「本人を出した?」と問い合わせも…大地康雄、リアル過ぎた『深川通り魔殺人事件』の犯人役
1951年11月25日生まれ。映画『衝動殺人 息子よ』(1979年)で映画デビューを果たし、1983年、実際の事件をもとに製作されたテレビドラマ『深川通り魔殺人事件』(テレビ朝日系)で犯人役を演じ、注目を集めた大地康雄さん。
リアルすぎる演技が強烈なインパクトを与え、たまにくる仕事は悪役ばかりという日々が続くが、『マルサの女』(87年)で初めて悪役以外の役を演じてブレーク。以降、映画、ドラマに多数出演。近年は映画の企画、主演もされている大地さんにインタビュー。
◆大地康雄、「金の卵」集団就職で上京したものの…
―実在の犯罪者をはじめ、数多くの役柄を演じてらっしゃいますが、まずは故郷の熊本時代からお話いただけますか―
「熊本で生まれ育って、小学校5年生の時に石垣島に転校して、石垣島で中学・高校に行きました。高校はできたてホヤホヤの商業高校。そこでさまざまな資格を取得して、初代生徒会長もやっていました」
―すごいですね―
「いやいや、もともとは生徒会長に立候補した友だちの応援演説をする役目だったんですけど、その演説の際の自己紹介が大ウケして、私が生徒会長を引き受けることになっちゃったんです。でも、やるからには楽しまなきゃ損ですからね。女子と交流できるようにフォークダンス大会を企画したり、卒業時には学校に300本の植樹もしました」
―卒業されてからは?―
「大学に行きたかったんですけど、家が貧乏だったので、集団就職で上京しました。おふくろに少しでも楽をさせてあげたかったですからね。
片道の旅費もない家でしたけど、当時私たちは『金の卵』と言われてね、旅費と支度金が出て上京して、大手スーパーに就職しました。
でもね、出身地によって待遇が全然違うんですよ。関東組はネクタイ締めてきれいなOLさんと一緒に上階で仕事をしているのに、我々沖縄組は作業着を着て毎日、地下の倉庫で汗だくになって肉体労働。食堂ではみんな一緒になるわけですから、『関東組は楽しそうだなあ』って見てましたね」
―待遇が違いすぎますね―
「沖縄組のひとりが『俺はもうやめて俳優になる。今度の日曜日にオーディションがあるから行く』と言ったんですよ。
私も仕事に飽きていたし暇だったので、そのオーディションに付いて行くことにしたんですけど、その途中、新宿の西口公園で、銀幕の大スターの松原智恵子さんが撮影していましてね。それを見て『俳優って良いなあ。こんなにきれいな人と仕事ができるんだ』って思って。いい加減な動機ですよね(笑)。
それで、オーディションに行ったら、『海で溺れそうになっているところにヘリコプターが来るから、それに向かって助けを求めるパントマイムをしなさい』って言われたんですよ。
それで、石垣島で竹富島まで友だちと泳いで行った帰りにサメと遭遇して、夢中で逃げた恐怖体験を思い出して演技したら俺が受かったんですよ。友だちは落っこちて(笑)」
―オーディションに受かったのに、そのときは俳優になるのを断ったと聞いています、なぜですか?―
「いやあ、俳優というのは高嶺の花ですから、田舎者にとってはね。
高倉健さんとか石原裕次郎さんのようにカッコいい人がなる仕事ぐらいにしか思っていませんでしたから」
このときには俳優になることを断念した大地さんは、商業高校で取得した資格を活かし、銀座にある自動車会社で経理事務の仕事に就く。しかし、1年後、計算、計算の毎日に悩み始めたとき、1年前に俳優のオーディションに受かったことを思い出して退職する。
◆伊藤雄之助に弟子入り、髪の毛が…
俳優になると決意して会社を辞めた大地さんは、友人がやっていたガラス磨きのバイトを引き継いでやることに。お金持ちの家に飛び込みで行って、ガラスを磨かせてもらうのが仕事。ある日、新規のお客を開拓するために偶然たどり着いたのが、黒澤映画などで知られる俳優、伊藤雄之助さんの自宅だった。
―日本映画の黄金期を支えた名脇役・伊藤雄之助さんに弟子入りすることにした理由は?―
「黒澤映画にも出ていましたし、本物の俳優さんだというにおいがしたんです。
田舎者だからほかにツテもなかったですし、あちこち行ったけど、全部断られて、もうここしかないと思って。ずっと不在だったので、『きょうはガラスだけ磨いて帰ります』って言って、ガラスを磨いて帰ってたんですよ。そしたらしつこいと思ったんじゃないですか奥さんが『うちは弟子を取らないのよ。みんな夜逃げして出て行っちゃうのよ。厳しいから』って言うんですけど、ますます私もファイトが沸いて、『こういう厳しいところでやらせていただいたほうが良いな』って。
それで8回目に伺ったときに先生がいらして、『君はしつこく来ているらしいけど、誰の紹介だ?』って。「いや、紹介はないです。僕は沖縄から出てきて、それで今俳優を目指して勉強しているんですけど、何のツテもないもんですから、先生みたいな良い映画に出られるような俳優になりたいんです」って、思いをバーッと伝えたら弟子入りできたんです。
―お弟子さん生活はいかがでした?―
「いやあ、厳しかったです。毎日怒られてばかりでしたね。
セリフの相手をさせていただいたり、演技の個人レッスンもしていただいたんですけど、こういう風にするんだとか、こういう気持ちで…とか色々ね。
うっかり台本をまたいでトイレに行ってしまったときなどは『何をまたいたんだ?これで役者はご飯をいただいてるんだ。それをまたいで通るとは何事だ』って、怒鳴られました。
そういう基本中の基本、つまり精神から鍛えられましたね。それでだんだん髪の毛が薄くなってきちゃって(笑)。でも、最低限のお金はいただいていたので、ありがたかたったです」
約2年間、伊藤雄之助さんのもとで修業した大地さんは、新たな道を目指して弟子生活を卒業。アルバイト生活をしながら演技の勉強を続ける。そして26歳の時に映画に出演することになる。
◆木下惠介監督と出会い、そして殺人犯で逮捕?
※映画『衝動殺人 息子よ』(1979年 木下惠介監督)
実際の事件モデル。一人息子を突然、通り魔に殺害された両親(若山富三郎・高峰秀子)の悲しみ、そして同じ境遇の人々とともに被害者救済の法律を作る運動を進める姿を描く。
大地さんは、藤田まことさん扮する中沢工務店主の娘を惨殺する犯人(通り魔)を演じている。
―木下惠介監督の『衝動殺人 息子よ』で映画デビューされて―
「26歳のときでした。もうクランクインしていたんですけど、あの役の俳優がなかなか決まらなくて、お困りになっていたそうなんですよ。
それで、大船の松竹撮影所に私が急遽ピンチヒッターで呼ばれて行ったんですよね。そしたら、娘を殺された父親役の藤田まことさんの家のシーンを撮影なさっていて。
そこにプロデューサーの方に連れられて行ったら、監督が撮影を中断して出てこられて私の顔を10秒か20秒くらいご覧になっていて、『よし、君でいこう』っておっしゃったんです。早かったんですよ」
―セリフのテストもなく、それだけで決まったんですか―
「ええ。よっぽど私の顔がワルに見えたのかどうかわからないんですけど、それで台本をいただいて、見てみたら、取り調べ室のシーンで、刑事さんの質問に対してベラベラしゃべるセリフが、台本1ページくらいあったんですよ。
『ウワーッ、大変だ』と思って(笑)。それでも自分がリアルにやらせていただいたら、そこを全部使っていただいて、OKになって…。
その帰りに初めて、自分を少し燃焼して役を表現できたかなあっていう俳優の喜びみたいなものを感じて。
2月で雪がコンコンと降っていてね。大船の駅のホームから観音様に雪がバーッと降っているのが見えるんですよ。『もしかしたら俺は俳優としてやっていけるのかな』って初めて、何かかすかな光が先に見えたっていう感じがして、電車がきても10本以上やり過ごして、ジーッと観音様を見ていたのを覚えていますね」
―映画に出演された後はどうでした?―
「そううまくはいかないですね。まだずっとアルバイトしながらやってたんですけど、たまに来る仕事は悪役ばかり。顔の相に出るんですよね。たとえば悪役が続いたりすると、仕事がない、心が荒廃していく、アルバイトも歌舞伎町で夜の世界のちょっと危ない感じ、それが全部顔の相に出るんです。
夜12時から明け方、朝までのカウンターで水商売のアルバイトをしてたんですけど、ある夜、バイトに遅れそうだったので、11時頃東口の交番前を早足でダーッと歩いていたら、いきなりおまわりさん2人から腕を掴まれたんですよ。『課長、いました。確保!』って」
―何かの犯人だと思われたんですか?―
「そう。『長野で殺しがあって、犯人が新宿方面に逃走中。モンタージュがお前にピッタリだ』って言うんですよ(笑)。それで1時間ぐらい色々問答しまして、私がつとめている店の店長に来てもらって、事情を説明して帰してもらったんですけどね。でも、顔に出ていたんでしょうね。何か余裕のない顔っていうんですかね。眉間にシワが入って。
でも、そういう感じも合っていて『衝動殺人 息子よ』の殺人犯役が決まったのかもしれないですけどね(笑)」
◆大地康雄は“ピンチヒッター俳優”?
映画『衝動殺人 息子よ』から5年、実際の事件をもとにしたドラマ『深川通り魔殺人事件』(テレビ朝日系)の犯人役のオファーが。
―オファーが来たときはどうでした?―
「そのときはプロの俳優20人ぐらいのオーディションがすでに終わっていたんですよ。
でも監督が『違う、違う、違う』って言って、21人目に私が呼ばれたんですけど、この監督は『衝動殺人 息子よ』をご覧になっていて、『君、犯人やってたね』って、それで決まったんですよ。だから、これもピンチヒッターですよね。
髪の毛が薄い俳優をということだったので、伊藤雄之助先生の2年間の修業生活で髪の毛が薄くなっていたのが良かったみたいです。何が幸いするかわからないですよね(笑)」
―あのドラマはリアルでかなり話題にもなりました―
「視聴率26%ぐらいあったもんですからね。それで、ああいう人間だと間違われてしまいまして、リアルにやりすぎたかなあと思って(笑)。
本人は刑務所に入っていたんですけど、『本人を出したのか?』とテレビ局に問い合わせがあったと聞きました。
実は、撮影に入る前に監督から『役作りでちょっと本人に会ってみるか。面会してみるか』って言われたんですけどお断りしたんです。自分のイメージだけでやったほうが良いと思って、裁判資料から何から全部読み切って、生い立ちから全部からだに入れて、やらせてもらいました」
リアルすぎる演技で注目を集めたものの、あまりにもインパクトがありすぎて、極悪人のイメージが定着。たまに来る仕事は、またステレオタイプの悪役ばかり。再びバイト生活に。
プライベートで飲みにいっても女の子が悲鳴をあげて逃げる始末。次回は、そんな大地さんに訪れた転機、伊丹十三監督との出会い、そして憧れの三國連太郎さんとの思い出などを紹介。(津島令子)
※『じんじん~其の二~』
大地康雄が企画し、主人公の大道芸人・立石銀三郎を演じる人情喜劇シリーズ第2弾!監督:山田大樹 出演:大地康雄、福士誠治、鶴田真由他。
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