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俳優・三浦浩一、本当は落ちていた伝説の“東京キッドブラザース”。律儀な行動で逆転入団「もしあの時ネコババしていたら…」

1977年、伝説のミュージカル劇団・東京キッドブラザースでデビューし、柴田恭兵さん、純アリスさんらとともに多くの舞台に出演してきた三浦浩一(みうら・こういち)さん。

1980年に『風神の門』(NHK)に主演して以降、『鬼平犯科帳』(フジテレビ系)、『剣客商売』(フジテレビ系)など時代劇シリーズにも多数出演。舞台『リア王2024』(演出:横内正)の公演を終えたばかり。

2024年11月1日(金)に映画『ぴっぱらん!!』(崔哲浩監督)が公開される三浦浩一さんにインタビュー。

◆律儀な性格で入団することに

鹿児島県で生まれた三浦さんは、父の仕事の関係で小さい頃に東京に引っ越し、中学2年生のときに岐阜へ転校。映画館に通い、数々の名作を見てスクリーンの世界に憧れていたという。

「中学生の頃から俳優になりたいと思っていて、中学を卒業したら劇団に入ろうと思っていたんですよ。それが父親に高校に行けと言われたから仕方なく高校に行ったんですけど、そこで剣道と出会って。

演劇部に入ろうと思っていたら、剣道部の顧問が全日本選手権で2位になった先生だったんです。僕は中学2年までいた東京で剣道同好会に入っていて、そのときにたまたま全日本選手権をテレビで見ていたんですね。

だから、こんなにすごい先生がいるんだったらと思って剣道部に入りました。でも、それで良かったです。本当にあの先生は恩師です。精神、心とからだを鍛えてもらいました」

――仕事にも活かされていますね。映画『ねらわれた学園』(大林宣彦監督)では熱血教師で剣道部の顧問の先生でした。

「そうですね。やっぱり構えとかはサマにはなると思います。本当に運が良かったとしか言いようがないですね、僕は。

でも、高校に入ったら、大学にも行けって言われて。父は僕の将来を考えて大学に行ってほしいと考えたんでしょうね。受かるわけないと思ったのに奇跡的に日大芸術学部映画学科に受かったんですけど、2年のときにおふくろが死んじゃって。

おふくろの死の間際に『俺は絶対に俳優になるから』って言って退学して、それからアルバイトを色々やりながら養成所をいくつか転々としていたときに、キッド(東京キッドブラザース)のオーディションの記事を見たんですよ。その記事を見たのも本当に偶然という感じで。

新宿の西口に『三銃士』というバーボンハウスがあって、そこでバーテンダーのアルバイトをしていたときに店にあった新聞をなんとなく開いたら、『東京キッドブラザース オーディション』という記事が出ていたんです。

キッドのお芝居を見たことはなかったですけど、その当時ニューヨークで『GOLDEN BAT』というミュージカルをヒットさせたという記事がニューヨークタイムズにまでデカデカと出ていて、そういうニュースだけは知っていたんです。

でも、その頃は映画に憧れていたから、舞台、それもミュージカルをやる気なんてさらさらなかったんですけど、他に心惹かれるものがなかったのでオーディションだけでも受けてみようかなって思って。

キッドに行けば何か世界に出られるんじゃないかみたいな、そういう甘い考えもありましたね。でも、僕はキッドのオーディションに本当は落ちていたんですよ。

オーディションが10月にあったんですけど、12月24日に沢田研二さんの武道館公演があって、その演出をキッドの主宰者の東(由多加)さんがやっていて。それで、2幕の頭で沢田研二さんがリオのカーニバルのようなギンギラギンの台車の上に乗っかって登場するから、そのギンギラギンの台車の周りで踊るやつらが欲しいと言われて。

僕は身長がある(180センチ)から来てくれって言われて行ったんです。柴田恭兵さんとかもギンギラギンに飾られて一緒に踊っていましたよ(笑)。だから、僕のデビューは、その12月24日の沢田研二さんの武道館のステージなんですよ。

そういうことがあったから、僕は勝手にキッドのオーディションに受かったと思っちゃったんですけど、年が明けても全然連絡が来ない。おかしいなと思って電話したら、『ちょっとすみません。今回三浦さんにふさわしい役がなくて』って言われて。

その前に、もし売れたら…みたいな感じで『黄色いリボンPART II』のチケットを20枚預かっていたんだけど、僕はアルバイトを色々やっていたから知り合いがいっぱいいたので20枚なんてあっという間に売れたんですよ。

そのチケット代をどうしようか迷いましたよ。オーディションに落ちているのにこのチケット代どうしようかなって思ったけど、几帳面だから『これチケットが売れたので』って持って行ったんですよ。

そうしたら制作の人が、僕がいないところで東さんに『三浦っていうのが律儀に金を持ってきたよ』って話してくれたみたいで、東さんが『じゃあそいつ呼んで』って言って、それで首が繋がったの(笑)。

だから、あのときに僕がオーディションに落ちたからってチケット代をネコババしていたら、完全に落ちていましたね。チケット代を持って行ったからキッドに入ることになったんですよ。だから、わからないものですよ、人生って(笑)」

◆柴田恭兵と敵対する大役

三浦さんが東京キッドブラザースに入ったときは、柴田恭兵さんはすでに在籍していて、純アリスさんは客演としての参加だった。

「稽古場に行ったら僕の役なんかないんですよ。その当時はコミューン運動、理想の家族というか、そういう運動がアメリカでもあって、キッドもコミューン運動をやっていて。

鳥取県の砂漠に、『サクランボ・ユートピア』(故郷を持たない者たちのユートピアを作るために立ち上げたプロジェクト)というコミューンを作ると言って、そんな運動をやっていたんだけど、それがポシャッてすったもんだになって。

『黄色いリボンPART II』というのは、それを題材にしたお芝居で、全然血の繋がってない人たちが集まって家族を作って…という話なんですよ。それで、僕は最初役がなかったんだけど、『じゃあお前、馬やれ』って言われて馬をやらされたり、ニワトリや家畜をやらされたり、色々していて。僕は家畜でもいいからやろうと思っていたんですよ。

ヒーローは柴田恭兵さんでそのコミューン運動を潰すダーティハリーという役をやることになっていたのが、ザ・テンプターズのドラマーだった大口広司さん。最後は、ヒーローとダーティハリーが戦うことになるんですけど、稽古が始まっても大口さんが来ないんです。

僕は家畜役をやっていたんだけど東さんに『お前ちょっと大口さんの代わりにやって』って言われて稽古場でやっていたわけですよ。それで、大口さんは結局本番にも来なくて。嘘みたいな話でしょう? 大口さんが来なかったおかげで、僕は家畜役じゃなくてダーティハリー役をやったんですよ。

黒ずくめの衣装で、最後の最後に客席に降りて行って、ブーツでマッチを擦ってタバコに火つけて、『俺はダーティハリーって言うんだ』と言って、撃ち殺されちゃうというエンディングなんですけど。

大口さんが来なかったおかげで、柴田恭兵さんと敵対するような大きい役をいただいてみたいな(笑)。だから僕は本当にスレスレなんですよ。これまでの全部がスレスレで何とかなってきたという感じですね(笑)」

1980年、三浦さんは『風神の門』(NHK)に主演。このドラマは戦国末期を舞台に、霧隠才蔵、猿飛佐助ら若き忍者たちが、時代の荒波と闘いながら活躍する様を描いたもの。三浦さんは主人公・霧隠才蔵役を演じた。

――いきなり時代劇に主演と聞いたときはいかがでした?

「それは、びっくりもいいところだったですね。キッドに入ってしばらくして、新宿・歌舞伎町の裏、職安通りから少し脇に入ったビルの地下に『シアター365』という、1年間365日毎日芝居をやる劇場をキッドが作ったんですよ。

たのきんトリオが出るちょっと前のエアポケットのようなときで、その時期にシアター365で毎日芝居をやっていたので、『セブンティーン』とか『プチセブン』とか、中学生、高校生の女性が見るような雑誌の記者の方たちが目ざとく、毎週のように記事を書いてくれたんです。そうしたら、女の子たちが山のように押し寄せて来て…という感じで(笑)。

そんなときに、東さんが『今日はNHKの人が見に来るからみんな頑張ってね』みたいなことを言ったので、なんだろうと思っていたんですよね。

そうしたら、女の子ばかりいるところにスーツ姿のおじちゃんたちがゾロゾロと来て、それがNHKの方たちだったんですよ。それで、芝居が終わってしばらくしてから、『三浦、水曜時代劇の『風神の門』が決まったよ』って言われて、『ええーっ?』って(笑)。

そのときに僕のお芝居を見てくれてということだと思うんですけど。多分NHKの方たちは、いろんな劇団で新人の俳優がいないか探していて、たまたま目に留めていただいたということなんでしょうね」

――決まってから大変だったのでは?

「すごく目まぐるしかったですね。すぐにカツラ合わせとか衣裳合わせとか、色々始まって。だから不思議でしょうがないです。だって、キッドのファンは僕のことを知っているにしても、世間の人は三浦浩一なんて、どこの馬の骨みたいな感じで(笑)。本当にそうなんですよ。

だから、金子成人さんという脚本家の方もそうですけど、プロデューサー、演出家の方もよく三浦でいこうってなったなあって(笑)。

それでカツラを作るために頭の大きさとか、クリ(かつらの縁の線のこと)を合わせて。そういう偉い人たちがいるところでメイクの栗山さんという方が出来上がったカツラを僕の頭に被せたら、みんながホッとしたっていうね(笑)。

そういう空気を感じたんですよ、僕自身も。そのカツラがすごく合っていたんです。僕の顔と最初のイメージに。皆さんもこれはいけるってちょっと思ったんじゃないですか。そんな感じでしたね。

僕は普通のリハーサルもやったことがなかったんです。キッドは台本がないんですよ。だから、ちゃんと台本があってみんなで読み合わせをして…という、そういう当たり前のことをやったことがなかったんです。

キッドは稽古の朝、その辺の喫茶店で東さんが紙に鉛筆でセリフを書いて、それを稽古場に持ってきて、『じゃあ、今日は三浦と誰々ちょっと』って呼ばれて。その紙を見ながらとりあえずやるという作り方だったので、1冊の台本をみんなで顔を付き合わせてやるっていうのが初めてで下手っぴなわけですよ。

セリフを読んで、そこにちゃんと感情をのせてやるということができてない。だから僕のすぐそばにいる孫八役の北見(治一)さんに撮影が始まってしばらくしてから、『三浦君、顔合わせで(座ったまま)読み合わせをしたときに、あまりにもひどくて僕は椅子からずり落ちそうになったんだよ』って言われましたよ(笑)。

でも、ちゃんとからだを動かしてやるようになってから、何とかなるかなって思ったけど。あのときの共演者の方もすごい人ばかりだったんですよ。竹脇無我さんとか多岐川裕美さんをはじめ、そうそうたる人たち。そんな中に僕がド新人で入ってきたものだから、みんな『大丈夫かな?』って不安だったと思います。

『風神の門』は、25歳の頃から撮影が始まって、放送は26になる年でしたね。あの作品のおかげで僕の顔と名前が一応全国区になって、それはやっぱりNHKの強みですよね、本当に。あれがなかったらどうなっていたかわからないです」

三浦さんは、映画『ねらわれた学園』(大林宣彦監督)、『スクール☆ウォーズ』(TBS系)、『野々村病院物語』(TBS系)などに出演。1989年には、はまり役として知られる『鬼平犯科帳』(フジテレビ系)の密偵・伊三次役を第7シリーズまで演じることに。

次回はその撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※三浦浩一(みうら・こういち)プロフィル
1953年12月4日生まれ。鹿児島県出身。1977年、東京キッドブラザースにて俳優デビュー。1980年、『風神の門』で主演デビュー。『鬼平犯科帳』、『剣客商売』(フジテレビ系)、映画『いちばん逢いたいひと』(丈監督)、舞台『王女メディア』などに出演。2024年10月4日(金)~10月14日(月)、ミュージカル『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』(品川プリンスホテル ステラボール)、2024年11月1日(金)に映画『ぴっぱらん!!』の公開が控えている。

©ワールドムービーアソシエーション

※映画『ぴっぱらん!!』
2024年11月1日(金)よりテアトル新宿、アップリンク吉祥寺他にて全国順次公開
配給:渋谷プロダクション
監督:崔哲浩
出演:山口祥行 崔哲浩 福士誠治 金守珍 津田寛治 渡辺哲 三浦浩一ほか

大人気任侠ドラマシリーズ『日本統一』の山口祥行×『北風アウトサイダー』崔哲浩×『ある用務員』福士誠治トリプル主演の、豪華キャストで贈るヒューマンバイオレンス映画。25年前、全国で名前を轟かせていた百鬼(なぎり)三兄弟だったが、突如一家の大黒柱の父・百鬼剛(金守珍)が何者かに暗殺されて以来、離れ離れになっていたものの、固い絆で繋がっている3兄弟(山口祥行 崔哲浩 福士誠治)が集結。本家と構えることに…。

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