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2つの名前を使い分け、芸能生活50周年。年内で「ピーター」を卒業する真意

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

9月29日(土)に放送される同番組には、歌手で俳優のピーターが登場する。

©BS朝日

ピーターは1952年、大阪に生まれた。父はのちに人間国宝となる「日本舞踊吉村流」の家元・吉村雄輝。幼少期から跡取りとして厳しい稽古の日々を送り、3歳で初舞台を踏む。

6歳のとき両親が離婚し、ピーターは母親と鹿児島へ引っ越した。稽古ばかりで土も見たことがなかったピーターは、鹿児島の自然は原風景だと当時を振り返る。

そして、名門ラ・サール学園に入学するも、全国から集まる優等生たちとの差に初めて挫折を経験。有名大学に進学するための学園生活、レールを敷かれた人生に嫌気が差して家出し、上京する。

そして、年齢をごまかして東京のゴーゴークラブで働き始め1カ月がたったころ、クラブの客がきっかけとなり、父親と再会することに…。

ピーターは大阪で父親と暮らすことを決意するが、再び吉村流の跡取りとして厳しい稽古の日々を強いられる。父親が敷いたレールを進むことに耐えられず、2度目の家出を決行。これが芸能界デビューのきっかけとなった。

1959年、映画『薔薇の葬列』で主役・ゲイバーの売れっ子美少年を演じ銀幕デビュー。同じ年に歌手デビューも果たし、『夜と朝のあいだに』で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞する。

中性的なルックスが女性の支持を集め、一躍トップアイドルになったピーター。しかし、やりたいことがあっても仕事は「ピーター」のイメージの役ばかり。作られたイメージに嫌気がさしていたという。

さらに、雑誌では「女装」と書かれ、インタビューへの受け答えも「女言葉」に変換して書かれることも…。引退を考えたこともあったと、当時の胸の内を明かす。

転機となったのは1985年、黒澤明監督作品『乱』への出演だ。それまでの「ピーター」のイメージをノーメイクで払拭し、体当たりで芝居に挑んだ。撮影中には、黒澤監督から手紙をもらったという。

そして映画『乱』への出演以降、俳優業では本名の池畑慎之介を名乗るようになり、老若男女と演じる役の幅を広げていく。そんな彼が「ピーター」と「池畑慎之介」の名前を使い分ける理由とは?

また、芸能生活50周年を迎えた今年、年内で「ピーター」を卒業し、今後は池畑慎之介として活動することを発表した。番組では、ピーターを卒業する真意を語る。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2018年9月29日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日

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