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女優・内田慈、松尾スズキに憧れ演劇の道へ。下積み時代は“家賃2万5千円”の風呂なしアパート「買ってでも苦労したかった」

高校生のときに松尾スズキさんに魅了され、19歳から舞台を中心に演劇活動を始めた内田慈(うちだちか)さん。

新進気鋭の作家・演出家の作品に多数出演し、2008年、映画『ぐるりのこと。』(橋口亮輔監督)でスクリーンデビュー。

妖艶なルックスと圧倒的な存在感で注目を集め、映画『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(白石和彌監督)、映画『ピンカートンに会いにいく』(坂下雄一郎監督)、『silent』(フジテレビ系)、『海王星』など多くの映画、ドラマ、舞台に出演。現在、主演映画『あの子の夢を水に流して』(遠山昇司監督)が公開中の内田慈さんにインタビュー。

 

◆幼少期は父母のため子どもらしい子どもを演じていた

内田さんは、6歳上と3歳上の姉をもつ三姉妹の三女として神奈川県横浜市で生まれ育ったという。

「一番上の姉は、多分姉として振る舞わなきゃいけないというのがあるんだろうなというのが子どもながらに感じていて。三姉妹の次女は変わり者が多いと聞いたことがあるんですけど(笑)、うちの二番目の姉も変わっていて。

父と母の感じを見ていると、多分子どもらしい子どもがひとりいたほうが家庭って良いんだろうなって思っていたりして。私には子どもという役割がきっとあるだろうから、子どもという役割を演じようというところがあったような気がします。

それで一つ強烈に覚えているのが、みんなで海に遊びに行ったとき、お姉ちゃんたちは『人目のないところで着替えなさい』と言われて、トイレで水着に着替えたんです。

私はそのとき小学校3年くらいだったので、からだの発達上はまだ人目を気にする必要はなかったんですけど、心は育っていますから、本当はお姉ちゃんたちと同じ場所で着替えたかったんです。

でも、みんながいるところで着替えられるくらいの子どもがひとりくらいいたほうが親はうれしいんだろうなと思って、『私はここで着替える!!』って言ったのをすごくよく覚えています(笑)」

-わずか8歳か9歳くらいでそういう子どもを演じていたということは、今の職業につながっていますね-

「そうなのかもしれないですね。今初めて話していてつながりましたけど(笑)」

-その頃は、お芝居のことなどは全然考えてなかったのですか?-

「そうですね。毎年行われているミュージカル『アニー』の舞台裏密着ドキュメンタリーとかを観るのは好きで、『こういうのに挑戦したら、すごくおもしろいだろうなあ』という憧れみたいなものはありましたけど、実際に自分がやってみるとか、そういうことを具体的に考えたりする幼少期ではなかったです」

-ドラマや映画は?-

「好きでよく観ていました。お風呂で『あの人すごい泣いていたけど、そんな演技とかで泣けるの?私にもできるかな』ってやってみたりしたことはありました(笑)。

子どもの頃から物語の中で人が死ぬシーンがあると、『あの人本当に死んじゃったのかな』って思って悲しくて夜眠れなくなっちゃったり、結構入り込んでいて。物語の世界に浸りたいみたいな願望はあったのかもしれないです」

※内田慈プロフィル
1983年3月12日生まれ。神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科中退後、演劇活動を開始。オーディションにより新進気鋭の作家・演出家の作品に多数出演。『きみはいい子』(呉美保監督)、『下衆の愛』(内田英治監督)、『レディ・トゥ・レディ』(藤澤浩和監督)、『silent』(フジテレビ系)、『夫婦が壊れるとき』(日本テレビ系)、木ノ下歌舞伎『糸井版 摂州合邦辻』、こまつ座『紙屋町さくらホテル』など映画、テレビ、舞台に多数出演。2010年から『みいつけた!』(NHK Eテレ)に声優として参加。ナレーションなど幅広い分野で活躍。主演映画『あの子の夢を水に流して』が公開中。

 

◆姉が持っていた雑誌で小劇場に惹かれ…

演劇との出会いは高校生のとき、松尾スズキさんの存在が大きかったという。

「一番上の姉が演劇系のライターとか編集の仕事をしているんですけど、私が高校生のときに姉がちょうど演劇に興味を持ちはじめて、『劇団四季』とか『新派』の舞台を観るようになったので、演劇の雑誌が家にあったんです。

私はその雑誌を見て小劇場というジャンルのほうに興味をもつようになったんですけど、松尾スズキさんが言っていることは全部おもしろいし、舞台写真もヘンテコで、それまで思っていた演劇と全然違うと思って。松尾さんが出られている『トップランナー』(NHK)という番組とか、舞台の映像などを観るようになったという感じです」

-観た瞬間にハマりました?-

「はい。初めて観た松尾さんのミュージカルの映像は、『キレイ-神様と待ち合わせした女-』という奥菜恵さんが出られていた作品だったんですけど、ミュージカルの美しさとか華やかさに、私はちょっと照れくささだったり、違和感を覚えるタイプだったんです。

松尾さんのミュージカルって、突然歌い出すことの気持ち悪さだったりとか、全部利用して作っているんですよね。

それで、作品自体も、なんとなく言っちゃダメと言われている歪みみたいなこととかをとてもしかもおもしろく形にしてらしたので、『これは私が思っていたけど言っちゃいけないと言われていたことだし、私が変なのかとか思っていたけど、そうじゃない、いいんだよねって言ってくれる人がいた。そういう分野があるんだ!!』という衝撃的な出会いでした。

でも、それは演劇がやりたいではなくて、『松尾さんに会いたい』だったので、演劇がやりたいは、またそれよりまた後なんですけど(笑)」

2002年、内田さんは、日本大学芸術学部文芸学科に入学するが、1年生の前期で中退することに。

「大学に入ったら、早く実践に行きたいと思ったところもあって。演劇学科の授業にも潜りこんだりしていたんです。

バレエのレッスンがあったり、外郎(ういろう)売りとかをやったりする授業とかもあったんですけど、これはきっと基礎にはなるんだろうけど、私はもう松尾さんとかNODA・MAPの野田(秀樹)さんという好きな人がいたので、授業よりも早くその人たちに会いたいという思いが勝っちゃって、1年の前期で大学を辞めることにしました」

-松尾スズキさんには?-

「結構早く会えちゃったんです(笑)。私が初めて受けたオーディションは『ラフカット2002』という舞台だったんですけど、各30分くらいのオムニバスで、『劇団☆新感線』の中島かずきさん、『ラッパ屋』の鈴木聡さん、『ナイロン100℃』のケラリーノ・サンドロヴィッチさんの作品があるなかで、松尾スズキさんの作品もあって。

私は、松尾さんとケラさんのオーディションを受けていて、両方とも最終まで残っていて、最終審査には、松尾さんもいらしたので芝居を観てもらったんですけど、どちらかにしか出られなくて、私が受かったのはケラさんのほうだったんです。

そのあと松尾さんの『大人計画』の劇団員募集に応募したんですけど、書類で落とされました(笑)。『大人計画』の人たちは名前も全員おもしろいし、個性的な方が多いので、ちょっと奇をてらった書類を作っちゃったんですかね。

でも、後にまた松尾さんとお会いする機会があったので、そのことをお話ししたら『書類選考は俺やってないし、そんなことがあったんだ』って言われたりして、ちょっと懐かしい思い出なんですけど(笑)」

 

◆大学中退後、家出同然で四畳半風呂なしのアパートに

2002年、1年の前期で大学を中退した内田さんは、家出同然で実家を出て上京。阿佐ヶ谷の家賃2万5千円、四畳半風呂なしアパートで一人暮らしを始めることになったという。

「大変でしたけど、今考えるとちょっと憧れがあったのかもしれないです。大学に入って間もないタイミングで実家を飛び出して、風呂なしの2万5千円のアパートに3年くらいいたのかな。

ものすごく大変だったんですけど、こんな経験はなかなかできないだろうと思ったし、当時ですら、あまりそういう人はいなかったんです、すでに。今の時代なんてとくにいないでしょうけど。だから自分でも何かちょっと楽しんでいた部分もあったのかもしれないですね(笑)」

-女性なのでお風呂がないのは大変だったのでは?-

「はい。お湯も全然出ないし大変でした。本当に小さな水場しかないし、蛇口も回転しない古いタイプだったんです。銭湯も時間が決まっているので行けなかったときは、その流しに無理やり頭を突っ込んで、真冬でも水で髪を洗ったりしていたので、それは大変でした(笑)」

-今活躍されている女優さんでも、若い頃はお金がなくてキッチンの小さな流し台にからだを入れて洗っていたという話もありましたね-

「まさにそう(笑)。それはやっぱり憧れがあったんですよね。先輩方のインタビューとかで苦労話を聞いて、買ってでも苦労したかった。これがどうつながるかわからないけど、何か肥やしになるんじゃないかみたいな貪欲さもどこかにあったと思います(笑)」

-なかなかない経験ですからね-

「そうですよね。でも、今のところ、小さな流しに頭を突っ込んで洗った経験が役立ったと思ったことは一度もありません(笑)」

-生活はどのように?-

「いろんなアルバイトをしていました。それもまた憧れがあって(笑)。古田新太さんのインタビューを読んだら、本当にとんでもない量のアルバイトをしたって書いてあって。

バイトの種類もその当時の私から見ると、『幅が広すぎてカッコいい、おもしろい』と思ったので、私もパン工場とか、雀荘のホールとか、いろいろやりました。単純にお金に困っていたというのもありましたけど(笑)。

芝居を始めた当時は当然、芝居では食べていけないし、チケットのノルマもあったりしたので、本当にお金はなかったです。スキがあれば芝居を観に行って、常に何かしらの作品の稽古をやってとなると、本当に働く時間は限られているので、時給がわりと良かったとしても稼げる金額が少ないんですよ。

だから、食べるものを削るしかなかったので、お客さんに出しているサラミを『おやつにいただきます』って言って3本もらって帰って、それをおかずにしてご飯を食べたりしていました」

-自分は必ず成功するという自信はありました?-

「自信はなかったんですけど、辞めることはないんだろうなとは思っていました。辞めなければ、それが職業になっているだろうみたいな自信はあったかもしれないです」

内田さんはオーディションにより「ポツドール」や「イキウメ」をはじめ、多くの新進気鋭の作家・演出家の作品に出演することに。

-オーディションで決まっていく確率が高かったのでは?-

「はい、高かったんです。うれしかったですね。観ていて好きだった劇団のオーディションを受けていたので、その劇団のことをもちろん知っているし、どこが好きかというのを聞かれたら、絶対にハッキリ言えるという、そこにはまず自信がありました」

-その当時はテレビや映画など映像のことは?-

「まったく考えていなかったです。舞台のことだけ考えていました。小劇場のヘンテコ感に惹かれて救われたというのが初動なので、25歳くらいまでは、夢だった世界の扉を開けた、それでそこに出入りすることができているということがうれしくて。そこに満足していて映像のことはまったく考えていませんでした」

さまざまな舞台に出演していた内田さんは、舞台を観に来ていた橋口亮輔監督の目に留まり、2008年、映画『ぐるりのこと。』に出演。『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(白石和彌監督)、『鍵泥棒のメソッド』(内田けんじ監督)、主演映画『ピンカートンに会いにいく』(坂下雄一郎監督)など多くの映画に出演することに。次回はその撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:山﨑沙央里
スタイリスト:長谷川杏花(山田かつら)

©「あの子の夢を水に流して」製作委員会

※映画『あの子の夢を水に流して』
下北沢K2にて公開中
配給:ベンチ
監督:遠山昇司
出演:内田慈 玉置玲央 山崎皓司 加藤笑平 中原丈雄

令和2年7月豪雨で被災した熊本県の球磨川を舞台に、10年ぶりに帰郷した女性が旧友と出会い、不思議な現象に遭遇する様を描く。生後10カ月の息子を亡くし失意の底にいる瑞波(内田慈)は、故郷の熊本県八代市に10年ぶりに帰省し、幼なじみの恵介(玉置玲央)と良太(山崎皓司)と再会する。そして3人は、豪雨災害の傷跡が残る球磨川で不思議な現象に遭遇することに…。

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