高橋惠子、15歳で衝撃の女優デビュー。セミヌード、堕胎シーン…体当たりの初主演作は「内容も知らずに勢いで(笑)」
1970年、15歳のときに映画『高校生ブルース』(帯盛迪彦監督)で関根恵子として主演デビューし、『おさな妻』(臼坂礼次郎監督)、『遊び』(増村保造監督)など数々の話題作主演が続いた高橋惠子さん。
大人びた美貌と大胆な演技で注目を集め、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、映画『ラブレター』(東陽一監督)など多くのテレビ、映画に出演。
私生活では、1982年に『TATOO<刺青>あり』で出会った高橋伴明監督と結婚。ふたりが再タッグを組み、“Jホラーの原点”と称される映画『DOOR』のデジタルリマスター版が35年の時を経て、2023年2月25日(土)に公開される高橋惠子さんにインタビュー。
◆中学2年生のときにスカウトされて女優デビュー
北海道で生まれた高橋さんは、小学校6年生のときに両親とともに東京に転居し、中学2年生のときに大映のスチールカメラマンにスカウトされたという。
「親の仕事の都合と、私を大学に行かせたい、それには親元から通わせたいというのがあって東京に出てきたんですけど、中学2年のときに近所の写真屋さんでスカウトされて、親が喜んだんですよ。
父が俳優になりたかったんだけど、福島の出身で、『い』と『え』の違いがうまく使えなくて断念したということだったので、自分ができなかったことを託したいと。
母も宝塚の公演を観るのが好きだったので、芸能の仕事に対しては、とても理解があって応援してくれました。普通は反対しますよね(笑)」
-中学校を卒業してすぐ大映に入社ということですが、進学したいという思いは?-
「学校があまり好きじゃなかったんですよ。みんなと同じことをするということがあまり好きじゃなくて(笑)。勉強は好きだったんですけどね。学校の先生とか親は、『高校に行きなさい』って言っていました。
でも、私は『NHKの通信教育を受けるので、女優業に専念したい』って言って高校には行かなかったんです。当時はみんな高校に行っていましたね。一世代前までは中学を卒業すると集団就職で東京へという人もいましたけど、当時は中卒というのは珍しかったです」
-今と違って当時は15歳でデビューという方はあまりいなかったのでは?-
「あの当時はいなかったですね。ましてあんな上半身裸になってなんていうのは、ほとんどなかったんじゃないかな」
-ご自身ではそのことに対してはどのように?-
「抵抗はありましたけど。本当は『おさな妻』でデビューすることに決まっていたんです。でも、いきなり撮影所の所長さんに呼ばれて『高校生ブルース』の台本を渡されて、『関根くん、これをやってもらいます』って言われて、『はい』って思わず言ってしまったんです、勢いで。内容も知らずに(笑)。
それで、家に帰って台本を読んだら、もう夜寝られなくなるくらいびっくりして。衝撃的な内容だったし、上半身裸になるというシーンもありましたし…。でも、『はい』って言ってしまった手前、やらないわけにもいかないし。
結局、やるはずだった女優さんが降板されたから回ってきたので、やらざるを得ないような状況で。断ろうと思えば断れたんでしょうけれども、なんとなく勢いで『はい』って言ってしまったので、もう後には引けないっていう感じだったんですよね。もちろん抵抗はありましたけれども、言ってしまった以上やるしかないなという感じでした」
-責任感があってしっかりしていますよね。まだ15歳でその決断は-
「結構大人びていましたね。親を見なきゃいけないというのがあったんですよ。私には10歳上の兄がいたんですけど、生まれてすぐ脳性麻痺(まひ)になって13歳で亡くなったので、私が親の面倒をみるしかない、そんな気持ちが結構強かったですね」
映画『高校生ブルース』で高橋さんが演じたのは、クラスメイトの昇と高校の体育館倉庫で肉体関係を結び、妊娠した16歳の女子高生・美子。追い詰められたふたりは、体育館倉庫で堕胎を開始するという衝撃の内容。
-『高校生ブルース』に出ることについてご両親はどのように?-
「そんなに相談もしなかったと思います。でも、何であんなのに出たとかいうこともなく、出来上がった作品を観てくれて、『よく頑張ったな』って一言だけでした」
-妊娠した子どもを堕胎するシーンが衝撃的でした-
「そうですね。体育館の倉庫で、恋人にお腹(なか)を何度も蹴ってもらって流産するというシーンで大変でした。16歳の方が書いた作品なんですけれども、すごい内容でしたよね」
-公開されて反響もすごかったと思いますが、いかがでした?-
「そのときにはもう次の映画の撮影に入っていて、そっちのほうに気持ちがいっていました。撮っているときにもう次が決まっているという感じだったので。
あとは撮影が終わったら、ハイヤーで都心に向かって取材を受けて。昔は『明星』とか『平凡』という雑誌がありましたよね。ああいう雑誌のグラビア写真を撮ったり、毎日のように宣伝の取材などがあって、帰りは10時、11時になって。次の日はまた7時くらいに撮影所に入るというような毎日でした」
※高橋惠子プロフィル
1955年1月22日生まれ。北海道出身。1970年、映画『高校生ブルース』でデビュー。映画『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞受賞。映画『朝やけの詩』(熊井啓監督)、『神田川』(出目昌伸監督)、『カミハテ商店』(山本起也監督)、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』(NHK)、『彼らを見ればわかること』(WOWOW)、ミュージカル『HOPE』など映画、テレビ、舞台に多数出演。『DOOR デジタルリマスター版』が2023年2月25日(土)に公開される。
◆入社後1年半で会社が倒産寸前!
中学校卒業後、大映に入社し、『高校生ブルース』、『おさな妻』など7本の映画に主演した高橋さんだったが、1年半後に大映が倒産。東宝に移籍することに。
-『高校生ブルース』、『おさな妻』など立て続けに主演されましたが、心と体は順応できました?-
「女優を始めてすごく元気になりました。それまでは病弱だったんです。小さい頃はよく風邪をひいたりするような子どもで内向的だったんですけど、女優業を始めて、自分で覚悟を決めてやると決めてからは、すごく外交的になった感じです」
-1年半で7本というのはすごいですね-
「そうですね。1年半で休みが3日しかなくて。とにかく忙しかったですね」
-その間、大映が倒産しそうだということは耳に入ってきていたのですか-
「倒産というところまでは思っていませんでしたけど、ロケに行くときに、『ロケ代がないんだよ』って話しているのを聞いちゃったんですね。『ロケに行くお金がないって言っているけどどうするんだろう?』って。
テレビの『ザ・ガードマン』(TBS系)というドラマの最終回に池部良さんの娘役で出演させていただいて、前編・後編でポルトガルロケに行かせてもらって。ロケから帰ってきたら、倒産ということになっていて…。
大変ですね、倒産するというのは。ずっとそこでスタッフの人たちがみんなで映画を作ってきた場所が崩壊していくというのは、子ども心にとてもやりきれない思いというか。
でも、自分はどうすることもできないし、自分の今後のことも考えなきゃいけない。おかげさまで名前が出ていたので、松竹、日活、東映、東宝…そういうところから『うちに来ないか』というお話をいただいて。それもすごいお偉い方が依頼に来てくださったんですけど、判断をするのも難しかったです。相談する人もいなかったし」
-その当時はマネージメントする方は?-
「いなかったんですよ。マネジャーという人がいない状態で。大映のスチールマンにスカウトされたので宣伝部扱いみたいな感じで、宣伝部の人たちが、それで宣伝してくれたわけですよね。自分のところのスチールマンが見つけて来た子だし、何とか世に出そうみたいな作戦を練ってくださって。そのおかげでというのはすごく大きかったと思います」
-ほとんどすべての映画会社からオファーがあったなかで、東宝を選んだ理由は?-
「安全そうだったから(笑)。でも、何年いたかな? 東宝は短かったですね。でも、東宝に入ったおかげで映画も何本かありましたけど、『太陽にほえろ!』というテレビの仕事もすることになって、それは大きかったですね。一般の方に知っていただけたというのは」
◆『太陽にほえろ!』で伝説の俳優と共演
高橋さんは、1972年7月から『太陽にほえろ!』に七曲署の婦人警官・シンコ役で出演。映画ファンだけでなく、お茶の間でも広く知られるようになる。
-シンコ(内田伸子)役でしたが、あのときはまだ10代だったのですね-
「はい。入ったときが17で、18までの2年間。最初はお茶くみだったんですけど、2年目に刑事になって少年課。捕まえる少年が必ず自分より年上なんですよ(笑)。最初、ショーケン(萩原健一)のときは17でしたからね」
-松田優作さん、ジーパン刑事とは恋人同士になって-
「婚約までしますからね。それなのに殉職してしまって」
-亡くなるシーンが衝撃的で話題になりました-
「そうですね。『なんじゃ、こりゃあ』ってね」
-萩原健一さん、松田優作さんと共演されていかがでした?-
「やっぱりふたりとも、それまでにない刑事像を作ってくれたなあって思います。ショーケンは着るものとかも自分が知っているデザイナーさんをこの作品のなかにという感じだったと思います。だって、あり得ない格好ですもの、刑事としては。それまであんな刑事はいなかった。新しい刑事像ですよね」
-ワイシャツの襟も大きくて、スーツもステージ衣装みたいでした-
「そう。白いスーツとかね。そういうのを作り上げたというのはすごいなあと思うし、演技にしても、『今までの刑事はこうだ』というのを全部破ってくれたというか、今までの既成概念を壊してくれて、ふたりともそうでした」
-優作さんの劇団の舞台にも出演されたそうですね-
「はい。それが最初の舞台ですけど、アングラですよね。優作さんは、文学座の研究生でらしたんですけれども、ご自分で『F企画』という劇団を持ってらして。
優作さんは、そのときは役者じゃなくて演出家としてやってらしたんです。みんな仕事をしていましたから、仕事が終わった後、夕方とか夜から稽古が始まって、舞台は3日間くらいだったかな。
本当に短かったんですけれども、私にとってはそれが初めての舞台でした。おもしろがって『やりたい!』って言ってやりました。ノーギャラで(笑)。
すごくいい意味の緊張感と観られているという快感というか、他では味わえないなと思いました。カメラの前で演じるのとはまた違う人の目、気が自分に向けられているなかで演じる心地良さといいますか、それを感じました」
『太陽にほえろ!』の翌年には、映画『朝やけの詩』に主演。1982年には、にっかつロマンポルノ10周年記念大作『ラブレター』に主演し、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録して話題に。同年、高橋さんは、『TATOO<刺青>あり』で高橋伴明監督と出会い、結婚。芸名を現在の「高橋惠子」に改名した。次回は、『ラブレター』、『DOOR』の撮影エピソード&裏話も紹介。(津島令子)
©エイジェント21、ディレクターズカンパニー
※映画『DOOR デジタルリマスター版』
2023年2月25日(土)より新宿K’s cinemaにて独占ロードショー
配給:アウトサイド
監督:高橋伴明
出演:高橋惠子 堤大二郎 下元史朗 米津拓人
主婦VSストーカーのスーパーバイオレンス。夫と息子と3人でマンションに暮らしている靖子(高橋惠子)は、毎日かかってくるいたずら電話やしつこいセールスマンの勧誘に神経質になっていた。ある日、ドアチェーンの間からパンフレットを強引に差し込んで来たセールスマン(堤大二郎)に恐怖を感じた靖子は、彼の指をドアで思い切り挟んでしまう。それがきっかけで執拗(しつよう)な嫌がらせが続くようになって…。