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伏見工業高校のPTAから抗議も…松村雄基が振り返る「大映テレビドラマ」の撮影秘話

©テレビ朝日

少年の非行や校内暴力が社会問題になっていた1984年10月~85年4月まで放送され、話題を集めた大映テレビドラマ『スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~』=以下『スクール☆ウォーズ』(TBS系)

ラグビー元日本代表メンバーの山口良治氏が、校内暴力で荒れる京都市立伏見工業高等学校に教師として着任し、無名の弱体チームだったラグビー部を全国大会優勝に導いた実話がモデル。このドラマで山下真司さん演じる主人公の教師・滝沢賢治の手を焼かせながらも、ラグビーに青春を捧げる最強の不良・大木大助役でブレークした松村雄基さん。

『ポニーテールはふり向かない』、『不良少女と呼ばれて』、『乳姉妹』など、大映ドラマ黄金期に欠かせない存在となった松村さん。最近では渋くてイケメンなベテラン俳優としてドラマ・舞台等で活躍する他、歌手、剣舞、内閣総理大臣賞を受賞した書道などマルチな活動で注目されている。

©テレビ朝日

 

◆『スクール☆ウォーズ』ですべてが激変

-松村さんと言えば、やはり『スクール☆ウォーズ』ですね-

「そうですね。よく言われます。あのときは20歳だったんですけど、だいたいみんな同じ20歳前後だったんですよ。自分が18歳のときに出たドラマ『ぼくらの時代』(1981年)のときには、2歳しか違わない20歳の柳葉敏郎さんが『おっさん』だと感じたものですけど、自分の年がちょっと上になるとね、都合良いもので、だいたい一緒って考えるんですよ(笑)。

特に大映テレビのドラマは出演者もほぼ変わらなくて役名だけ変わるという感じなので(笑)。前は敵だったのに、次のドラマではお父さんだったりしてね(笑)。

だから、もう家族みたいでしたね。スタッフも含めて。大映テレビにずっといましたもん。ひとつのドラマが終わる頃には次のドラマの撮影が重なって始まるので、1年中ずっといるんですよ。大映テレビの中河原スタジオに」

-『スクール☆ウォーズ』の時はラグビーの練習もされたのでしょうね-

「事前にケガをしない程度に色々やっておいたほうが良いということでやりました。やっぱり、若いときというのはとにかく体を動かしたいんですね。いろんな意味でリフレッシュできてストレスの発散にもなっていましたね。

誰がトライするのも決まっているし、タックルするのも決まっているんだけれども、みんな無我夢中になっちゃって、ちょっと本気になっちゃうようなこともあったし、グランドでワイワイ騒いでいるのは本当に楽しかったですよ」

-泥まみれになって-

「そうです。あんなに泥まみれになるのは、小学生以来ですからね。普通はならないですよ。それがなって良いんですもん。泥にバシャーッて突っ込んで行くんですから。あんな経験はそうそうないですから本当に楽しかったです(笑)。楽しいとかそんなのばかりで、本当に役者としての自覚がまったくなくて何ですけど…(笑)」

-共演者の皆さんは、ある意味同志みたいな感じでしょうね-

「そうです。戦友、同志、同じ釜のメシを食った仲間という気がしますね」

-一番印象に残っているエピソードは?-

「僕のクランクインの日、初めて撮影したシーンです。スタッフは『不良少女と呼ばれて』のスタッフが多かったので、見知っている人も多かったんですけど、山下真司さんとも初めてでしたし、いきなり難しいシーンの撮影で…。

それは、心臓が悪い母親にはケンカしたことを言わないと約束していたにも関わらず、学校側がそれを破って母親に告げたため、ショックで発作を起こしてしまい、激昂した僕が教頭室に殴り込む。で、まさに今、殴ろうとしているところに山下さんとキャプテンが入ってきてとめられて、先生の言葉に胸をうたれて涙するというシーンだったんですけど、泣き出したら止まらなくなって…。

あの頃は撮影がフィルムだったので、朝一番から撮り出して夕方近くまでかかったんです。1カットずつ撮って。カット変えるたびに泣いていた涙を繋げなきゃいけないじゃないですか。

だけど、ここで目薬を使う気にもならず…。山下さんの言葉とか、自分の仲間のことや母親のことを思う気持ちになるとポロポロって涙が出て来て、7、8時間ずっと泣いていました。初めて会った山下さんが『いやあ、きれいな涙だったよ』って言ってくれたりして。それが撮影初日だったものですから、一番おぼえていますね」

-撮影初日から演じる役とシンクロして-

「そういう現場にしてもらったんですね。それは山下さんのこの現場を持っていく雰囲気とか、スタッフの現場作り、あとは脚本ですね。そのときにはとても僕の心にヒットしたんだと思います」

©テレビ朝日

 

◆松村雄基、伝説のシーン…歌いながら人を殴る?

-ケンカのシーンも結構ありました-

「よくケンカしてましたね。そういう意味では後にも先にもないですけど、歌いながらケンカしたというのは思い出深いシーンですね(笑)」

-名場面として話題になったのが、松村さんが歌いながら不良たちとケンカをするというシーン、どうしてここで歌うのかなって思いました-

「本当ですよね(笑)。あれは脚本の先生がたが、ほかにはない“大映テレビイズム”をどこかでと思ったのかわからないですけど、原作にはそんなことは書いてないわけですからね。歌いながらケンカしたなんて記述はないんですよ。何でそれも『東京流れ者』なんだろうと思いながらやっていましたけど、あれは衝撃的でした(笑)」

-不思議だけどそういうものかなと思わせてしまうところが大映テレビですね-

「そうなんです。それを僕たちは『大映トリップ』と呼んでいました(笑)。とにかく本当にトリップしたような気分にさせてくれるんですよね。大映のあの作りは。現場もそうでしたから。誰一人、クスリとも笑いませんでしたよ。

普通はね、『お前やる気かよ。歌いながら人を殴るの?』って思うでしょう?(笑)それが、みんな真面目で、殺陣師だって、『じゃあ松村君、ここで、風はひとりで吹いている~って歌って学ランを脱いで、ここでパンチね』って真剣に殺陣をつけるんですから、僕だって笑ってる場合じゃない。誰もあれがおかしいなんて思いませんでしたね」

-何だかんだ言っても引き込まれて見ていました-

「まあ、あれだけじゃなかったですけどね。全般的に大仰なセリフが多かったし、劇画チックでしたよね、作りが(笑)」

-回を重ねるごとにすごい話題になって-

「そうですね。最初はモデルになった伏見工業高校のPTAの方々から、『やめてくれ。あんな学校じゃないんだ、今は。もう立派に更生しているんだから、あんな不良ばかりがいると思われたら困る』と抗議されたんです。

こういうドラマにするということを大映テレビやTBSのスタッフも説明したらしいんですけど、描かれ方がエゲツないって。

でも、放送が終わる頃になったら、そのPTAの皆さんが、『是非、続編を!』って言ってきましたからね。つまり、一度は道を踏み外したけど、こんな風に更生して良くなってきたというのがわかってきたら変わったんですよ」

-ショッキングなシーンがたくさんありましたね-

「ひどかったですよ。先生を窓から吊り下げちゃうし、殴る、蹴るはしょっちゅう。おまけに校舎内をバイクで走ったり…。でも、本当にバイクで走っていたらしいので、うそじゃないですから」

「最近、あるイベントで『スクール☆ウォーズ』の名場面を大画面で映すという計画があったんですけど、関係者から直前に『ダメだろう。人を殴る場面とか、教師が生徒を殴る場面を映しては』って言われてイベントが、前日に中止になったことがあったといいます。

僕が思うに、不良を礼賛(らいさん)しているわけでもなんでもなくて、人は変われるんだぞということをどこかのテーマにあげてるじゃないですか。だって本当に不良だった学校が、7年で日本一になるということは、まさにそういうことで、どんなに足を踏み外しても、やり直しはできるんだということ。

それはいろんな人の思いとか愛とかでできるんだということをみんなにわかってもらうドラマだったのに、その一場面だけを取って、まかりならんと言われてしまう。それは残念ですね」

-あれだけ注目を集めたドラマで不良役を演じているとケンカを挑まれたりするのでは?-

「ありましたよ。しょっちゅう『ケンカしてくれ』って言われていました。『ケンカしてくれ』って頼むこと自体、おかしいでしょう?ケンカは何かいさかいがあってするんだけど、『松村さん、ケンカしてよ』って(笑)。

でもね、その『ケンカしてよ』も、当時から思っていたんですけど、可愛い感じがしました。どこか純粋なんですよ。本気じゃないし。

どこかプロレスラーやお相撲さんに憧れるような、ちょっと強い人間と相まみえてみたいなという思いもありつつ、でもこれはドラマのなかの人間だということも知っていて、しゃれっ気でちょっと言ってくるという感じがしていたので」

-「ケンカして」と言われたときには何て言うのですか-

「ケンカはもちろん断るんですけど、『じゃあ、松村さん、握手してよ』って言われたら握手はするんですよ。そうすると、『やったよ。これでケンカ強くなったよ』って帰って行くんですよ。かわいいでしょう?(笑)あの当時の不良は可愛かったんですよ」

-限度がわかっていた感じがしますね-

「若いときにある程度のコンタクト、心的にも肉体的にもね、親でも友だちでも先生と生徒でもぶつけ合うことが必要なんじゃないかなと。

で、誰かを傷つけたら自分の心もからだも痛いし、傷つけられても心もからだも痛いという経験をしておくと、ある程度の限度が自分のなかで決まるじゃないですか。リミットが。

だけど、そういう経験を一切しないで、学校から家に帰ってゲームしかしてなくて、リプレーのできる世界、バーチャルなところにしかいないと、それこそ限度がわからなくて、死に至ることがリアルとしてわからなくなるんじゃないか。何だったらリプレーできるんじゃないかと思うようになってしまうのではないかって思いますね」

-こども同士が取っ組み合ってということもないようですからね-

「ケンカは決して良いことではないし、推奨(すいしょう)するつもりもないけれど、なんでもかんでもダメというのは、ちょっと行き過ぎのような感じがしますね」

-『スクール☆ウォーズ』は伝説の青春ドラマですが、テレビでの放送は難しいですね-

©テレビ朝日

 

◆松村雄基、暴走族の車に囲まれて

-暴走族に囲まれたこともあったと聞きました-

「ありました。21歳のときに車で撮影所に向かっていたら、ものすごい渋滞になっていて、パって見たら、みんな暴走族なんですよ。みんな料金所に向かっていて、ただでさえ渋滞するのに、それとはちょっと違う渋滞だったんですね。

そして僕が運転していたら、近くの車に乗っていた暴走族の若者が僕のことを発見して、渋滞でゆっくり走っていたので『松村さん、握手してよ』って。ゆっくりだけど、車に乗って走ってるんですよ。

それなのに箱乗りで、手を伸ばしてくるもんだから、こっちもしょうがない。『危ないよ』って言いながら握手してたんですけど、彼らがみんなに『松村雄基がいるよ』って教えちゃうから、少しずつずれながら、次々と来て…。

そのときは写メなんかないですから、ただただ声をかけて行くだけだったんですけどね。それで料金所に行ったら、シャコタン(車高を低く改造した自動車)の検問をやっていて。彼らのせいで渋滞してたんですよ。取り締まりで。

で、見たら、みんな『なにわナンバー』。大阪から来ていたんですよ、東京まで。それで、その何十台かの暴走族車がみんな警察官に『はい、こっちこっち』って呼ばれて行くんですよ。脇に寄せられて。

それで、やっと通れると思って進んだら、彼らが僕に向かって、『松村さーん、立派な不良になりまーす』って僕にデカい声で、警官がいっぱいいるのに言うわけですよ。みんなで僕に手を振って(笑)。まあね、可愛かったですよ」

ケンカ早いが男気があって、根は優しい不良役で全国のやんちゃな若者たちの憧れの存在となってしまった松村さん。次回後編では芸能界デビューのきっかけ、知られざる介護生活、書家としての顔を紹介。(津島令子)

※舞台『人生最高の輝きを今~黄昏~』
8月10日(金)~8月27日(月)紀伊国屋ホール
演出:鵜山仁 出演:八千草薫、朝海ひかる、松村雄基、若山耀人、伊藤裕一、村井國夫
問い合わせ チケットスペース 03(3234)9999