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錦織圭の活躍支えるアメリカの“父” テニスの夢を諦めたからこそ伝えたい思い

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回訪れたのは、アメリカ・フロリダ。ここに、修造がどうしても会いたい人物がいた。

錦織圭選手の練習拠点・IMGアカデミーから車で10分のところにある日本料理店「JOTO(じょうとう)」の杉本秀暢(ひでのぶ)さん53歳だ。

「杉さん、ご無沙汰!」「修造くん、お帰り!」と、久しぶりの再会に2人は熱い握手を交わす。実は2人は、修造がフロリダを拠点に活動していた頃から25年来の旧知の仲なのだ。

©TOKYO応援宣言

◆錦織が13歳で渡米して以来、食事面でサポート

お店に入り、まず目に飛び込んでくるのは“赤いテニスウェア”。杉本さんが「2016年8月14日、日付つきですよ!」と笑顔で話すこのウェアは、2016年のリオ五輪で錦織選手が銅メダルを獲得した時に着ていたものだ。

©TOKYO応援宣言

杉本さんは、錦織選手が13歳で渡米して以来、ずっと食事面でのサポートをし続けている。

杉本さんいわく、錦織選手は「JOTO」に来店する当日に、お寿司・たこ焼き・お好み焼き…と食べたいものをリクエストするそうだ。そのリクエストに杉本さんは、毎回応え続けてきた。

お店のメニューには“KEI ROLL(ケイ ロール)”の文字も。

©TOKYO応援宣言

これは、「錦織圭」の“圭”に“魚”へんをつけると“鮭”になることから、錦織選手が大好きな“鮭”をふんだんに使った一品なのだそう。実際に食べた修造も「心は本当にエアケイだよ。飛んでいる!」と大絶賛だ。

 

◆選手にとって“父”のような存在でありたい

「店に来た時は日本にいる時のようにリラックスしてほしい」――杉本さんはそんな思いで、かつては修造を、そして今は錦織選手ら海外で戦うアスリートを支え続けている。

思い出話に花を咲かせるなか、修造が杉本さんにふと「杉さん、テニス好きだよね?」と尋ねた。杉本さんは、「大好き!この道にどっぷり引きずり込まれちゃったから…抜けられないよね!」と答える。

©TOKYO応援宣言

実は、杉本さんは今から31年前、米国でテニスを学ぶため海を渡った。しかし、当時は周りに日本人も少なく、食事のサポートもなかったため、道半ばで夢を諦めることになった。

そんな杉本さんだからこそ、伝えたい思いがある。

「日本人をサポートしたい。自分がテニスで出来なかった夢ってあるじゃないですか。そういう(夢をもつ)人たちがもっと上に行けるサポートが出来たら、それで十分かなって思う。違う意味で“夢が叶えられる”かなと」(杉本さん)

「どんな存在でありたい?」と修造が聞くと、杉本さんは選手にとって“父”のような存在でありたいと話した。

その熱い眼差しは、2年後の東京へ――。杉本さんは1965年の早生まれで、54年前に行われた「東京五輪」とは言わば同学年。五輪そのものに特別な思いを抱いている。

海を渡って31年。杉本さんはこれからも、世界を相手に戦う選手たちの“父”として、熱く、そして優しく選手をサポートし続ける。<制作:TOKYO応援宣言>

©TOKYO応援宣言

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

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