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感動パラパラ漫画で復活した鉄拳、恩人・ビートたけしとは「会うと何かしらいいことが」

©テレビ朝日

1990年代にレスラーの格好をした白塗り姿で、得意の絵を活かした芸風でブレークしたお笑い芸人の鉄拳さん。2012年、左右に揺れる時計の振り子のなかに夫婦の半生をフェルトペンで描いたパラパラ漫画『振り子』を発表。

イギリスのロックバンドMuse(ミューズ)の公式プロモーションビデオに採用されて海外でも話題になり、今やパラパラ漫画家として大活躍の鉄拳さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆プロレスラーになるはずが夜逃げ

小さいときから絵を描くことが得意で漫画家志望だった鉄拳さんは、高校時代、『週刊ヤングマガジン(講談社)』の第20回(1989年)「ちばてつや賞」で「期待賞」を受賞。しかし、その後の作品が全く振るわなかったため、漫画家になる夢を断念。二番目の夢だったプロレスラーになるために上京する。

「挫折して漫画家さんになるのを諦めて、第二の夢だったプロレスラーになろうと思って、高校の卒業式に出ないで、1月から東京に出てきて大仁田厚さんの団体『FMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)」に入りました。身長体重関係なかったので」

-練習はどうだったんですか?-

「受け身とかもやるんですけど、なぜか僕だけ『ワン、ツー』という(カウントの)練習だったんで『おかしいなぁ』と思っていたんですよ(笑)。

それで『なんで僕だけワン、ツーっていう練習なんですか?』って聞いたら『お前はレフリーだ。プロレスラーなんて、そんなにちっちゃくてなれるわけないじゃないか。とりあえずレフェリーやってろ』って言われて…。

『いやぁ、レフリーって…。僕はプロレスラーになりたかったのに』ってガックリきて、もう戦う炎が消えちゃって…。『もういい、やめよう』って思ってやめて夜逃げしました』

-どのくらいの期間やってらしたんですか-

「通ったのは半年ですね。1月から7月まで通って、7月にプロテストがあって入門したんですけど、1ヵ月位でやめました」

-レフリーとして合格したことはわからなかったんですか-

「わからなかったですね。一応僕もスクワットの練習もするし、受け身も練習するんですけど、スパーリングになると僕だけ必ず『お前はレフェリーやれ』って言われてレフリーの練習をやるというのが多かったので、わからなかったですね(笑)」

-夜逃げしてからはどのように?-

「行くところもなかったので、いったん長野に帰りました。実家に帰って、『このままだと自分は何をしていいかわからない、とにかく何か話題になりたい、有名になりたい』という思いはあったので、オーディション雑誌を買って、『合格した方は映画、CM、ドラマに出られます』って書いてあった『劇団東俳』のオーディションを受けました。

それで、オーディションを受けて合格したので、『やったー。これで映画に出られるなぁ』と思ったんですけど、芝居の練習のときに僕がセリフを言うとみんながクスクスクスクス笑うんですよ。なんでみんな笑うんだろうと思って先生に聞いたら、『お前は滑舌が悪いから俳優に向いてないかもしれない』って言われて、俳優は無理だろうなと思ってやめました」

-一生懸命頑張っていたのに、やめちゃったんですか-

「結構傷つきやすいっていうか、グサッと刺さるんですよ。『レフリーになれ』って言われたときもですけど、『俳優に向かない』と言われたときもグサッときちゃって、『あぁ、無理なんだ。だったら違う道をやろう』という風になりますね。それでもっと頑張ろうとはならないですね」

※鉄拳プロフィル
長野県出身。漫画家、プロレスラー、俳優を目指し、挫折を繰り返した経験を活かし、覆面レスラーのようなメークと衣装で「漫画ネタのピン芸人」としてブレーク。『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)、『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)等に出演。作品集『こんな〇〇は××だ!1・2・3』(扶桑社)など著書も多数。

2000年代、人気が下降気味になり、一時は芸人廃業を決意するが、2012年、テレビの深夜番組の企画で制作したパラパラ漫画のなかの『振り子』がYouTubeなどで話題となり、パラパラ漫画家として再ブレーク。映像は全米・ヨーロッパなど世界各地で配信。実写映画化もされた。

©テレビ朝日

◆度重なる挫折の経験からお笑い芸人“鉄拳”が誕生!

俳優になることを諦めた当時、『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ系)がブームで、芸人が大人気。お笑いライブを見に行っていた鉄拳さんは、お笑い芸人になることを決意したという。

「『お笑いだったら何とかなるかもしれない』ってバカなことを思っちゃって(笑)。『お笑いのセンスが全然ないけどどうしよう?』ってなったときに、プロレスラーの格好して滑舌が悪かったら面白いんじゃないかなと思って。

それで漫画が得意だったので、スケッチブックに漫画を描いてステージに立とうと思って始めて、オドオドしながら『こんな〇〇は嫌だー』ってやったら、めっちゃウケたんですよ(笑)。そこからとんとん拍子で、次の年に『爆笑オンエアバトル』(NHK)も決まって、どんどんどんどん仕事が増えていきました」

-そのときはご自分ではどうでした-

「気持ち良かったですね。もう普通にウケているのが気持ちよくて、自分はそんなお笑いが得意じゃないのに、得意だと思っちゃって、このままずっとお笑いでやっていけるんじゃないかってずっと思っていました」

-それはどのくらい続きました?-

「4年か5年ぐらいは続きました。27歳のときに『爆笑オンエアバトル』に出て、30歳のときに『こんな〇〇は××だ』という本を出したんですよ。それもたまたま売れて。でも、その2、3年後にはもう下り坂でしたね」

-それはご自身でわかるんですか-

「分ります。仕事が下り坂になったときに吉本にお願いして事務所に入ったんですけど、吉本の芸人さんのすごさに圧倒されました。いろんな芸人さんがいるじゃないですか。その方達と抱き合わせで営業に行くようになったんですけど、拍手も歓声も全然違うんです。

それまではデパートとかにひとりで営業に行くと、僕を見たくて集まったお客さんたちだったんですけど、吉本の芸人さんと抱き合わせで行くといろんな芸人さんのお客さんがいっぱいいるわけですよ。そのときにやっぱり比較されちゃうんですよ。『あぁ、これって僕はやっぱりお笑いに向いてないんだ。終わったんだな』って思いました」

芸人として絶頂期だった29歳のときにファンだった奥様と5年の交際を経て結婚。35歳になっていた鉄拳さんは違う仕事につくことを考え始める。ちょうど故郷の友人が発行していたアルバイトの広告雑誌にイラストを描いて欲しいと頼まれていたこともあり、芸人をやめることにしたという。

-奥様は芸人をやめて故郷に帰るということに同意されていたんですか-

「いや言ってなかったです。言えなかったですね。だからとりあえず決めて実行しちゃえば、ついてくるしかないだろうと思って」

-奥様には言えないままご自分のなかでは辞める日はもう決めてらしたんですか-

「決まってました。もう吉本にも『やめます』って言ってました。『半年間は入ってきた仕事を受けるけど、その後は空白にしておきます』と言われて、その後ずっと空白でした。2010年位のことです』

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◆パラパラ漫画で復活!ビートたけしさんはパワースポット?

吉本興業を辞める日まで決めていた鉄拳さんだったが、パラパラ漫画の仕事の依頼が舞い込む。締め切りまで一ヵ月しかないというタイトなスケジュールだったという。

-それで辞める日が来る前にパラパラ漫画のお仕事が-

「はい。パラパラ漫画の仕事が来て、他の芸人さんもやることになっていたので聞いてみたら、これは2ヵ月ぐらい前からの企画で、ほかのみんなはそこからやってるんですよ。僕にだけ1ヵ月ぐらいあとで話がきたので、誰かができなくなってしまって、たまたま僕に来た仕事だったんですよ。

それで、『芸人をやめるって言っちゃったんですけど、じゃあそれはやります』って言ってやったら、また次の仕事がという感じでとんとん拍子で、4作目の『振り子』が話題になって…。

当時のマネジャーさんが、『これはもしかすると仕事が増えるかもしれませんよ』って僕を励ましてくれてたんですけど、その通りになりました」

-第一志望だった漫画家のお仕事もされて、お笑い芸人さんも、プロレスの格好もされて…やりたかったことを全部されているんですね-

「そうですね。一応戻ってきたというか、遠回りしたけど最初の漫画家さんのところに戻ってきたっていう感じです(笑)」

-パラパラ漫画でやっていくことにしたきっかけは、ビートたけしさんだったと聞いていますが-

「そうです。3作目のときに、『人生について街中でリサーチしましょう』って言われて、原宿でリサーチしていたら、突然たけしさんが現れて『お前何やってるんだ?』って言って声をかけてくれて。

『今、ちょっとパラパラ漫画を描いていて、人生についてリサーチしているんです』って言ったら、『そうか、頑張れよー』と言って去っていったんですよ。これホントの話なんです。みんな嘘だって言うんですけど、ホントの話で、そのときに『頑張ろう』って思って作ったのが『振り子』だったんです。

それで話題になって、たけしさんが審査委員長をされている『東京スポーツ映画大賞』(第22回)と同時開催の『第13回ビートたけしのエンターテイメント大賞』で『カムバック賞』をくれて。その時にたけしさんに『あのときはありがとうございました』って言ったんですけど、たけしさんも覚えていてくれて嬉しかったです。

たけしさんには結構助けられていて。最初のレギュラー番組もたけしさんの『たけしの誰でもピカソ』という番組でしたし、たけしさんに会うと何かしらいいことが起きるんですよ。なんか不思議なパワースポットみたいな方です(笑)」

独特のメークに隠された端正な顔立ちに驚かされる。繊細で傷つきやすい性格だからこそ、心がほっこり温まるストーリーが紡ぎだせるのだろう。次回後編では原作を手がけた実写映画『家族のはなし』の撮影裏話、『振り子』についても紹介。(津島令子)

(C)『家族のはなし』製作委員会

※映画『家族のはなし』
11月23日(金・祝)よりイオンシネマにてロードショー!(一部劇場を除く)
原作:鉄拳 監督:山本剛義 出演: 岡田将生 成海璃子 財前直見 時任三郎

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