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“イモ欽トリオ”西山浩司、萩本欽一から食らった大目玉「てめえなんか人間じゃねえ」

©テレビ朝日

1981年、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)のリーゼントに学ラン姿のワルオ役でブレークした西山浩司さん。同年、ヨシオ役の山口良一さん、フツオ役の長江健次さんと「イモ欽トリオ」を結成。デビューシングル『ハイスクールララバイ』が160万枚という大ヒットを記録して一躍お茶の間の人気者に。

『欽ドン!』と並行して俳優活動もスタート。芸能界でも指折りのスポーツマンとして知られ、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)では身体能力の高さを発揮してDJ刑事役を熱演。6月には出演映画2本の公開が控えている西山さんに、自身が経営するお店「皆月」でインタビュー。

イモ欽トリオ(山口良一さん、長江健次さんと)

◆中学1年生のときに欽ちゃんと運命の出会いが…

―萩本欽一さんとの出会いは?-

「僕が中学1年生のときに、『スター誕生!』(日本テレビ系)の収録を高松(香川県)の市民会館でやることになって、たまたま入場券が手に入ったので見に行ったんですよ。

それで番組のなかの“欽ちゃんのコーナー”は、即席のオーディションみたいなことをして会場に来ている子どもたちのなかから選ぶんですけど、そのなかに残って本番に出たらウケちゃって。そしたら大将が『高松に天才がいるぞ。あの子東京に呼べないか』って言ってくれていたみたいで(笑)」

-萩本さんに才能を認められるというのはすごいことですね-

「そうですよね(笑)。でも、まだ中1で義務教育だからそんなのは不可能だったんですけど、中学3年生のときにおやじの仕事の都合で東京に転勤になったんですよ。それで、『ヨッシャー、これでテレビに出られる』と思って(笑)。

それまでも正月特番には呼んでもらっていたんですよ。中1の冬休みと中2の冬休みに東京にね。

それで、中2の冬休みに行ったときに、『来年春から東京に出て来るんですけど』って言ったら、『後楽園ホールで毎週撮っているから、西山君来てよ』って言われて、『欽ちゃんと遊ぼうコーナー』で5週連続チャンピオンになって、すぐにレギュラーになれたので、僕はすごく運が良いんですね。才能とか何とかより運が良いんだと思います」

-もともと芸能界志望だったのですか-

「いえ、そんなことは全く考えていませんでした。田舎のガキが芸能界なんて全然思わないですよ(笑)。あの時代、芸能界はもう雲の上の世界でしたからね。あの頃は、素人がテレビに出られる番組はほとんどなかったですからね。テレビに出るということはすごいことだったので。

僕はずっと野球選手になりたかったんですよね。ずっと野球ばっかりやっていたので、高松商業という甲子園の常連の高校に入って甲子園に出て、巨人のスカウトの人の目に留まって巨人に入るというのが、僕のちっちゃいときからの夢でしたね(笑)」

-そんな高松の野球少年が、最初に「スター誕生!」に出たときは学校で大変だったのでは?-

「あれは日曜日の放送だったんですけれども、月曜日はパニックでしたよ。全員が僕の教室に見に来ました。『昨日出たやつがこのクラスにいるらしいぞ』って(笑)。もう一躍学校で有名人ですよ。

それが秋ぐらいだったんですけど、しばらくしてスタッフの方から『スター誕生!』の正月特番を東京で撮るから来てくれないか』っていう、信じられない電話がかかってきたんですよ(笑)。

それで、おやじもお袋も一緒に行けないというので、中学の音楽の若い先生が一緒に東京まで行ってくれたんですよ。そのときぐらいから『この世界は面白いなぁ』って漠然とですけど、やりたいと思うようになりましたね」

※西山浩司プロフィル

1961年1月10日生まれ。香川県高松市出身。中学1年生のときに『スター誕生!』で萩本欽一さんと出会い、中学3年生で父親の転勤で上京したのを機に正式デビュー。

1981年、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のワルオ役でブレーク。ヨシオ役の山口良一さん、フツオ役の長江健次さんとユニット「イモ欽トリオ」を結成し、『ハイスクールララバイ』、『ティアドロップ探偵団』と大ヒットを連発。

バラエティー番組だけでなく、『太陽にほえろ!』『ジャングル』(日本テレビ系)、土曜ワイド劇場(テレビ朝日系)などドラマにも多数出演。2012年には「西山浩司ワルオバンド」を結成。2014年からは山口良一さん、長江健次さんとともに「イモ欽トリオ」としてライブ活動も行っている。

◆「イモ欽トリオ」の歌手デビューは、突然?

中学3年生で『スター誕生!』のレギュラーになった西山さん。毎週授業が終わってからの収録だったが、学校を休んで札幌での収録に参加したときには萩本さんに「学校には今しか行けないんだから、学校を休んじゃダメだ。テレビにはこれから先いくらでも出してやるから、今は学校に行け」と怒られたという。

「大将は厳しいというか当たり前のことなんですけれども、芸能界を優先して学校休むということがとても嫌いな方なので、それ以降はスタッフも地方での収録に僕を呼びませんでしたね。学校優先で、地方に行くのは、夏休みとか冬休みだけでした」

-1981年には「イモ欽トリオ」として『ハイスクールララバイ』が大ヒット-

「超アイドルでしたね(笑)。『ザ・ベストテン』(TBS系)も8週連続1位だったし。だから相当あのときのインパクトがあるみたいですね、みんなの記憶に残っているのは。何十年も経って、改めて『やっぱりすごかったんだなあ』って思いますね。

あの頃は、『ワルオ』って言われたり、ましてや自分で言ったりするのは嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。卒業したいと思っていたんですけど、今はもう自分から『ワルオ』って言っていますからね(笑)。『ワルオバンド』もやっていますし」

-「イモ欽トリオ」として歌がヒットしたときは大変だったのでは?-

「20歳で若いから体力があったんでしょうけど、寝る時間もあまりなかったですね。でもその合間を縫って遊びに行ったりもしていましたね。遊びと言っても、ちょっと飲みに行ったりとか、そんな程度の遊びですけど。

とにかく東京中のスタジオを片っ端からたらい回しのような状態だったんですよ。健次が高校生だったので、夏休みにはもうここぞとばかりに、1ヵ月間毎日、1日に7、8本取材を受けるんですよ。もうほんとに嫌になるぐらい。

それで取材のほかにラジオ番組やテレビ番組の移動も、山口君と僕は全部自分たちで移動していましたからね。オートバイとか車で、それも衣装や靴を自分たちで持ってですよ。

普通はマネジャーが車を運転して、後ろのシートでちょっとは寝られたりするものじゃないですか。それが僕のマネジャーがそのときに免停を食らっていて運転できなかったんですよ(笑)。当時は寝る時間もないし、食べる時間もなくて。『せめて飯だけは食べさせてくれよ』って思いながら、毎日取材攻勢を受けていましたね(笑)」

イモ欽トリオは『ハイスクールララバイ』に続く『ティアドロップ探偵団』も大ヒットを記録するが、1982年に長江さんが大学受験のために「欽ドン!」を降板し、イモ欽トリオを脱退。3人での歌手活動期間は1年半あまりだったという。

-長江さんが脱退するということになったときにはどうでした?-

「別に僕は何もなかったです。それは大将とかスタッフと相談して決めたことなので、僕とか山口君はそれに関しては何も関知していませんでしたしね。もう十分過ぎるぐらいやった感があったし、密度の濃い1年半だったので、期間的にはちょうどいいぐらいじゃないかなぁって」

-フリでバク宙などアクロバティックなこともされていたので体がきつかったんじゃないかと思いますが-

「バラエティーでバク転とかバク宙をやったのは、僕が走りかもしれないですね。今は色々な方がやっていますけど、あの頃は多分いなかったんじゃないかな。

『ハイスクールララバイ』のあの振り付けも、いわゆるエアドラムも元祖だと思うしね。なんかそういうのがやっぱり面白かったのかな。『ハイスクールララバイ』は、あのイントロがあったからインパクトがあったっていうのもあると思うんですよね」

-山口さんと2人のエア殴り合いのフリも印象的でした-

「あれはね、レコーディングのときに山口君と僕が遊んでいたらあの振りになったんですよ。健次ばかり歌っていて、山口君と僕は暇でやることがなかったからね(笑)。

レコーディングにはYMOの細野晴臣さんもお見えになっていて、当日あの『パン!』っていうクラッピングを入れたんですよ、細野さんが。それが入ったので、殴るマネをして遊んでいたら、結構バカウケして、それそのまま振りで使おうということになったんです。

サビのところはピンクレディーの振り付けなどをしていた土井甫(はじめ)先生が作ってくれたんですけれども、イントロは僕と山口君(笑)」

-細野さんのYMOが注目を集めた直後くらいですね-

「そうですね。要するにテクノポップと言われる音楽が脚光を浴びて人気が出て、その流れのなかで細野晴臣さんが作ってくれたので、テクノ調の『ハイスクールララバイ』という曲が当たったんでしょうね」

-YMOが出てきたときも衝撃的でしたね-

「そうですね。僕も聞いていましたから。『ハイスクールララバイ』は作詞が松本隆さん、作曲が細野晴臣さんというビッグコンビですからね。その二人に発注したほうも偉いなあと思って(笑)。

その前にイモ欽でレコードを作ろうと思ったのも偉いですよね、発想として(笑)。だって僕らはある日突然ですもん。大将に『あのね、お前たちレコード出すから』って言われてビックリですよ(笑)」

©テレビ朝日

◆「てめえなんか人間じゃねえ」と欽ちゃんが激怒?

中3のときに仕事の都合で東京に転勤になった西山さんの父親は、2年後に高松に戻ることになったが、西山さんはテレビのレギュラーもあったため、東京に残ることになり、萩本さんの家で暮らすことに。萩本さんの家には4人の作家も住んでいて、男6人の生活だったという。

「4年間大将の家に居候することになって、高2から高3、浪人、大学という10代後半の多感な時期を大将の家に住んで、大将の家から高校にも通わせてもらっていました。

男6人の共同生活ですからね。家というよりも合宿所みたいな感じでしたけど、僕はめちゃくちゃやんちゃしてましたね(笑)。大将の車を勝手に乗り回して友だちを送って行ったときには、大将の車が盗まれたって大騒ぎになったりして…。

大学に入ったときは麻雀とかやりたくて友だちの家に行って遊んで三日間帰らなかったんですよ。そのときには『出て行け!もう四国に帰れ。てめえなんか人間じゃねえ』って、めちゃくちゃ怒られました。後にも先にもその1回だけですね、怒鳴られたのは。大目玉でした」

-どうやって許してもらったんですか-

「それが夜の10時ぐらいだったんですけど、それから朝の5時までずっと説教ですよ。1対1で説教が始まって大将の目を見てずっと怒られていたんですけど、朝の5時頃『お前ね、もうなおった。大丈夫だから』って言って許してくれたんです。

何がなおったのかその辺は僕にはわからないんですけれども、何かがなおったんでしょうね(笑)」

-それからはもうそのようなことはなかったんですか-

「さすがになかったです(笑)。もうそのときには本当に段ボールに荷物を詰めて四国に帰らなくちゃいけないって覚悟しましたからね。でも、四国に帰って何をやったらいいんだろうって真剣に考えました。たった数時間ですけど(笑)。それが18歳か19歳のときでしたね」

萩本さんの家での生活は、西山さんの妹が大学に合格し、上京して一緒に暮らすことになったため、終わったという。次回後編では、『太陽にほえろ!』の思い出、映画『悪い女はよく稼ぐ』(6月8日公開)と『カスリコ』(6月22日公開)の撮影裏話を紹介。(津島令子)

(C)ピープス

※映画『悪い女はよく稼ぐ』

6月8日(土)K‘s CINEMAにてレイトショー公開。
製作・配給:ピープス
監督:原隆仁 出演:長谷直美 熊切あさ美 水口晴幸 西山浩司 竜雷太

(C) 2018 珠出版

※映画『カスリコ』
6月22日(土)よりユーロスペースにて公開。
配給:シネムーブ/太秦
監督:高瀬将嗣  出演:石橋保 宅麻伸 高橋かおり 西山浩司 高橋長英

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