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俳優・大西信満、熱意ある後輩たちを“経験”でサポート。過去には企画、製作、上映まで…「強い思いは伝播する」

2003年、『赤目四十八瀧心中未遂』(荒戸源次郎監督)で映画初主演を果たし、2008年に公開された映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』で初タッグを組んで以降、若松孝二監督作品に欠かせない存在となった大西信満さん。

2013年、自ら映画化を熱望した『さよなら渓谷』(大森立嗣監督)に出演。映画『祖谷物語 おくのひと』(蔦哲一朗監督)、映画『ろくでなし』(奥田庸介監督)、映画『柴公園』(綾部真弥監督)などに出演。

現在、Disney+にて配信中の『フクロウと呼ばれた男』に出演。映画『東京ランドマーク』(林知亜季監督)が新宿K’s cinemaで公開中。

 

◆初めて自ら映画化を熱望

若松監督の遺作となった『千年の愉楽』と同じ2013年、大西さんは映画『さよなら渓谷』に出演。この作品は、過去の性的暴行事件の被害者(真木よう子)と加害者(大西信満)でありながら、一緒に暮らす男女の複雑な心情を繊細に描いたもの。大西さんは、初めて自ら映画化したいと大森立嗣監督に話したという。

「自分でやりたいというか、企画から立ち上げて全部セットでと。これは荒戸(源次郎)さんからずっと言われていて。『みんな撮影は大好きだけど、撮影しか好きじゃない。でも、撮影するためにはきっちり準備しなきゃいけないし、撮影でどんなにいい画が撮れても、ちゃんと宣伝・配給に力を入れなければ、どんないい作品だって誰も見てくれないんだよ』って。僕らは毎日言われて育ったので、そういうのがあって。

もちろん声をかけていただいた作品に対して、どれだけ真摯に挑めるかというのが自分の職分であることはわかっているんですけど、たまにはそういうのを思い出すというか。『さよなら渓谷』は、自分たちからやってみようと動いた感じです」

――大森監督も同じ考えだったのですか?

「そうですね。1年のうち362日か363日、何年間か毎日顔を合わせて、毎晩酒を飲んでいた関係なので、自然といろんな話をしていくなかで、大森さんも当時はまだ『ゲルマニウムの夜』と次の『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を撮ったぐらいで、まだ今みたいにいろんな作品を撮る前だったし、自分自身も仕事が安定している状況ではなかった。

そういう状況のなかで、自分たち発信で何かやりたいよねって話していて、いろんな本を読んで、『これはどう?あれどう?』というなかで始まったのが『さよなら渓谷』です。

でも、これは自分たちだけの力じゃなくて、本当に運も縁も味方してくれて…たまたま自分たちの話に心から乗ってくれる高橋樹里さんというプロデューサーに出会うことができて、彼女がいろんなところに働きかけてくれたんですよね。のちには森重(晃)さんや村岡(伸一郎)さんも加わってどんどん加速していって。

もちろん権利の問題とか、いろいろあったんですけど、タイミングとかうまくいくのが重なって。毎回毎回そうじゃないというのももちろんわかっているし、いかにそれが“運”にも“人”にも恵まれていたかというのも、今考えれば本当に思うし、そういうなかで完成した作品です」

――高校時代にあった集団性的暴行事件の被害者と加害者でありながら現在は一緒に暮らす男女ということで、非常に複雑で難しい題材だったと思います。大西さん演じる俊介は、およそ性的暴行事件など起こすような人には見えない。それだけに集団心理の怖さも感じました。

「本当に原作が完璧で、細かな心理描写など吉田修一さんの本に全部描かれていました。もちろん小説と映画は別物ですし、現場のなかで生まれてくるものが大切なんですが、基本軸みたいなものが設計図としてちゃんとあって。

原作を読んだときの感覚さえ抜けないように維持していれば、脚本が多少変わろうが何もブレないというか。具体的には、真木さんとの距離感という軸はちゃんとしているので、自分たちがしっかり演技に集中できてさえいれば、あとはうまく周りが撮ってくれるという信頼関係のなかでやっていた感じです」

――真木さん演じるなつみは、事件の被害者となったことでその後の人生が悲惨極まりないものになります。婚約しても破談になり、仕事も続かず、新たな恋人からはひどいDVを受けている。それを知ったら、自分が何とかしなければいけないという心理になりますよね。

「そうですね。ただ、撮影をしていた約10年前と今では、日々報道されるさまざまな問題に対する社会の認識や人々の意識が全然違いますよね。

令和の今なら、また違う捉え方をされるかもしれないし、自分の感覚としても、もしこの作品が明日クランクインするとしたら、自分の演技もまた変わってくるのかもしれないと思ったり。

どの作品でもそうですけど、その時代のその空気感のなかで撮っているわけで。社会との繋がりを感じられない映画はなかなか受け入れてもらえないし、移ろいが激しい時代のなかで、いかに変わらない芯のようなものを映画のなかに見いだせるか。

だから、過去の名作であっても、今の若い人が見たら批判的な人が多いという作品もあるだろうし、あるいは逆に当時は誰もピンと来なかったけど、何十年か経って誰かが見たら、『これ実はすごい映画なんじゃないか』みたいなこともあると思うし、映画って常にそういう存在だと思っています」

『さよなら渓谷』は、第35回モスクワ国際映画祭で審査員特別賞受賞をはじめ、国内外で数多くの映画賞を受賞して話題を集めた。

 

◆社会派作品から柴犬のパパに

『さよなら渓谷』と同年、映画『祖谷物語 おくのひと』に出演。この作品は、日本最後の秘境と言われる徳島・祖谷(いや)を舞台に、都会からやってきた若者と人里離れた大自然のなかで暮らす人々の交流を通して、その地に根ざして生きていくということを描いたもの。大西さんは、東京から祖谷に流れてきた青年・工藤役を演じた。

――降りしきる雪のなかでの水運びや農作業のシーンもあり、撮影は大変だったのでは?

「あれは環境面での大変さですよね。1年かけて3週間×春夏秋冬、四国まで行って撮影していたので、スケジュール的にも、都会の便利さに浸りきっている自分としては体力的にも大変ではありましたけど、内面がそんなに追い詰められるということではなかったので。

どちらかと言えば景色のほうですよね。『監督、景色ばかりで芝居見てないでしょ』みたいな感じで(笑)。景色と、本当に一瞬のその日の具合とかで1日費やしているとか。でも、今思うと、それはそれですごく贅沢な時間だったと思います。35ミリ(フィルム)で自然を相手に…本当に贅沢でしたね。すごく好きです」

2017年、映画『ろくでなし』(奥田庸介監督)に主演。この作品は大都会の片隅で追い詰められ暴走していく、ろくでなしの男たちの人間模様を描いたもの。大西さんは、渋谷の街で出会った優子(遠藤祐美)に一方的に運命を感じ、彼女の働くクラブの用心棒になる主人公・森永一真を演じた。

「あれは見方によってはストーカーなので、今だったらどう受け取られるかなっていうのは、ありますよね。奥田庸介監督は、自主映画でたしかな実績を残していましたけど、まだそんなに商業映画は撮ってなくて、2本目ぐらいだったんですよね。

しかも低予算で限られた人数でというなかで、渋川(清彦)さんとも当時話していましたけど、奥田監督のやりたいように、精一杯彼が表現したいものが撮れたらと思ってやっていました。あの作風や風貌からは想像できないくらいの繊細さがあって、とても作品に真摯で。彼の最新作である『青春墓場』も本当にすばらしかったし」

2018年、映画『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督)に出演。この作品は、1969年、何者かになることを夢見て、若松孝二監督(井浦新)の若松プロの門を叩いた、当時はまだ珍しかった女性の助監督・吉積めぐみ(門脇麦)の目を通して、若松監督と若松プロのメンバーの映画人たちの生きざまを描いたもの。大西さんは、若松プロで監督デビューした大和屋竺監督役を演じた。

「大和屋さんは早くに亡くなってしまったので、製作チームのなかで面識がある人がほとんどいないんです。でも、自分は荒戸さんや原田芳雄さんからもよく話を聞いていたほうだったので、不思議な巡り合わせを感じました。

荒戸さんの事務所には大和屋さんの写真が飾ってあって、何年も毎日のように見ていたし、『赤目』のスクリプターは大和屋さんの奥さんだったので」

――撮影日数はどのくらいだったのですか。

「たぶん2週間ぐらいだったと思います。若松プロのやり方は、若松監督自身が、たとえば100ページの本を10日で撮るってなったら1日10ページになるわけですけど、移動が多ければそれだけ時間もお金もかかるから、このシーンはデニーズで、次のシーンはロイヤルホストで…と書いてあっても、『いいよ、これ全部デニーズで』みたいな。そういうところでスケジュールを圧縮していくということがすごく大胆で。

予算と日数を圧縮して、『そんなことよりも内容のほうが大事なんだから、それはデニーズでもロイヤルホストでもガストでもいい。なんだったら餃子の王将だっていいんだ。そんなことに目がいくような映画だったらこの映画は負けだ』という人だったので。

そういう工夫のなかで、若松監督は予算と日数を抑えて、シチュエーションをなるべく絞って、あまり移動しないで済むようにしていました。白石さんもそういうなかでずっとやっていたので、白石さんは大作も多く手掛けていますが、あの作品は2~3週間ぐらいで撮っていた気がします」

2019年、それぞれ柴犬の飼い主である3人の中年男たちが繰り広げる会話劇を描いたドラマ『柴公園』(テレビ神奈川ほか)に出演。映画版『柴公園』も公開された。

どこにでもあるような街の公園で犬の散歩で顔を合わせるようになった茶柴のあたるくんパパ(渋川清彦)、黒柴のじっちゃんパパ(大西信満)、茶柴のさちこパパ(ドロンズ石本)。3人と3匹が公園で集い、ダべリングすることが日課に…というユニークな展開。

――シリアスな役柄のイメージだったので、『柴公園』のじっちゃんパパは新鮮でした。

「ああいう役がもっとやりたいんですけど、来ないんです(笑)。じっちゃんパパのような役が続けばいいんですけどね」

――渋川清彦さんとドロンズの石本さん、すごくユニークな3人組で楽しかったです。皆さんがワンちゃんに向けるメロメロの笑顔がチャーミングで。撮影も楽しかったでしょうね。

「犬は可愛くて楽しかったですけど、セリフ量が尋常じゃなかったので大変でした。あのときは、家中にセリフを書いた紙を貼っていましたね。会話劇なので基本全部長ゼリフ。各々が1人で2ページ3ページしゃべっている。

部屋中にトイレとかにも全部セリフを書いた紙を貼って、覚えたらバリバリって外して、また新しいのを貼って…どうにかセリフを覚えるという感じでした。

でも楽しかったですね。やっぱり犬とか猫が現場にいると、疲れませんからね。基本的にワンちゃんたちがいて可愛いんだけど、とにかく誰かが必ずしゃべっていました(笑)」

――大西さんは、その日に撮るシーンのセリフだけじゃなく、翌日のセリフを覚えたりしていたとか。

「それは人それぞれ覚えやすさみたいなのがあるというか。自分の場合は、1回やって忘れたぐらいで、前日に確認するのが一番定着するんです。でも、人によっては一夜漬けみたいにやったほうが覚えやすいという人もいるし、それぞれですよね。スケジュールにもよるし。何本やっていても、やっぱりセリフが言えなくなる恐怖ってすごくあるんですよね。

自分がセリフを言えなくて現場が止まる、止めてしまった経験があるから、その恐怖感みたいなものがすごくあって。どうしたって若いときに比べたら覚えは悪くなりますからね。必死ですよ(笑)」

©Engawa Films Project 2024

※映画『東京ランドマーク』
新宿K’s cinemaにて公開中
2024年7月6日(土)より名古屋シネマスコーレ、大阪第七藝術劇場にて公開予定
配給:Engawa Films Project
監督:林知亜季
出演:藤原季節 義山真司 鈴木セイナ 浅沼ファティ 石原滉也 大西信満 ほか

◆「これで人生を変えてやる!」

現在、新宿K’s cinemaにて映画『東京ランドマーク』が公開中。この作品は2008年に柾賢志さん、毎熊克哉さん、佐藤考哲さん、林知亜季監督の4人で結成された映像製作ユニット「Engawa Films Project」が手がけた初長編作品。

主人公は、コンビニでアルバイトをしながら一人暮らしをしているミノル(藤原季節)。ある日、友人のタケ(義山真司)がいつものようにミノルの家を訪れると、家出をした高校生・桜子(鈴木セイナ)が。タケは未成年である桜子を早く家に帰そうとするが、桜子は帰ろうとせず、3人の不思議な関係が始まる…という展開。大西さんは桜子の横暴な父親役を演じている。

「『東京ランドマーク』に関しては、出演シーンとしては多くないんですけど、出演する経緯が通常とは少し違っていて。

自主製作、自主配給でその作品をいかに届けていくかというところで、具体的に自分が何かするということじゃなく、自分が経験してきたことだったりが、少しでも作品を届ける後押しになればいいなという思いで関わっていて。

(藤原)季節くんとは、『止められるか、俺たちを』で初めて会って、毎熊(克哉)くんとはその前に『ろくでなし』で出会っていて。毎熊くんとはコロナが流行(はや)る前はたまに一緒に飲んだりしていたんですよね。彼は自分よりも一周りも若いけど、自分なんかより余程しっかりしていて。

で、ちょうど『ろくでなし』の撮影をやっているときに彼の出世作となった『ケンとカズ』(小路紘史監督)が上映していて、すごいなと思って。そのときの季節くんもすごく印象に残っていたので覚えていて『止められるか、俺たちを』で初めて会って、いろんな話をして飲みに行ったりとかして。

撮影が終わった後、そんなに間を空けずに『実は、こういう話を僕たち撮ろうと思っているんだけど、参加してもらえないか』って季節くんに言われて、そこから始まったんですよね、僕のこの作品との関わりは。

エンガワは、林監督以外みんな役者だけど、企画から立ち上げて、今、上映している新宿K’s cinemaのチケット売り場で制服を着てスタッフをやったりしていて。やはり大作の“正攻法”と自主製作の“弱者の兵法”というのは、全然違うわけで。

これがメジャーな作品だったら、宣伝費もあるし、テレビに番宣で出たり、テレビのスポットとかで広まるけど、『東京ランドマーク』のような小さな作品というのは、普通にやっているだけではなかなか知ってもらうことが難しくて、何かしら工夫をしなければ埋没してしまう。

そのなかで自分たちに何ができるのか、予算も時間も体力も有限のなか、彼らはずっと模索していて。

『キャタピラー』とかは、ベルリンで寺島(しのぶ)さんが賞を受賞したから、NHKや三大紙に一面で記事が掲載されるなど宣伝効果があって広まって、見に来てくれる人も多かったんです。『さよなら渓谷』もやはりモスクワでの受賞があったから、周りがどんどん報道してくれて、すごい追い風が吹いて。

もちろん作品ごとに内容も予算規模も、監督や役者のキャリアなども全部違うし単純な比較なんてできないんだけど、そうやって時流に乗れば勝手に動いていくものだということは経験則として知っていて。

基本的に波がないところは自分たちで波を起こしていかなければ、一生懸命作っても誰も知らないまま上映が終わってしまう。そういうことをこれまで何度も何度も経験してきて。

そういうなかで、今やっている『東京ランドマーク』みたいに放っておいたらなかなか知ってもらえないような小さな作品を、ひとりでも多くの人に見てもらえるように、毎熊くんをはじめとする制作サイドと、どういう作戦を立てて、どういう行動を起こしていくかということを考えていて。

僕が何でこれにそんなに深く関わっているのかと振り返ると、『東京ランドマーク』を撮影した6年前、当時20代半ばの季節くんの目にハッとさせられたんです。今でこそ主演作も何本もあるし、すばらしい作品がいっぱいあって、藤原季節というひとりの役者として認知されているけれども、当時はまだ今ほど知られてなかったんですよね。

若い頃に自分もそうだったように、あの当時の彼からものすごい焦燥感を感じて。『どうしても“東京ランドマーク”で人生を変えてやりたい』って気迫が伝わってきて。

これはもう自分ができることなんてごくごく限られているし、役者としても大きく作品の質を高めるようなことができる力なんて自分には到底ないけれども、どうにか可能な限り応えて、この作品を少しでも大きくしたいなっていう思いが強くなって。そう思わせるほど、あのときの藤原季節の目はすごかったんです、本当に」

――劇場公開が今というタイミングも良かったですね。毎熊さんも藤原さんも注目を集めているので、記事として取り上げられる機会も多くて。

「そうですね。自分がコロナで3年ぐらい時間が止まっていた間も、彼らは着実にキャリアを重ねているのを遠くから見ていて。毎熊くんは、何かやってなきゃ気が収まらないみたいな感じで、この作品には出演してなくても、プロデューサーとしてチケットもぎりとかもやっているわけで。

彼らは自分よりだいぶ若いけれども、やっぱりそれだけ強い思いがある人たちの熱みたいなものは伝播するんです。しばらく彼らとも会ってなかったけど、再び動き出したのは、去年テアトル新宿で『デビュー10周年記念 藤原季節特集上映』が行われて、それが始まりでした。

テアトル新宿で特集が組まれるようになった時点で大飛躍なわけですよね。そのときに『東京ランドマーク』も上映作品に入れてもらったのですが、『10周年で特集を組まれるような存在になったんだから、これを機に、原点ともいうべきこの作品を、今ちゃんと劇場公開できるように動こうよ』って話をして。

忘れちゃいけないのは、今やどうしても目立ってしまう存在になった毎熊くんだけじゃなく、日々劇場でお客さんを迎えているエンガワのみんなで。林監督をはじめ、みんな自分たちで知恵とお金を出し合って、ようやくここまで辿り着いたわけで。

長い時間を経てやっと日の目を浴びた作品なので。いきなりそれがポーンとスポットライトが当たるほど甘くはないのはわかっているけど、これが少しでも前に行く足がかりになってくれたらいいなって。

なかなかそういう風に思わせてくれる現場って、あまりないですからね。撮影が終わって、一応連絡先を交換したりはするけれども、別に(電話を)かけることも、かかってくることもなく…という人との距離感がどんどん希薄になる世の中で、彼らはやっぱり熱量が違ったので。チームのみんなにとって、この作品が上映されたことで、少しでも、いい明日になっていってくれたらうれしいですよね」

熱意ある後輩たちへの惜しみない愛を感じる。俳優としてだけでなく、企画の前段階から製作、上映まですべて経験してきている大西さんのサポートは心強い。日本映画界に欠かせない存在。(津島令子)

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