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川添野愛、女優になるきっかけとなった青山真治監督との出会い。美大の授業で声をかけられ「えーっ、私がですか?」

6歳から杉並児童合唱団に12年間在籍し、定期演奏会などで数多くの主役を務めてきた川添野愛さん。

大学の教授だった青山真治監督に勧められて女優デビューし、『贖罪の奏鳴曲』(WOWOW)、映画『ミュジコフィリア』(谷口正晃監督)、映画『忌怪島/きかいじま』(清水崇監督)、舞台『春のめざめ』(演出:白井晃)などに出演。

2023年9月1日(金)から映画『緑のざわめき』(夏都愛未監督)が公開される川添野愛さんにインタビュー。

 

◆合唱団のミュージカルビデオを観て「これやりたい!」

東京で生まれ育った川添さんは、小さい頃から明るい子で目立つことが好きだったという。

――6歳から合唱団で活動されていたそうですが、きっかけは何だったのですか?

「母が知り合いの人から合唱団のミュージカルのビデオを借りてきて、家で観ていたんです。それを私が横から覗き込んで、『私、これやりたい!』って言ったのがきっかけだったみたいです。それで、6歳、小学校1年生のときに見学に行って。

そのときのことは全然覚えていないんですけど(笑)。でも、多分行っても気持ちは変わらなかったんだと思います。すぐに入っているので」

――初舞台は覚えていますか?

「私が入って2カ月後ぐらいに、初めてのコンサートがありました。そのときは何もわかっていなかったんですけど、その舞台を踏んでみて、どうしたらいいかということがだんだんわかってきて。舞台は年に2回だったので、次の舞台が半年後ぐらいなんですけど、メラメラ燃えていたと思います(笑)。

多分、何かを表現している真ん中にいたいみたいなことだと思うんですけど。だから、決して褒められたいとか、拍手されたいということでもなく、単純にそういう意味での真ん中にいたいみたいな欲だったんだと思います」

――6歳からコンスタントに舞台に立っていたわけですよね。

「はい。小4ぐらいからは、年に2回東京であるコンサートと、夏に2週間ぐらいかけて地方を公演で回るんですよ。その舞台に高3までずっと立っていました」

――舞台の稽古も大変だったのでは?

「そうですね。年2回の東京公演に向けては夏に全団員で合宿があるんですけど、最初の合宿のときは寝言で『お母さん』って呼んでいたというのを聞きました(笑)」

――早くから合唱団で主役を張るようになって。

「はい。小4ぐらいからなんですけど、主役になってみたらなってみたで、そっちの本当に孤独な大変さを思い知ったというか…。私はとくに何か人より秀(ひい)でていたり、才能があるタイプではなかったので。

200人ぐらいいる団体なので、すごく歌が上手い人とか、すごく踊るのが上手い人、すごくお芝居が上手な人とかが、それぞれいっぱいいるんですよ。

それこそ上手い先輩いっぱいいるのに、なぜか私が主役に選ばれて…。オーディションとかでもなく、先生が言った人がやるという感じだったので、主役に選ばれてうれしかったのなんてほんの数日で、そこからはもう苦しい日々という感じでした。

最初の主役を終えるまでは、夜も一人で部屋で泣いて寝れないとか…ずっとそんな感じだったので、あれは結構つらかったです。現実を知ったというか」

――芸能界に進むということは考えていなかったのですか?

「そういう仕事をしたいとかいう気持ちはまったくなかったです。そもそもこの団体に入っている理由が、ただシンプルに歌が歌いたいとか、楽しいということだと思うので、そのときにやっている範囲で満足していたというか。

そこでまだまだできることが多分あるって思っていたのと、これ以上できないという感じでした。私はバレエもやっていたし、学校生活とかを考えると、これ以上プラスアルファで何かみたいなことは考えられない状態でしたね」

※川添野愛(かわぞえ・のあ)プロフィル
1995年2月5日生まれ、東京都出身。幼少期より杉並児童合唱団に12年間在籍。2015年多摩美術大学在学中に、『贖罪の奏鳴曲』(WOWOW)で女優デビュー。主な出演作に、『パパはわるものチャンピオン』(藤村享平監督)、『パーフェクトワールド 君といる奇跡』(柴山健次監督)、『ミュジコフィリア』(谷口正晃監督)、ドラマ『恋愛時代』(読売テレビ)、『パフェちっく!』(FOD)、『限界団地』(東海テレビ)、『his ~恋するつもりなんてなかった~』(メ~テレ)、舞台『セールスマンの死』(演出:長塚圭史)、『春のめざめ』(演出:白井晃)、『タイトル、拒絶』(演出:山田佳奈)などに出演。2023年9月1日(金)に映画『緑のざわめき』(夏都愛未監督)と10月13日(金)に映画『鯨の骨』(大江崇允監督)の公開が控えている。

 

◆楽しかった合唱団が苦痛に…辞めたくて大学に

2013年、川添さんは、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科に進学することに。

――多摩美術大学に進まれたのは?

「大前提として、私が表現することを生業としたいと気がつく原点は杉並児童合唱団です。それくらい言葉に言い表せないほど感謝の気持ちと愛があります。ただ、当時の私には窮屈になってしまって。一度表現することから離れたくて、とにかく合唱団を辞めたかったんです。

結構きついこともありましたけど、中学生ぐらいまでは好きで楽しくて、もっと頑張って良い作品を届けたいという思いしかなかったんですけど、高校生ぐらいからそれだけじゃいられない責任を感じるようになって。

中学生ぐらいまでは、むしろいいプレッシャーぐらいに思っていたんですけど、高校に入って、初めて外の世界に気づいてしまったというか。高校に入ったら私の知らない世界を生きているいろんな子がいて、『私は、今まで何て狭い世界にいたんだろう』って思っちゃった瞬間に、『もうここにはいられない』ってなって。

でも、すぐに辞めることもできず、私がケジメをつけなきゃいけない、区切りをつけられるタイミングも考えなきゃいけなかったので、高3で辞めて、大学生から新しい人生を歩みたいと思って、最初は留学を考えていたんです」

――次代を背負ってもらおうと思われていたわけですものね。

「だから『もう日本から出るしかないかな』と思って。だけど高校の友だちが、大学でも表現のことを勉強するという話を聞いたときに、自分の中で『私はこれでいいんだっけ?』っていう思いが芽生えて。

それで、そういう表現が学べそうな学校を調べて、お話を聞いたり、学校見学させていただいたりしていた中の一つが多摩美だったんですよね。多摩美の決め手は、校門から入ったときにただならぬ空気の重さを感じたというか(笑)。

私が行っていた学部は、授業が午後の2時から9時まで。私が行った時間も生徒はいたんですけど、世田谷の真ん中にあるのに、とんでもない負のオーラを纏(まと)っているというか、何かヤバい森に迷い込んだような空気を感じて興味が湧いたんです。それで決めました」

――結構感覚型ですね。

「私はすごい怖がりだし、母にも『野愛は石橋を叩いて渡るじゃなくて、叩き割っても渡らないぐらい慎重だよね』って言われているんですけど。ただ、直感でピーンッて来たことに対してとか、『やる!』って決めたことに対しては、とんでもないスピードで、ガーッと走り抜けちゃうところがあるみたいです」

 

◆青山真治監督の印象は“ちょっとイケてるおじちゃん”

映像演劇学科を選択した川添さんは、教授で『Helpless』、『EUREKA』、『共喰い』など数多くの作品で知られる青山真治監督と出会い、女優の道に進むことに。

「私はそんなに映画がめっちゃ好きとかでもなかったので、何かいつも周りにたくさん生徒が群がっていて、ちょっとイケてるおじちゃんみたいな感じで(笑)。

別に話す用事もないし、話しかける理由もなかったので、『何であの先輩たちはいつもあの人の周りにウジャウジャいるんだろう?何かすごい苦手だな、ああいうの』って思っていました(笑)。

私は勢いで映像演劇学科に入ったんですけど、演劇も映像に関しても詳しい人しかいなかったんですよね。その道に行きたくて入っている人がほとんどなので、当然という感じなんですけど、オタク並みにすごく詳しい人たちばかりで、何をしゃべっているのかまったくわからなくて(笑)。

一応、映像か、演劇か、空間デザイン的なことの三つのコースに分かれていて、消去法でいくと演劇のことだったらまだわかるのかなと思って、演劇のコースをとっていたんですけど、『これは映像のことも勉強しないとやばいんじゃないか』と思って。

それで、必修科目じゃなくて、取りたい人が取っていい青山さんの特別授業みたいなのがあったんですね。それは1年かけて企画から上映まで、映画を作るというのはどういうことなのか身をもって体験するみたいな授業で。

それもあまりよくわからず、とりあえず取ってみたら、それを取る人って、大体みんな自分の映画を撮りたい人なんですよ。それもあまりよくわかっていなくて(笑)。みんな自分の企画を通したいから、必死なんですよ。何かすごい殺伐とした空気で」

――ライバル心むき出しという感じですか。

「はい。その企画の地獄の何カ月かがあって、脚本を読んだ感想を聞かれたりするんですけど、映画の脚本なんて初めて読んだし、『えっ?感想?』みたいな感じでした(笑)。

それで企画が決まったら、どこかの座組に入らなきゃいけなかったので、何もできない私ができることは何なのか考えたときに、衣装とかヘアメイクみたいなことだったらできるなと思って、そういうところから手伝って。

授業では青山さんとも会うんですけど、あいさつをするぐらいで、本当にしゃべることがなかったので。とくにこっちから用事なかったので」

――衣装デザインとして『ポルトレ PORTRAIT』に携わっていたときは、青山監督もアドバイスをされたりしていたわけですか?

「はい。現場には来ませんでしたけど。でも、そのプロデューサーをやっていた先輩と監督がケンカしちゃって、途中からよくわからないけど、私がスケジュールとかを切っていました(笑)。

そういうこともそこで学びながら、ロケ地を押さえたり、女優さんのフォローをしたりとか…気づいたらそういうことをやっていて。1年生のときに、他の人の作品にちょっと出てほしいと言われてチョロッと出たら、それが青山さんの目に留まって…みたいなことが始まりでした。

最初はその次の年(2年生)の夏に学校内の企画で、青山さんが監督をやって、学生がスタッフをやって1本映画を撮るぞと。それで、青山さんに『チェーホフの“かもめ”を映画にするからニーナをやってほしい』って言われて、『えーっ、私がですか?』みたいな感じでした(笑)。

1年間、その映画の授業を取っていたんですけど、本当に最後の最後までとくに仲良くなる人もできず。唯一『ポルトレ PORTRAIT』の監督をやっていた方はすごい可愛がってくださって。

あと助手さん(教授と生徒の間にいる)とか、お手伝いやサポートみたいなことをしてくれる多摩美の卒業生は、いつも端っこに座っている私に声をかけてくれたりしていましたけど、本当にそれぐらいで、とくに先生たちとしゃべることもなく。それで次の年から演劇コースに行こうと思っていたら、そんなふうに声をかけられて」

――普通はみんな大喜びですよね。

「いやぁ、『何で私?』みたいな感じでした。それこそ、出演者は青山さんの奥さんのとよた真帆さんとかでしたからね。主役のトレープレフという役をやった先輩は、学生なんですけど、学内でそのとき撮っている映画のほとんどの主役を任されているような方なのに、『私がニーナ?』みたいな感じで。でも、断る理由もなかったので『やります』と言ってやることになりました」

『かもめ』の翌年には、青山真治監督の『贖罪の奏鳴曲』でドラマデビューすることになった川添さん。本格的に女優活動をはじめ、長塚圭史さん演出の舞台『セールスマンの死』などに出演することに。

次回はその舞台裏、撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:鈴木真帆

©「緑のざわめき」製作委員会

※映画『緑のざわめき』
2023年9月1日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
配給:S・D・P
監督・脚本:夏都愛未
出演:松井玲奈 岡崎紗絵 倉島颯良
草川直弥(ONE N’ ONLY) 川添野愛 松林うらら 林裕太 カトウシンスケ 黒沢あすか

第18回大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門に正式出品された、福岡、佐賀を舞台に3人の異母姉妹が織りなす物語。過去の痴漢被害のトラウマを抱えて生きてきた響子(松井玲奈)は、病を機に女優を辞め、東京から生まれ故郷のある九州に移住しようと福岡にやって来て、元カレ(草川直弥)と再会。響子の異母妹の菜穂子(岡崎紗絵)は素性を隠して響子に接近。さらに叔母の芙美子(黒沢あすか)と暮らす高校3年生の杏奈(倉島颯良)も異母妹であることがわかり…。

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