ったり、ファンの方とお話するのも、すごく楽しかったです。ただ、誰かの曲をカバーしてばっかりだったので、自分だけの曲や衣装がほしいな、と思ったこともありました」
アイドルとして活動することで、精神的な変化も生まれた。
小学生の頃は常に引っ込み思案だったが、中学生になってからは徐々に人前に立つことに慣れ始める。
「文化祭の出し物で、ミュージカルに出たことがあったんです。先生は私がアイドルをやってることを知っていたので『やってみない?』って言ってもらって。4人の座敷わらしが主人公助ける話で、私は座敷わらしの1人を演じました。その他にも出し物のダンスの振付をやったり、小学生のときでは考えられないくらい、いろんなことに挑戦するようになったんです」
◆広島からラストアイドル挑戦を決意
週末アイドルの生活をおくるなか、家から通える場所に憧れのアクターズスクールの分校が創設。さらなるスキルアップのため、入校を決意した。
「1年くらいソロで活動した後、アクターズスクール福山校ができたので、通うことになりました。レッスンは基礎から始まったんですけど、あらためて自分には足りないものが多いことに気づきました。毎週土曜日に3時間、歌とダンスの練習が1時間半ずつ。特に体幹のトレーニングは、今でもときどき家でやることもあります」
念願のアクターズスクールに入ってすぐ、転機が訪れた。
「福山校でレッスンをしながら、オーディションなどがあると広島校に行くこともあって。『アイドルを目指している』と言っていたら、『ラストアイドル』挑戦のお話をいただいたんです。広島市内でも遠いと思っていたのに、東京まで通えるのかな…。そう悩んだこともあったんですけど、憧れのアイドルになるチャンスだったので、受けてみたいと思いました」
かくして、1stシーズン最後の挑戦者としてバトルに挑むも、敗退。しかし、セカンドユニット「Love Cocchi」のメンバーとなったのだった。
◆つんく♂のプロデュースで得たもの
テレビの中でキラキラ輝く存在に、自分もなりたい――。
山本にとって、その夢が叶ったいま、どのような気持ちなのか?
「アイドルになれてよかったと思います。広島から東京に来るのはすごく悩んだけど、あのまま地元で女子高生になってたら経験できないことばかり。そのぶん、自分も強くなれたと思います」
「ラストアイドル」では、様々なプロデューサーの指導によって、パフォーマンスを行ってきた。モーニング娘。に憧れていた彼女にとって、つんく♂のプロデュースを受けたことで得たものは大きい。
「つんく♂さんには色んなことを教えていただけて、すごく嬉しかったです! 一度、『山本は、あと一皮むけたらもう大丈夫やな』って言ってもらえたんですけど…。その“ひとかわ”ってなんだろう、どうしたらいいんだろうって今も考え続けています」
アイドルになり、自分の力を試されることも増えた。
9月11日に発売される7thシングル『青春トレイン』では、バブリーダンスの仕掛け人、振付師・大阪府立登美丘高校ダンス部総監督のakaneが振り付けを担当。グループ史上最高難度のダンスプロジェクトのため、グループ内でスキルレベルでグループ分けされたのだが…。
「ダンスは苦手ではないんですけど、飛び抜けてうまいわけでもないんです。他の子に負けないために、表現力をもっと高めないといけないなと思いました。パフォーマンスするときは、いつも目線にこだわっています。モーニング娘。’19の小田さくらさんって、パフォーマンス中の目がすごいんです。見ていると引き込まれるように感じるので、私もあんなふうに目で惹きつけられるような表現力を身に着けたいです」
◆次の目標は、ももクロがライブを開いた「あの場所」
自身のスキル不足に悩みながらも、自分を支えてくれる存在に日々助けられている。
「メンバーと一緒に頑張れることが、本当に楽しいんです。同じ夢に向かって頑張る仲間がいるって最高だなって。昔は、芸能界を目指す子が周りにいなかったし、学校でもいつも1人だったから。メンバーと一緒だからこそ、くじけそうになったときも、諦めないで頑張れるんですよ」
もちろん、応援してくれるファンたちも自身を支える大きな存在だ。
「握手会で私がブースに入る瞬間に、並んでくださってる方たちの顔がちらっと見えるんです。みなさん、待ち遠しい、嬉しそうな目をしているので、それを見るたびにアイドルになってよかったなって思います。うまく伝えられないんですけど…。ライブ中も、ずっと私を目で追ってくれるのが嬉しい。支えてもらっている実感がありますね」
かつて、引っ込み思案だった自分を変えてくれたのはアイドルだった。今の目標は、自分の力で多くの人を笑顔にしていくこと。
「昔の自分は、アイドルさんを見たことで元気をもらって、笑顔になれたんです。そんなふうに、今度は私がたくさんの人を笑顔にしていきたいです。今応援してくださっている方たちには、私のパフォーマンスを見たら『元気が出たから、また仕事を頑張れるな』って思ってもらえるような、エネルギーの源になれるように頑張ります」
多くの人を笑顔にした先の、壮大な目標もある。
「ももクロさんの、日産スタジアムでやったライブDVDを見た時、鳥肌が立ったんです。いつかは、日産スタジアムでライブができるくらい、大きなアーティストになりたいと思っています」
<撮影:スギゾー、取材・文:森ユースケ>
※山本愛梨(やまもと・あいり)プロフィール
2002年11月、広島県生まれ。アクターズスクール福山校の出身で、中学時代にローカルアイドルユニット「キューティーパイ」として活動。小学6年生の頃、引っ込み思案ながらも生徒会長に立候補した経験がある。人前でのスピーチが怖くて泣きながら挑戦。落選したものの、学校中を練り歩いたことで一皮むけたと感じた瞬間だったという
※リリース情報
7th Single『青春トレイン』9月11日(水)発売
※番組情報:ラストアイドル4thシーズン『ラスアイ、よろしく!』
【毎週土曜】深夜0:10~0:35、テレビ朝日系(※一部地域を除く)