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タランティーノ、スコセッシ…名匠の作品に出演した俳優・菅田俊が語る撮影秘話

©テレビ朝日

1955年2月17日生まれ。山梨県出身。菅原文太に師事し、映画『アウトレイジ ビヨンド』映画『ポチの告白』などの日本映画から、映画『キル・ビルVol.1』映画『ラスト サムライ』など海外の名匠、タランティーノ、スコセッシにも次々と起用され、圧倒的な存在感を放っている菅田俊

187cmの長身でヤクザ役や刑事役が多いため、一見怖そうに見えるが、実はシャイで物腰も柔らかいすてきな人。下積み時代には高倉健、菅原文太、鶴田浩二など大物俳優とも深い関わりを持つ。

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◆菅原文太の付き人に、そして宇梶剛士が弟分に…

-文太さんの付き人になったのは?-
「東映のプロデューサーの俊藤(浩滋)さんに『鶴田(浩二)さんと菅原さんの現場に行って勉強しろ』と言われて、最初は2人に平均的に付いていたんですけど、菅原が自分みたいなのを欲しかったんでしょうね。ボディガードじゃないですけど。(笑)

それで『お前はうちの身内だから菅原一家のもんや』って。

そこへ俊藤さんから役者志望の宇梶(剛士)を『コイツはお前の弟だから、生涯弟だから』って紹介されて、今も兄弟として付き合ってるんですけど。(笑)それで菅原が宇梶にも『お前もうちの人間だから』って(笑)」

-そうなると、もう鶴田さんのところには行けないですね-
「そうなんです。ただ、高倉健さんの任侠映画を見て育ったので、どちらかというと菅原よりも健さんに憧れていたんです。それで『動乱』という健さんの映画に出たとき、撮影が終わったらサインをもらおうと思って、色紙とサインペンを衣装の軍服のなかに入れてたんです。自分は健さんが処刑されるシーンで撃つ役目だったんですけど、健さんのことは撃てないと思って、それで隣にいた大部屋の先輩に場所を交換してもらったんですけど、そのときに色紙とサインペンが落ちちゃったんですよ。

そしたらもう監督から何からスタッフみんなに『お前何しとるんじゃ、こらー、遊びに来とるんかー』って怒られて…。(笑)

でも、そのとき、健さんがサインしてくれたんですよ。それでもう死ぬほどうれしくて…。それで、その後で健さんに呼び出されて『お前、菅原と鶴田さんに付いているみたいだけど、付き人は一生付き人やぞ』って言われて、健さんのスイングトップをいただいたんです。それがもう自分の宝みたいになって」

-憧れの人ですものね-
「そうです。それで健さんの言葉も頭に残っていたんでしょうね。モヤモヤしているときに菅原とちょっとしたことから大げんかになって、破門にされちゃったんです。

それで破門にされたのは良いですけど、行くところがないんですよ。

しばらく、芸能界でも生きられないなあと思ったものですから、ちょっと地下に潜ろうと思ったときに、根津(甚八)さんが安岡力也さん一派にいじめられているところを見かけたんですけど、それまで黙っていた根津さんがビールのグラスをストンと置いて、『俺もやるときはやるぞ』って言ったんですね。『カッコ良いなあ』って思って、小林薫さんがNHKに出ていたのもあって、あの人たちの劇団に入ろうと思ったんです」

-唐十郎さんの「状況劇場」ですね-
「はい。門前払いをくらったんですけど、一晩中玄関のところで待っていて、唐十郎が新聞を取りに出てきたところで『すみません。弟子にして下さい』と言ったら、『菅原さんから焼酎と手紙が届いています』って言われたんです」

-文太さんからですか-
「はい。驚きました。そしたら、『でかい変な奴が行くかもしれないけど、行ったら、唐、頼む』って言って、『鬼殺し』の甕(かめ)の焼酎2つと手紙が届いたそうなんです。それで、破門されているので菅原には会えないんですけど、家まで行って、外からお礼を言って頭下げて…」

-それはもう映画みたいですね-
「本当に。唐十郎と菅原は前から仲が良かったものですから。オヤジがどこでそれを聞いたのかわからないんですけど、唐に手紙を出してくれていたんです」

-破門にはしたけれど、気にかけていてくれたんですね-
「そうなんですね。だから、劇団の3年目に破門を解いてくれるんですけど。

『お前はもう破門を解くからまた俺の子だ』みたいなことを言われて。

それからもう生涯付き人でした。(笑)健さんの言う通りでしたね。(笑)

ですから、10年前に菅原が農業をやるって言ったときに、月に何日かは泊まりで行って農作業をしてました」

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◆タランティーノ、スコセッシ…世界の名匠と

-『キル・ビルVol.1』はタランティーノ監督から直接オファーですか-
「そうです。海外の作品はオファーが来ても必ずオーディションがありますけどね。結構三池(崇史)さんの作品を見ている監督が多いんです。それで変な話、スコセッシが三池さんの作品を見てるんですよ。信じられないですよね。(笑)

スコセッシと『沈黙‐サイレンス‐』の現場で話をしたときに三池さんの名前が出て来るんですね」

-『沈黙‐サイレンス‐』はオファーがあって出演が決まったのですか-
「5、6年前にオーディションがあったんです。それで最後まで残って、スコセッシと会ったんですけど、『ご法度』とか言って、僕のことを知っていて選んでくれて、最後はハグまでして別れたんですが、そのときは映画が流れちゃったんですよ。

ベニチオ・デル・トロとダニエル・デイ=ルイスの出演も決まっていたんですけどね。それで今度はアンドリュー・ガーフィールドになったんですけど、自分は全然知らなくて…。それでたまたま渡辺謙さんと会ったときに聞いて、大慌てで調べたら、もうオーディションが全部終わっていたんです。それでとにかくフィルムを撮って、向こうに送ったらスコセッシが覚えていてくれて、前にオーディションで受けた同じ役だったものですから、決めていただいたんです」

-そういう経緯(いきさつ)があったんですか-
「それに、たまたま映画が延びたんです。それで謙さんが『王様と私』の舞台でできなくなっちゃったので、ちょうど延びて間に合ったんです」

-スコセッシ監督、タランティーノ監督ってどうですか-
「普通はストーリーボードがあって、もうカット割りが決まっていて撮るんですけど、スコセッシもその場で決めていきましたね。タランティーノはもうその場で自分の思いつきでカット割りを決めていくんですけど、スコセッシも自分の実験的な映画だったので、その場でやってました。フィルムは回ってるんですけど、芝居を見て、わざわざ自分の小屋に呼んで説明をしてくれるんです。それで『今の芝居で良いから、同じ芝居してくれ』みたいな指令があって、『オーケー、ボス』なんて言ってね。(笑)英語もわからないくせに、わかったフリをして、芝居をしていました。なかなかできないですよね、あんな監督とは」

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◆菅田俊、目が合えばけんかの毎日

-菅田さんご自身の歴史が映画になりそうですね。大学時代は「走り屋」をされていたそうですが-
「目が合えばけんかするような時代でしたし、道交法とかあまりなかったので、みんなでレーシングチームみたいなのを組んでやったりしてました」

-リアル「ワイルド・スピード」みたいな感じですか?-
「そうですね。土曜の夜はだいたい原宿にみんな集まって、第三京浜を走って鎌倉でみんな解散という感じでした。そのうち先輩たちが後輩と、暴走族同士でグループを作って…。今のような悪い連合ではなく、昔ですから硬派のグループでしたけど」

-けんかはかなり多かったですか?-
「ほとんど毎日でしたね。時代が時代だったものですから、ヤクザ屋さんなんかとけんかしては、映画館に逃げ込んだりしていました」

-怖い目にあったことは?-
「18か19のときだったんですけど、飲み屋さんでけんかになって、三鷹の映画館に逃げ込んだんですけど、その周りを何十人ものヤクザ屋さんが取り囲んで自分を探していたので、映画館にずっと朝までいました。

そのときにオールナイトでやっていたのが『エデンの東』たったんですよ(笑)」

-ヤクザ映画じゃなかったんですね-
「そうなんですよ。それでジェームズ・ディーンを見てぶっ飛んで、もう見入ってました。ですから何回見たかわからないんですけど、次の日もジェームズ・ディーン見たさに映画館に通って…。

だから、役者になるベースは、ジェームズ・ディーンに憧れた、カルチャーショックを受けた、あそこにあるのかなと思います」

-テキ屋のアルバイトをされていたのもその頃ですか-
「その時代です。大学時代に知り合った兄貴分の人たちの関係です。

昔のヤクザですから、ちゃんと男としての生き方をしていたというか、それで憧れて、一緒にそういう仕事に参加していました。

屋台で物を売ったり、そこが右翼的な活動もしていたので、宣伝カーの原稿を書いたり…。18、19、20歳というのは本当に濃い時代だったですね」

-そのまま組に入れという話にはならなかったのですか-
「それが、自分の兄貴分がやばい仕事をして組から追われる身になったとき『お前は大学生なんだから、普通の堅気(カタギ)の世界に戻れ』みたいなことになって別れたんです。その兄貴分みたいな先輩と」

大学生活に戻った菅田は卒業後、一般企業に入社したものの、理不尽な上司とけんかして左遷される。ゴルフ場、動物園の猿の餌係を経て、かねてからの役者になる夢を実現すべく歩み出す。芸名は、菅原文太の「菅」、鶴田浩二の「田」、東映の俊藤プロデューサーの「俊」をもらって菅田俊に。

次回後編では、映画やテレビで演じる刑事さながらのひったくり犯逮捕劇、公開中の映画『ビジランテ』、1月13日(土)に公開される映画『ホペイロの憂鬱』も紹介。(津島令子)