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榎木孝明、角川春樹から「人間やめろ!」と罵倒された日々…最終的に認められ、与えられた“ご褒美”

©テレビ朝日

1984年、朝の連続ドラマ『ロマンス』の主人公・平七役で一躍若手人気俳優となった榎木孝明さん。その翌年には『真田太平記』(NHK)で時代劇にも挑戦。それを機に、乗馬や立ち回りを一生懸命勉強したという。

1987年には大河ドラマ『独眼竜政宗』(NHK)にも出演。そして1990年、榎木さんは角川春樹監督の映画『天と地と』に主演することになるが、それは想像をはるかに超える壮絶な現場だったという。

©テレビ朝日

◆「人間をやめてしまえ!」と罵倒される日々

1975年に角川書店の2代目社長に就任し、メディアの風雲児として注目を集めた角川春樹さん。

映画製作も手掛け、『犬神家の一族』(1976年)をはじめ、次々と大ヒットを記録。原作小説の出版と映画公開を同時に行うという斬新なメディアミックスを展開し、「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーも話題になった。

やがて自らメガホンをとることになった角川さんの4本目の監督作品が、50億円もの巨額の製作費を投じた映画『天と地と』。戦国時代の上杉謙信と武田信玄の争いを描くこの作品で榎木さんは主人公・上杉謙信を演じることに。

-『天と地と』の撮影はかなり大変だったそうですね-

「そうですね。僕も芝居を始めてから15年ぐらい経っていましたから、それなりに色々やってきて生意気なところもあったんでしょうね。

リテイクが出されるたびに芝居を変えてやってみてもNGの連続で、何十回もやり直し。どこが悪いのか一切言わず、罵声を浴びせ続けるんですよ。

『お前の演技は学芸会レベルだ。俳優やめちまえ!』とか『生きていてもしょうがねえだろう、人間やめろ!』って(笑)。ひどいでしょう?これ以上ないというくらい罵倒されつくしましたね」

-毎日そういう感じだったのですか-

「そうです。地獄の日々でした。もうはらわたが煮えくり返って、頭のなかではいつも殺すシミュレーションをしていましたよ(笑)。背後からスーッと近づいて行って脇腹を刺して…というようなイメージを描いて、それで自分の気持ちを落ち着かせていました。

あの当時は本当にきつかったですね。NGにした理由を聞いても言ってくれないし、『馬鹿もん』って言うだけでしたからね。精神的にも肉体的にも本当にきつくて、心の底から憎むようになっていました」

-想像以上に凄絶だったのですね-

「そうですね(笑)。あとになると、色々と頭でっかちになっていた部分をすべて空っぽにさせて成長を促すためだったということもわかるんですけど、当時はもう精神的にも肉体的にもボロボロでした」

-『天と地と』を改めてご覧になることはありますか-

「たまにあります。何年かに一度という感じですが。『若いなあ、芝居がへたくそだなあ』って思いながら見ていますよ(笑)」

-榎木さんは武術もされているので、時代劇にはピッタリだという感じがします-

「武術は薩摩示現流という薩摩独特の古い流派が薩摩で続いているんですけど、東京に出てきてから何年かして興味を持った時期があって、鹿児島に帰る度に習い始めたのがきっかけでした。ニ十歳以降ですよ。時代劇をやろうという発想もなかった頃です。

ただ、薩摩出身なので、そういうことを自分なりに調べていくと、何か自分の血が騒ぐような感じがあって、そういうものが僕を示現流に行かせたのでしょうね」

-榎木さんの立ち回りは剣の重さが感じられてリアルですね-

「示現流というのはむしろ精神が重要でしたので、刀を抜いたら相手を殺すか、自分が死ぬか、どっちかを選ぶということなんですね。その気持ちを持っただけで、時代劇に対する姿勢が全く違ってくるんです。今の人は誰もそれを思わないし、教える人もまずいません。でも、その刀の意味がちゃんとわかった上で刀を抜くと、竹光でも本物に見せられるんですよ。

今は刀が単なるチャンバラの道具でしかないから、ひじょうに軽くなっていますけど…。でも、そうではなくて、芝居と言えども相手が死ぬか、自分が死ぬかって思うと、刀を重たく見せられますし、それが本当は一番大事なことだと思うんです。その精神が今の時代劇になくなっちゃっているのが残念ですね」

©テレビ朝日

◆代名詞となる浅見光彦役との出会い

『天と地と』の翌年、俳優として代表作となる浅見光彦役のオファーが。実は榎木さんを浅見光彦役に推薦したのは角川春樹さん。榎木さんなら浅見光彦を演じられると確信し、『天河伝説殺人事件』の映画化を決めたという。

-榎木さんと言えば、やはり浅見光彦役が浮かびますが、角川さんの推薦だったそうですね-

「そうなんです。僕は発表になるまで知らなくて。あれは『天と地と』をやりおおせたことのご褒美だったと思います。そこに至るまでは本当に大変なことが色々とあったんですけど、最終的には認めて下さったからこそですが、次の人生まで敷いて下さって…。

でも、『天と地と』の撮影現場しか知らないスタッフには、『あれだけケチョンケチョンに言われていたのに、なんで天河伝説に出たんだ?』って真剣に言われましたよ(笑)」

-映画の後、テレビシリーズにもなり、浅見光彦役は榎木さんの代名詞となりましたが、ご自身でやめる決断をされたそうですね-

「やめる何カ月か前に決めました。浅見光彦役は33歳で始めて47歳までやったんです。当時はやめることに周りは反対だったし、続けようと思えば続けられたんですが、自分としては引き際の美学というか、それを大事にしたいという気がすごくしたので。

もちろん年齢的にはまだまだ浅見光彦として見せる自信はあったんですが、いずれ『もうそろそろ』と言われるよりは、自分でどこか線引きしたいと思っていたんですよね。原作者の内田康夫さんからすごく認めていただいたことで逆にそう思うようになったというか…。

先生に『新作を書いていると君の顔が出てきて邪魔するんだよ』って言われたのが役者冥利に尽きるなあと思ったので、やめ時かなって気がしたんですよね」

-内田さんにやめるとおっしゃったときにはどうだったんですか-

「大反対でしたよ。『何を言ってるんだ?今やめることないじゃないか』って。でも、私の決心が固かったので、それからしばらくして連絡が来て、『光彦役をやめるんだったら条件がある。お兄ちゃんの刑事局長役をやってくれ』って(笑)。

普通はそこまで言ってくれないと思うんですけどね。1年のインターバルを置いてからやりました。一応、僕が光彦をやっていたときに兄・浅見刑事局長役だった西岡徳馬さんとも話をしていたので」

-視聴者の皆さんからは榎木さんの浅見光彦をもっと見たかったという声が多かったと思いますが-

「おかげさまでね。多くの方にそう言っていただきました。でも、自分にとっても大切な役だったからこそ、引き際は重要で、あのときにやめたのは正解だったと思います」

-内田さんは昨年3月に亡くなられましたが、結構交流もあったそうですね-

「家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていました。子供たちもよく内田さんがお住まいだった軽井沢に連れて行きましたし、去年3月に亡くなるまでお見舞いにもよく行っていましたしね」

-内田さんは多くの作品を残されていて、昨年は映画『天河伝説殺人事件』もテレビで追悼放送されました-

「そうですね。懐かしいです。色々なことが思い出されましたね。内田さんの奥様とは今もよく連絡をとっています」

-角川春樹さんとは?-

「電話でお話したり、会社にも伺わせていただいています。マスコミでは『28年間の因縁』なんて言われましたけどね(笑)。角川さんは人生で数少ない本当の意味での恩人のひとりだと私は思っていますし、この思いは一生続きますから」

過酷な現場も経験し、俳優としてさらに大きく成長した榎木さんは、ドラマ、映画で活躍する一方、画家としての評価も高まっていく。2010年には13年間企画を温めていた『半次郎』の映画化を実現させ、幕末・明治維新の時代に西郷隆盛の下で尽力した薩摩武士・桐野利秋(中村半次郎)を鬼気迫る演技で体現。時代劇の「再生」に向けた運動にも取り組んでいる。

9月13日(金)には企画を手掛けた最新主演映画『みとりし』が公開になる。次回後編では、『みとりし』の撮影裏話、30日間食事を取らなかった不食について紹介。(津島令子)

(C)2019『みとりし』製作委員会

※映画:『みとりし』
9月13日(金)より有楽町スバル座ほか順次ロードショー。
配給:アイエス・フィールド
出演:榎木孝明 村上穂乃佳 高崎翔太 斉藤暁 つみきみほ 宇梶剛士 櫻井淳子

※舞台:『リハーサルのあとで』
9月1日(日)~10日(火)
新国立劇場 小劇場
出演:一路真輝 森川由樹 榎木孝明
主催:地人会新社 03(3354)8361

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