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哀川翔、幼稚園で実感したテレビの影響力。“主演100本記念映画”でお茶の間に浸透…子どもからも「ゼブラーマンだよね?」

路上パフォーマンス集団・一世風靡セピアのメンバーとして人気を博し、連続ドラマ『とんぼ』(TBS系)で俳優としても注目を集めた哀川翔さん。

1990年、東映Vシネマ『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』(高橋伴明監督)に主演したのをはじめ、『修羅がゆく』シリーズ、『修羅のみち』シリーズ、東映Vシネマ25周年記念作品の映画『25~NIJYU-GO~』(鹿島勤監督)など多くの作品に主演。“Vシネマの帝王”と称されることに。

1995年には、主演映画『BAD GUY BEACH』で映画監督にも挑戦。2004年、映画『ゼブラーマン』(三池崇史監督)に主演し、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。

 

◆ステキな監督たちと作品作りができたことは勲章

『とんぼ』の翌年、1989年に一世風靡セピアが解散し、ソロ活動を行っていたときに高橋伴明監督の『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』に主演した哀川さん。数多くのVシネマに出演し、2年連続で「Vシネマ大賞」を受賞する。

「伴明さんが『六本木で一番元気があるのは誰だ?』って聞いたら俺の名前が出たということで決まったみたいなんだけど、俺がやりたいことをやらせてくれたからおもしろかったよね。『哀川がこうやりたいらしいぜ。みんなもう本番行っちゃうぞ』みたいな感じで(笑)」

――俳優としてのスタートはものすごく良かったですね。

「そうですね。それはすごくよかったんじゃないですか。長渕さんと伴明さんのおかげで、いかにして作品を作るかということを学べたからね。多分、それがなかったら俺の俳優人生はなかったかもしれない」

――『とんぼ』のときは長渕さんが自らいろいろアイデアを出されていたそうですね。

「そう。冒頭の海から傘をさして出てくるシーンも長渕さんのアイデアだしね。いろいろなアイデアを全部出してやっていましたよ。すごく長いスパンで準備して、ドラマとか映画の撮影に入っていましたからね。ものすごく努力する。それは本当にすごい。俺なんて敵わないよ」

――哀川さんは、Vシネマもはじめられてからは、ほとんど休みなく出ずっぱりという感じですね。

「そうですね。『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』からはずっとVシネマ人生があって、『ゼブラーマン』(三池崇史監督)からかな。バラエティ番組とかに、それこそ番宣で何十本も出たみたいな感じで。3、40本出たのかな。それがきっかけで、バラエティ番組からも依頼されるようになってきて、テレビに出るようになったっていうのはありますよね」

――“Vシネマの帝王”と称されましたね。

「そうでもないんだけどね(笑)。やっぱり巡り合わせがよかったんだね。要するに、(高橋)伴明さん、和泉聖治さん、黒沢清さん、三池(崇史)さんとか、本当にステキな監督に呼ばれて、それで作品作りができたということがすごい勲章ですよ。そういうところで100本作品を撮って、継続が力になったということだよね。

本当に詰めて詰めて撮って、一番撮った年は、主演で10本、助演で12本なんてこともあったからね。1年のうち320日現場(撮影)。まとめて2週間ぐらい休んで、あとはバーッとひたすら走ってという感じで」

――1995年に『BAD GUY BEACH』では、監督(あいかわ翔名義)もされました。

「監督もやりましたね。あれは伴明さんが撮るはずだったんだけど、ちょっと(クランク)インが延びちゃって。伴明さんの次の作品と被るからちょっとできねえよみたいな話になったときに、しょうがないから『俺できますかね?』って伴明さんに言ったら、『おー、お前やれよ、やれ』って言われて(笑)。

それで、初めて監督をやったんですけどね、大変でした(笑)。一世風靡のときも編集とかはやっていたけど、やっぱり映画の監督っていうのは全然違いますね。むちゃくちゃやりましたから、できないことはなかったんですけど大変すぎて(笑)。

やっぱりある程度人にまかすということができなかったんですよ。自分で全部やろうなんていう気持ちのほうが強かったから、大変だったんですよね。俺にある程度はカメラマンにまかせて、『頼むね』ってお願いする余裕があれば、もっと楽に撮れたと思うんだけど、全部自分でやっていたから大変だった。

全部終わって打ち上げのとき、『撮っておいてって言ってくれたら、僕ら撮りましたのに』ってカメラマンに言われたんだけど、1人でやっちゃったみたいなところがあって。初めてでわからなかったからね。大変でしたよ(笑)」

 

◆結婚と同時に3人の子どもたちの父親に

監督業に初挑戦した1995年、哀川さんは公美さんと結婚。公美さんの3人の子どもたちの父親に。公美さんは哀川さんの事務所の代表取締役も務め、おしどり夫婦として知られている。2009年には、「よい夫婦の日 ナイス・カップル大賞」を受賞した。

――ご結婚されたとき、リポーターとして取材に行かせていただきましたが、「3人のお子さんのお父さんになりますね」とお聞きしたら、「惚れた女の子どもですから」とおっしゃったのを今でもよく覚えています。

「たまたま子どもが3人いただけですからね。そんな感じでしたよ」

――95年は、『修羅がゆく』シリーズも始まって怒涛の年でしたね。

「そう、大変だった。『修羅がゆく』と『借王(シャッキング)』とかシリーズものも結構あったからね。撮影が同じ年にあったりして大変でしたよ」

――両シリーズともおもしろかったです。

「そうだよね。両方ともヒットして。『借王』はテレビでやったとき、『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)の裏で放送だったんだけど、10%ぐらい視聴率をとってすごく話題になったからね。苦肉の策で『タイタニック』に『借王』をぶつけたみたいな(笑)。そうしたら10%とったって」

――出演作品がものすごく多いので、連日撮影でおまけにアクションもということで、おからだも大変だったのでは?

「若かったからね(笑)。大丈夫でしたよ。その頃は、まだ30ちょいでしょう? 30代は全然大丈夫でした」

 

◆子どもの幼稚園で「ゼブラーマンでしょ?」

1999年、歌舞伎町を舞台に、刑事とギャングの壮絶な闘いを描く『DEAD OR ALIVE 犯罪者』に主演。2000年に『DEAD OR ALIVE2 逃亡者』、2002年には『DEAD OR ALIVE FINAL』が公開された。

――30代の後半には、『DEAD OR ALIVE』シリーズもありましたね。

「そうそう。あの頃がやっぱり一番脂がのっていたんじゃないかな。40手前ぐらいがね」

――めちゃめちゃおもしろかったです。すごい展開でしたね。東京国際映画祭で見たので、一般のお客さんもいてすごい熱気でした。

「あれはウケたよね。あれはロシアでやったり、ヨーロッパでやったりしたんだけど、すごく評判良かったって聞きました」

――結構驚きのストーリー展開でしたけど、最初に台本を読んだときはどう思われました?

「三池さんですからね(笑)。その前にも映画もやっているし、『トルエン(危険薬物)で世界を獲るんだ』みたいな話で、トルエンタンクを口に突っ込んでそのまま死んでいる役とかだったからね(笑)。いろいろやらされているので、『三池さんだから北半球すっ飛びますからね。誰も生きていませんよ』みたいな(笑)」

――横転した車から出てきた哀川さんが、かろうじて(からだと)つながっていた腕をバキッともぎ取ったときは、劇場でみんな『おーっ!』って声を上げていました。

「そうそう。腕を自分でもぎ取って、背中からバズーカ砲を取り出してズドンとぶっ放すんだからね。『バズーカはどこから来たんだよ?』って(笑)」

――そして竹内力さんが体内から火の玉を取り出して…もはや異次元の戦いでしたね。

「すごかったですよね。でもおもしろい。本当におもしろかった。車がバーンと爆発して、上からドーンと落ちて来たとき『うわーっ!』って思ったもんね。あれは今でも印象的だなあ」

――劇場内の気温がバーッと一気にあがりましたからね。

「すごかったね。あれはおもしろかったです。『DEAD OR ALIVE』シリーズは、そのあと2本作られて。あのシリーズは全部おもしろかった」

――三池監督は、哀川さんの主演100本記念映画『ゼブラーマン』の監督もされました。

「そうですね。撮影は大変でしたけど、おもしろかったですよ。あれで、一気にお茶の間に行ったみたいな感じがありましたね。それまでは、要するに任侠の世界で、偏った感じでしたからね。

『ゼブラーマン』を撮ったときに、うちの子どもを幼稚園に迎えに行ったりすると、幼稚園の子どもたちが俺の服の裾を握って引っ張りながら、『ねえねえ、セブラーマンだよね?』って俺に言うわけ。だから、俺は人差し指を唇に当てて『しーっ、ナイショだよ』って言っていたけどね(笑)。やっぱりVシネマとは違うよね。そこまで浸透するんだなって思いましたね」

――哀川さんは、それまでにもVシネマ以外のドラマや映画にも出演されていたので、今まで見たことがない人たちもVシネマを見るきっかけになったと思いますが。

「そういう人も結構いたよね。六本木で飲んでいたときに『Vシネマ見ています』って結構言われましたからね。みんなめちゃめちゃ見ていましたよ(笑)。

俺はVシネマを『裏NHK』って言っていたんだよね。民放は(地域によって)見られるところと見られないところがあるけど、NHKって全国どこにでも電波が届いているから、どこでも見られるじゃないですか。

Vシネマはどこに行ってもレンタルビデオ店があるから、どこの島に行っても見られる。だから『Vシネマは裏NHKだ』って言うぐらい広がりがあった。当時はレンタルビデオ店が2万件ぐらいあったからね。そうとう売れていましたよ」

――哀川さんは、『ゼブラーマン』で第28回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞されました。聞いたときはいかがでした?

「めっちゃうれしかったですよ。佐藤浩市さんと中井貴一さんが前から歩いてきて、『やっとこっちに来たな』って言ったもんね、俺に(笑)。単純にうれしい。みんなは結構謙遜していたけど、俺は全然謙遜していなかった。『超うれしい!』みたいな感じでしたよ(笑)」

2014年には東映Vシネマ25周年記念映画『25~NIJYU-GO~』に主演。半グレ集団から巻き上げた金を着服するなど、やりたい放題の悪徳刑事を演じた。

次回後編では、芸能生活30周年を記念した映画『Zアイランド』(品川ヒロシ監督)、連続テレビ小説『舞いあがれ!』(NHK)、2024年2月9日(金)に公開される映画『一月の声に歓びを刻め』(三島有紀子監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:小林真之
衣装協力:Twins & Co.

©bouquet garni films

※映画『一月の声に歓びを刻め』
2024年2月9日(金)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
配給:東京テアトル
監督:三島有紀子
出演:前田敦子 カルーセル麻紀 哀川翔 坂東龍汰 片岡礼子 宇野祥平 原田龍二 松本妃代 とよた真帆

性暴力の被害を受けて亡くなってしまった娘を忘れられない初老のマキ(カルーセル麻紀)、妻を交通事故で亡くし、娘の妊娠に動揺しながらも受け入れてゆく父親の誠(哀川翔)、6歳の時に性暴力の被害に遭ったトラウマから誰とも触れ合えずにいたれいこ(前田敦子)。北海道の洞爺湖、東京の八丈島、大阪の堂島を舞台に描く物語。

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