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「半ばヤケクソで」天龍源一郎が観客沸かすためにした前代未聞の禁じ手

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

©BS朝日

12月9日(土)に放送される同番組に、元プロレスラー・天龍源一郎が登場する。

今やテレビ番組やCMに引っ張りだこの天龍だが、力士時代は前頭筆頭まで上り詰め、プロレスラーに転身した後は“ミスタープロレス”と称されるほどの人気を誇った。

そんな天龍の知られざる素顔と人間像を、編集者・舘野晴彦が鋭くひもとく。

 

◆ジャイアント馬場と出会い、プロレスラーへ転身

1950年、葉タバコを栽培する農家の長男として福井県勝山市に生まれた天龍。幼いころから体が大きく、相撲が得意な少年だった。

中学2年生のときすでに身長は180センチ規格外の体格はすぐに相撲部屋の関係者の目に留まった。これが、格闘家人生の始まりとなる。

1963年、13歳で上京し、昭和の名横綱・大鵬がいた二所ノ関部屋に入門。その後、前頭筆頭まで上がるが、1975年に親方が亡くなると後継者問題が勃発し、相撲ができる環境ではなくなった。

そんなときジャイアント馬場と出会いプロレスラーへの転身を図ることになる

しかしプロレスの世界は、試合に勝ってもなぜか観客が喜ばない。違和感を覚えていた天龍に転機が巡ってきたのは、転身からすでに5年が経ったときだった。

天龍は、半ばヤケクソで前代未聞の“禁じ手”を使い、観客を大いに沸かす。その“禁じ手”とは?

 

◆自身の団体「天龍プロジェクト」を旗揚げ

天龍はその後、ジャイアント馬場・アントニオ猪木の2大巨頭からフォール勝ちした唯一の日本人レスラーとなる。

一切手を抜かない天龍の闘志むき出しのファイトスタイルはファンの絶大なる支持を得ていつしか“ミスタープロレス”と呼ばれるようになった

2010年には、ついのすみかとして自身のプロレス団体「天龍プロジェクト」を旗揚げし、当時27歳だった娘を代表にすえる。

なぜ娘にプロレス団体の代表の座を託したのか? その意外な理由とは?

 

◆天龍源一郎、引退決意した家族との絆

還暦を超えてもなお生涯現役を高らかに宣言し、娘とともに歩み出すが、数年後悲劇が訪れる。妻・まき代さんが心不全、肺がん、胆のう全摘出…と度重なる病に襲われたのだ。

天龍は自ら52年の格闘技人生に終止符を打つことを決意するこのとき天龍65歳。普段ファンの前では決して見せることのなかった、天龍源一郎の家族との絆が明らかに。

今年、天龍の現役生活最後の1年に密着したドキュメンタリー映画が公開され、大きな反響を呼んだ。

プロレスラーとして、一家の主として、天龍源一郎はいかにして闘い続けてきたのか? そして、天龍の魅力あふれる人間像とは? その知られざる生きざまに迫る。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2017年12月9日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日

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