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小日向文世、42歳のときに劇団解散。妻子を抱えて“貯金ゼロ”の生活に

©テレビ朝日

ドラマ『リーガルV~元弁護士・小鳥遊翔子~』(テレビ朝日系)で秘書に赤ワインを頭から浴びせる非情な弁護士を演じ、「ドラマ史に残るパワハラ場面!」と話題を集めた小日向文世さん。

今やドラマ、映画、舞台、CM、ナレーションと引っ張りだこの誰もが知る個性派俳優だが、ドラマ『HERO』(フジテレビ系)の検察事務官・末次役に起用されるまでは自転車操業のような生活だったという。

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◆「オンシアター自由劇場」に入団したものの、役がもらえず…

-23歳のときに「オンシアター自由劇場」に入団されて-

「まさか19年もいることになるとは思いませんでした。23歳から42歳までですよ。僕の青春時代。

入団してから役がつくまで時間がかかりました。裏方としては重宝されるんですよ、グラフィックデザインと写真をやっていましたからね。でも、セリフのある役がいっこうにまわってこない。

やっといい役がまわってきたのは入団して5年目で『クスコ-愛の叛乱-』という作品でした。うれしかったなぁ」

-すごいですよね。ひとつ決めたら劇団が解散するまで在籍されて-

「僕ね、高校のときに担任に言われたんですよ。『お前は一生転々とするか、何かにしがみついて成し遂げるかだ』って言われたんです。

それがずっと頭に残っていて、デザイン学校やめたでしょう、写真学科やめたでしょう、これで役者をやめたら担任の言う通りになってしまうなと思ったから、役者は絶対に続けようと思って。でもね、芝居は面白かったんですよ。芝居は全然食えないけど面白かった」

-そういう生活の中でご結婚をされてお子さんふたりを育てられて-

「19年劇団に在籍しているなかで、最後の6年間は、座長の串田和美さんが初代芸術監督になった『Bunkamuraシアターコクーン』が僕らのホームグラウンドだったんですよ。

それまではみんなバイト生活だったのに、公演の稽古が始まるたびにバイトをクビになっていましたから、定期的に出演できる場を提供してくれたんです。だから、1年中そこで芝居をやっていたので、結構食えたんですよ。借金はしてなかった。

ただ、貯金はできなかった。食べたいものを食べて、まだ若かったからせいぜいジーンズショップみたいなところで買いたいジーンズを買ったり…それで十分満足していましたね。劇団が解散したときは42歳。解散した途端に事務所に入ったけど、42歳で貯金ゼロですよ(笑)」

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◆事務所に前借り、前借り、借金の日々

劇団解散時、貯金はゼロ。解散の3年前、39歳のときに同じ劇団の女優だった11歳年下の女性と結婚。1歳になる長男も誕生していた。それまで舞台ひとすじにやってきた小日向さんだったが、解散を機にかねてからやりたかった映像の世界へ進むことに。しかし、なかなか仕事の連絡はなく…。

「そこから今度は借金ですよ。42から47まで借金。事務所に前借り、前借り、借金。社長が『内緒だよ』って言って、借金させてくれたんですよね(笑)。

その頃はバイトをしてなくて、女房もバイトしてなかったんですよ。2人してバイトしてなかったから、お金がなくなると女房が『お金がなくなった』って言って、僕が『わかった』って社長に『すみません。前借りお願いします』って電話するという感じでした」

-39歳でご結婚されて、42歳で劇団が解散。お子さんもいらして-

「長男が41のときの子供だから解散したときに1歳。それで解散して1年後ぐらいに次男が生まれましたからね。よく子どもを連れて公園に行っていましたよ。『小日向さんの家は何をやってるんでしょうね?』っていう感じでした(笑)」

-そういう状況でも奥様は何も不満や文句を言わなかったそうですね-

「そう。普通はね、『1日何もしてないんだったら、ちょっとバイトに行けば』って言ったりすると思うんだけど、それは絶対に言わなかった。よく何も言わなかったなぁと思うんだけど、『そのうち回り始めると思っていた』って言ってました(笑)」

-すごいですね-

「でも、女房に後から聞いたら『つらかった。きつかった』って言ってましたけどね。世田谷に住んでいると、結構恵まれた主婦が多かったので、それに付き合うとやっぱりお金のことをずっと頭の中で計算して、『これ以上使っちゃうとあとが大変だ』とかいろいろ思っていたみたい。

僕は映像の仕事が新鮮で楽しかったですから、仕事がきたら『仕事きたー』って楽しんでやっていたけど、女房は大変だったと思います。

昔は子供にかかる費用で収入が少ない人は免除になるものがあったんですよ。それで僕たちは『ラッキー、ラッキー』って言ってたんだけど、それを女房が友だちに言ったらしいの、平気で(笑)。『うちはラッキー。無料なの』って。そしたら何とも言えない表情で『あぁーっ』って言われたって(笑)。亭主が低所得者だから」

-でも奥様は本当にすごい方ですね。小日向さんが奥様に八つ当たりした時にも抱きしめてくれたとか-

「そうそう。僕が家でゴロゴロ、ゴロゴロしていたら、僕をまたいで掃除機をかけていたんだけど、ガツガツ僕のからだに当たるんですよ。だから、『きっとイライラしてるんだろうなぁ』と思ったけど、また当たるから『言いたいことがあるんだったらちゃんと言えよ。なんで掃除機かけながら人のからだにぶつかるんだよ』って言ったの。

そしたらね、すごく悲しそうな顔をして、僕のからだを抱きしめたんですよね。『かわいそうに』って言って(笑)。女房は『仕事しないでずっといるということが、本当にきついんだろうなぁ』と思っていたんじゃないかな」

-すばらしいですね。小日向さんは家が大好きで、少しでも時間があいたら帰りたいというのもわかります-

「でも、女房には『またまっすぐ帰ってきたの?』ってよく言われますけどね(笑)。『今、終わった』って電話すると、『どうするの? 食べて来ないの?』って言うから、『帰って食べるよ』って。僕は家で食べるのが大好きなの。また女房は食べることが大好きだから、料理がおいしいんですよ。

料理研究家の方と知り合いになって、また一段とグレードアップしたんですよ。その人と知り合いになってからいろいろなおいしいところに食べに行くんだけど、『行っておいで』って言って女房を送り出しているの。次に僕が連れて行ってもらったりするからね。

よくバラエティー番組とかで行きつけのお店を紹介しなきゃいけなかったりするじゃない? そういうときは全部女房に聞くんですよ(笑)」

-たまたま私も番組を見たのですが、すべてのお店が奥様の紹介だとおっしゃっていました-

「そうそう、そうなんですよ。だから女性からするとほんとにつまらない男ですよ(笑)」

-そんなことないと思います。ステキですよ-

「いやぁ、世の中の男性はどうしてるんだろうなぁ」

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◆ドラマ『HERO』出演が一大転機に

貯金はゼロ、前借りしては返済の自転車操業の日々が5年も続いていた2001年、木村拓哉さん主演ドラマ『HERO』で末次事務官役での出演が決まった。これを機に次々と仕事のオファーが舞い込むように。

-俳優人生はやはり『HERO』から激変ですか-

「そうです。『HERO』からですよ。『HERO』からずっと今に至りますから。当時は渋谷にあったスタジオで撮影していたんですけど、その帰りにセンター街を歩いていると、ガングロの女子高生が僕を見て何度も指を指すんですよ。名前は出て来ないんだけどね。そのときに『僕も少しは知られるようになったのかなぁ』って初めて思いました」

-それまで培ってらした積み重ねの成果ですね-

「まぁ結果的にね。『HERO』の前は三谷幸喜さんの舞台『オケピ!』。『オケピ!』を見たプロデューサーが『HERO』に起用してくれたわけですからね。

三谷さんは僕の出演した“オンシアター自由劇場”の舞台等を見てくれていて、三谷作品のドラマに2本ほど出演したあとに、『オケピ!』に声をかけてくれたんです。少しずつそうやって、僕が劇団で19年間舞台に携わっていたことを知っている方が、声をかけてくれるということにつながってきたんでしょうね。

まぁ、ほんとにね、ラッキーだったとしかいいようがないです。だってみんな同じように俳優を目指している仲間たちがいたわけですからね。食えなくてやめていく人がいっぱいいました。疲れ果ててね」

-2月には潔癖症の刑事を演じた主演ドラマ『欠点だらけの刑事』(テレビ朝日系)もありました-

「あれも面白かったですけど、『オーランドー』という舞台をやった後だったので、もうとにかく結構ハードで、ちょっと痩せていましたね。あのときはちょっと疲れていたんですよ。

あの後すぐにドラマ『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)の撮影に入って。それで腰をやられちゃったんですよ。あれも結構大変でした。今も来年1月の連ドラを撮影中なんだけど、そうやってお話をいただけるのは本当にありがたいことだなあって思います」

役柄の幅が広く、どんな役でも自由自在に演じ分ける小日向さん。スタッフからの信頼も厚く、オファーが引きも切らない。次回後編では愛犬きなこちゃんとのユニークな関係、結婚以来続けている儀式、1月19日(土)に公開される映画『かぞくわり』の撮影裏話を紹介。(津島令子)

ヘアメイク:河村陽子

(C) 2018「かぞくわり」LLP

※映画『かぞくわり』
2019年1月19日(土)より有楽町スバル座他ロードショー。
監督:塩崎祥平 出演:陽月華 石井由多加 竹下景子 小日向文世