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“親子三代で法曹界”のはずが…伊丹十三監督作の常連俳優・高橋長英が、役者の道選んだ理由

©テレビ朝日

善人から凄味ある悪役まで多彩な役柄を見事に演じ分ける実力派俳優・高橋長英さん。俳優座養成所を卒業後、フリーで俳優活動をスタート。映画『タンポポ』(1985年)、『マルサの女』(87年)をはじめ、伊丹十三監督作品の常連俳優として話題作に多数出演し、ドラマ、映画、舞台、朗読劇と幅広い分野で活躍。映画『兄消える』と『カスリコ』の公開も控えている高橋長英さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆大学を中退して俳優座養成所へ、そのとき母は…

父親と祖父が法曹界という家で生まれ育った長英さん。横浜で初の親子三代で法曹界の仕事につくべく、上智大学法学部法律学科に進学する。

「おやじも祖父も法曹界にいたのでね。当時、横浜に親子三代というのはいなかったというから、親に法科に行ってくれと言われて。上智を受けたのは、『蛍雪時代』(大学受験雑誌・旺文社)という、大学受験生向けの月刊雑誌で写真を見たら、ガーデンという庭があって、そこでみんな楽しそうにしゃべったりしているんだよ。それを見て『いいなあ』って思ってね(笑)。それで、そこに入ったんですよ」

-わりと単純な理由で選ばれたんですね-

「そう。単純ですよ。本当に単純です(笑)」

-大学に入ったときにはまだ俳優志望ではなかったわけですか-

「そうですね。漠然と憧れはあったかもしれない。映画は昔から好きだったけど、舞台はあまり見ていませんでしたね。芝居らしい芝居を見たのは、学校の先生が連れて行ってくれた『炎の人ゴッホ』という三好十郎さんの芝居ぐらいじゃないですかね」

-俳優座の研究生になることになったきっかけは?-

「大学でたまたま演劇部が芝居の主役を探していたんですよ。それで『君やってみない?』なんて言われてね、僕もおっちょこちょいだから、ジェームズ・ディーンなんかも好きだったし、『じゃあ、やってみようかな』なんて思って(笑)。

それで演劇部に入って演劇をやり始めたら、もう授業なんて出ないよね。だって、もともと法学部と言っても、自主的に法律の勉強をしたいという思いがあったわけじゃないですからね。だから、そのまま、なんとなく俳優座に入ったという感じですね」

-俳優座の養成所の試験はかなり難しいと聞いていますが、受かる自信はありました?-

「どうですかね。絶対に入りたいという感じではなかったんですよ。高校のときの友達が『高橋、お前は俳優が向いているかもしれないから受けてみろ。みんなで受験料出してやるから』って、みんなでカンパして受験料を出してくれたんです。

それで受けてみようかみたいな感じでね。実にいい加減で恥ずかしいですよ、僕の人生は(笑)。本当に皆さん真面目で一生懸命でね。この道一筋みたいな感じで、それは絶対に必要だと思うんです。だから、僕はそういう人達に失礼なくらいいい加減で、今思うと冷や汗が出るくらいですよ」

-結果的には合っていたということですね-

「いやいや。養成所はその期によって、今年はちょっと喜劇的な俳優が少ないから、そういうキャラクターの人をとか、今期は体格のいい人を取ろうとか、二枚目を取ろうとか、なんとなく方針があるんですよ。だから、それに合っていると入れるし、すごく良くても合ってない人は落ちたりする場合もあるんですよね。

そういった意味ではそのときの運、不運もありますよ。俳優座に落ちて、そういう俳優学校なんかに行かなくても、いきなり芸能界に放り出されて成功した人も結構いるみたいですしね。だから、出てくる人は出てくるんじゃないですか」

-大学を中退する時、ご両親は?-

「反対しましたね。四谷の上智大学に土手があるんですよ。土手の下はグラウンドになっているんですけど、その土手のところでお袋に泣かれてね。それはおぼえていますよ。でも、大学がつまらなかったし、俳優学校なんていうと、なんかドキドキするじゃないですか。夢がありそうで(笑)。

はじめは大学と両立しようと思ったんですよ。でも、両方とも出席日数にうるさくて両立できなくなってね。どっちかを選ばざるを得なくなって、しょうがないから大学を辞めて養成所一本にしようと思ったんですよ」

-迷いはありませんでした?-

「なかったですね。俳優学校で友だちができたんですよ。のちにみんなで事務所を作ったんですけど、夏八木勲君、地井武男君、前田吟君、小野武彦君、村井國夫君、僕、それと44歳という若さで亡くなった竜崎勝君。

この7人で事務所を作ったぐらい仲が良かったんですよ。そういう友だちと別れるのがいやでね。だから芝居をやりたいとか、俳優になりたいとかいうよりは、『友だちと別れるのがいやだ』みたいな感じでね。本当にいい加減でしょう?(笑)」

※高橋長英プロフィル
1942年11月29日生まれ。神奈川県横浜市出身。俳優座養成所第15期生として入所。養成所卒業後、単発のドラマに出演。1968年、映画『二人の恋人』で映画デビュー。『篤姫』(NHK)、映画『マルサの女』(1987年)、『スーパーの女』(96年)など、ドラマ、映画に多数出演。

2015年、舞台『Sweet Home スィートホーム』で第50回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。5月25日(土)からは柳澤愼一さんとW主演をつとめた映画『兄消える』、6月22日(土)からは映画『カスリコ』の公開が控えている。

©テレビ朝日

◆五月病ならぬ円形脱毛症?

俳優座養成所の受験資格は17歳から23歳までとなっていたが、年齢詐称の人もいたため、15歳ぐらいから30歳近くまで幅広い年齢の受験生がいたという。長英さんは、年齢も育った環境も、貪欲さも違う人たちに圧倒されカルチャーショックの連続だったと話す。

「みんなたくましいし、貪欲さが違うんですよ。会社にはいった新入社員がよく“五月病”って言うでしょう? 僕たちの15期では、始まって2カ月ぐらい経ったころ、円形脱毛症がはやったんですよ。ストレスですよね。周りがすごいから円形脱毛症になりましたね。

それぐらいみんな『すごい世界だなあ』って、それぞれ意識したんじゃないですか。『もうここしかない。全てを捨てて、ここで生き残っていくんだ』みたいな人が来ているわけでしょう。その圧というのは大変なものですから」

-印象に残っていることはありますか?-

「『すごいのがいるなぁ』って思ったのは、手編みの黒いトックリセーターを着て、痩せていて細くて、髪の毛をかきあげて、ものすごく目が鋭かった斎藤憐君。彼は『上海バンスキング』を書いた人なんだけど、俳優志望じゃなかったんですよ。演出志望だったんだけど、『すごいのがいるなあ』って思いましたね。

あと夏八木勲君なんかは『すごいなあ。これはかなわないなあ』って。自分が持っていないものを持っていそうな人っていうのは、やっぱりすごく気になるんですよ」

-どんな方たちがいらしたんですか-

「だいたい俳優学校に入ってくる仲間たちを見ると、『劇団民藝』とか『俳優座』の芝居や、『セールスマンの死』だとか、三好十郎さんとか木下順二さんの芝居を見て感動して、新劇をやりたいと言って入ってきた人が多いんですよ。でも、僕はそういう感じじゃなかったですね。ただ映画を見て、『ジェームズ・ディーンがいいなあ』なんて思ってね。実に単純な理由ですよ。

僕たちの15期にはそういう人も多かったですね。例えば、夏八木勲君が三船敏郎さんに憧れて入ってきたり、地井武男君が赤木圭一郎さんに憧れて入ってきたり、小野武彦君が石原裕次郎さんに憧れて入ってきたりね。

もちろん、そうじゃない人もいますよ。三田和代君とか、『上海バンスキング』を書いた斎藤憐君もしっかりとした演劇観を持って入ってきていました。もう亡くなってしまいましたけど、原田芳雄君も俳優座で芝居をやっていましたね」

-そうそうたる顔ぶれですね。養成所を出た後はどうされたんですか-

「村井君と地井君は自由劇場、夏八木君はNLT、前田吟君と僕は事務所に入って、竜崎君と小野武彦君は文学座に行きました。竜崎君、夏八木君、地井君、3人亡くなっちゃいましたけど」

-俳優という職業は不定期ですが、アルバイトをされたりした時期はありました?-

「それが恥ずかしながらないんですよ。僕は劇団に属さずに、事務所に入ってテレビや映画など映像の世界にきましたからね。新劇とかにいくと、マスコミに出るまで結構時間かかるじゃないですか。でも、プロダクションに入ると、売り込んでくれるからね。そういった意味では仕事が比較的早い時期からあったので、バイトしないでもなんとか食えていました」

-俳優の仕事を続けてらして、悩んだりとか、向かないかなと思ったことはありますか-

「しょっちゅうですよ。それは今でも引きずっていますよ。まだ今でも向いているとは思わないですね。あっちに頭をぶつけ、こっちに頭をぶつけてという感じですよ。特に舞台をやり始めてからね。毎回『これはダメだ。今回でおしまいだな』とか思いますよ。舞台は怖いですね」

-俳優を一生やっていこうと決意されたのは?-

「30歳前後で文学座の演出家の木村光一さんに巡り会えたことですね。それまで、僕は舞台をやったことがなかったんですよ。木村さんと出会って、舞台をやるようになって。一作目は、『美しきものの伝説』とか、『明治の棺』とか、多くの傑作を書いている、僕の大好きな作家の宮本研さんの本で、木村さんの演出だったんですよ。

その舞台に北村和夫さんだとか加藤治子さんだとか、文学座の俳優さんがいっぱい出てらっしゃったので、その人たちと出会ったということがすごく大きいですね。それをきっかけにして、井上ひさしさんとも出会えたし…。木村さんとの出会いというのがすごく大きかったような気がします。だから、木村さんと出会ってなかったら、どうなっていたかなと思うとゾッとしますね」

舞台、映画、ドラマに多忙な日々の中、2010年からは地元・横浜で朗読劇の開催も行っている長英さん。次回後編では公開間近の映画『兄消える』と『カスリコ』の撮影裏話を紹介。(津島令子)

(C)「兄消える」製作委員会

※映画『兄消える』5月25日(土)公開
配給:エレファントハウス/ミューズ・プランニング
監督:西川信廣 出演:柳澤愼一 高橋長英 土屋貴子 新橋耐子 雪村いづみ(特別出演) 江守徹(特別出演)

(C) 2018 珠出版

※『カスリコ』6月22日(土)より公開
配給:シネムーブ/太秦
監督:高瀬將嗣
出演:石橋保 宅麻伸 中村育二 高橋かおり 高橋長英

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