平山浩行、人生初のオーディションで実現した俳優デビュー。振り返る悔しい思い「初めて食事が喉を通らない経験をしました」
2003年、『高原へいらっしゃい』(TBS系)で俳優デビューした平山浩行さん。
184cmの長身に端正なルックスで人気を集め、連続テレビ小説『天花』(NHK)、『臨場(続章)』(テレビ朝日系)、『おじさまと猫』(テレビ東京系)、映画『男たちの大和/YAMATO』(佐藤純彌監督)、映画『ハルカの陶』(末次成人監督)など多くのドラマ、映画に出演。
2022年11月4日(金)に初主演映画『シグナチャー~日本を世界の銘醸地に~』(柿崎ゆうじ監督)の公開が控えている平山浩行さんにインタビュー。
◆高校時代はラグビー部にスカウトされて活躍
岐阜県で生まれ育った平山さんは、中学時代はバレーボール部に所属。高校時代はラグビー部に所属し、高校3年の春には岐阜県の選抜チームに入り、全国高校ラグビー大会の県予選で決勝まで進んだという。
-ラグビーをはじめられたのは?-
「背が高くて体が大きかったですからね。『ラグビーやらないか』とスカウトされてやることになったんです。『スクール☆ウォーズ(~泣き虫先生の7年戦争~)』(TBS系)というドラマも見ていたので、青春を謳歌(おうか)するにはこれしかないなと(笑)」
-プロ選手になろうという考えはなかったのですか?-
「とにかくケガが多かったですからね。左右両方の靭帯(じんたい)も切っていますし、それ以外にもいろいろやりました。足の爪が剥がれるなんていうのもしょっちゅうで、ケガが絶えなかったです。だから痛みには強くなりましたけどね」
-俳優になりたいと思ったきっかけは?-
「昔からテレビが好きだったんです。うちの父親がテレビで『日曜洋画劇場』(テレビ朝日系)とか、映画をやると必ず見る人で、それを一緒になって観ていたんですよね、大人の映画を。
それで『この世界いいなあ。あっちの世界は楽しそうだなあ』って思ったんですよ、漠然と。何をどうすればいいかわからなかったんですけど、そういうことを思いながらずっといたんですよね。
でも、なりたいからと言ってなれるものでもないし、きっと東京に行かないとなれないんだろうなあって、それくらいしかわからないわけですよ(笑)。それで、漠然とですが、いつか東京に行ってあっち側で何か仕事ができたらいいなあって思っていました」
高校卒業後、平山さんは名古屋の洋服店で約2年間アルバイトをすることに。その後、半年間大阪で過ごしてから上京したという。
「何のあてもありませんでしたけど、芸能界の仕事をするには東京だということで、まずは住むところを探しに1日東京に来たんです。
それで、下北沢に住みたいなと思って、駅の近くの不動産屋さんで聞いたら、自分が思っていた予算と合わないんですよ。アルバイトでお金を貯めていましたけど、僕が思っていた家賃の3倍とか4倍だったんですよね。
住むところを探すために何回も東京に来ることはできないので、その日のうちに決めなきゃいけないし、不動産屋さんに予算を伝えて聞いたら、成城学園と二子玉川のちょうど間くらいのところのアパートを紹介されて。
田舎から出てきているので、景色を見ているだけであっという間に着いた感覚だったんですよ。それで、下北沢も近いし、家賃も安いし、ここでいいやと思って決めて。それで大阪に帰って引越しの準備をして東京に出てきたという感じでした」
※平山浩行プロフィル
1977年10月17日生まれ。岐阜県出身。2003年、『高原へいらっしゃい』で俳優デビュー。『碌山の恋』(TBS系)、『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)、『わたし旦那をシェアしてた』(日本テレビ系)、『パンドラの果実~科学犯罪捜査ファイル~ Season2』(Hulu)、映画『ウォーターズ』(西村了監督)、『臨場 劇場版』(橋本一監督)、映画『昼顔』(西谷弘監督)など多くのドラマ、映画、CMに出演。2022年11月4日(金)に初主演映画『シグナチャー~日本を世界の銘醸地に~』が公開される。
◆人生初のオーディションで俳優デビュー
21歳のときに上京した平山さんは、アルバイトの募集記事を見た二子玉川園の飲食店で働いた後、西麻布のBARで働くことに。
-西麻布だと結構芸能関係の方もお客さんでいらしたのでは?-
「来ていました。でも、みんな遊びで来ているので、そこで『自分は役者をやりたいんです』というのは言えませんでしたし、店で役者になるきっかけをつかもうというような気持ちはまったくなかったです」
-俳優デビュー作となったドラマ『高原へいらっしゃい』は、オーディションですか?-
「そうです。働いていたお店の店長さんに、僕が役者志望だけど事務所に入っていなくて入り方もわからないという話をしたら、たまたまお客さんでそういう事務所のマネジメントをやっている人がいるから紹介してあげると言ってくれて、その次の日に『明日面接の予約を取ったから行ってきて』っていきなり言われて。
とにかくとんとん拍子に面接までこぎつけて、そのとき24歳になる年だったんですけど、いろいろ話しているうちに『あなたの年齢だと、もうお芝居もできてバリバリ仕事ができていないといけない年齢だから、あなたはちゃんとそういう勉強をしているの?』って聞かれたので、『何もしてないです』って言ったら、『えーっ?!それじゃあちょっと難しいかもしれないよ』って言われたんですよ。
でも、そのとき自分ではまだ若いと思っていて、まだまだこれからで、逆に早いくらいだと思っていたんですよね。
だけど、芸能界というのは、10代からデビューして僕の年齢では、もういっぱしに仕事ができるようになっていないとダメなんだということをそのときに知って、ちょっと諦めかけていたんです。
そうしたら、その2週間後くらいにその事務所の社長から電話をいただいて、『ちょうどあなたに年齢的に合いそうなオーディションがあるから行ってきて』って言われて、『高原へいらっしゃい』のオーディションに行ったら受かったんです」
-初めて受けたオーディションだったのですか?-
「そうです。初めてでした。紙を一枚渡されて『お芝居してください』って言われて。お芝居をしたこともないし、人前に出るのも恥ずかしかったんですけど、こういう機会だから頑張ろうって思ってやりました。
山田太一さんのドラマだったんですけど、何の経験もない新人を使うということだったみたいです。昔から新人を起用するという枠組みだったので良かったんだと思います」
『高原へいらっしゃい』は、1976年に山田太一さん原作・脚本、田宮二郎さん主演で製作されたドラマを佐藤浩市さん主演でリメイクしたもの。八ヶ岳高原にある一軒の荒廃したホテルを舞台に、ホテルの再建に立ち上がった一人の男性と、スタッフたちが奮闘する姿と葛藤を描いたドラマ。平山さんはホテルのスタッフ・中原友也役で出演。
-平山さんのお名前に(新人)と付いていましたね。初めてのドラマでいきなりレギュラー、それもメインキャストのひとりに決まったと聞いたときにはいかがでした?-
「『やったー!』って思いましたけど、『これから佐藤浩市さんとどうやって芝居をしていこうか』って不安になりました。お芝居の経験もないし、昨日までテレビで見ていた人たちの前で芝居をするわけですから、『どうしよう?』って(笑)。
どうやってやろうかと一生懸命考えましたけど、できるわけもなく…。でも、とにかくどうにかこうにか、周りの方に支えてもらって、一個一個教えていただいて何とか3カ月乗り越えました」
-初めてにしてはしっかりされていると思いました-
「いやいや、あれほど大変なものはないし、それまで生きてきた中で、あんなにできないものってなかったんです。
今と違って、あの当時はスタッフもかなりきつかったですからね。『何でそんなにできないんだ?』ってめちゃめちゃ言われてたたかれて…。本当に生まれて初めて食事が喉を通らないという経験をしました。
わかっているし、やろうとしているのにできない、悔しい…色々考えていましたね。『こんなにできないものなんだ。少しでもできるようになりたい』って思いながらやって、どうにかこうにか1クール、3カ月間終わったという感じでした。
そうしたらまたオーディションがあると言われて行ったら、朝ドラ『天花』(NHK)に受かったんですよ。デビューしてまだ3カ月しか経っていないのに。
その当時は、今と違ってヒロインが新人だったんですよね。何の経験もない新人を起用するという新人の登竜門だったので、ヒロインもお芝居の経験がまだ少ないし、僕もあまりないし…という状況で大変でした(笑)」
-平山さんは『高原へいらっしゃい』で3カ月間みっちりやった後だったので、良かったのでは?-
「でも、それくらいで芝居ができるわけがないじゃないですか。それでまた半年間、みっちりとめちゃめちゃ怒られました(笑)」
◆大作映画に出演「バリカンでやっちゃって…」
2005年、平山さんは、映画『男たちの大和/YAMATO』に玉木水兵長役で出演。この映画は、第二次世界大戦で世界最強最大と謳(うた)われた「戦艦大和」に乗り込んだ乗組員たちの悲劇を壮大なスケールで描いたもの。
-映画は『男たちの大和/YAMATO』が最初ですか-
「公開はそうです。すごい大作じゃないですか。しかもクレジットも入れてもらったので、すごくいい経験をさせてもらいましたね。監督もすごい方でしたし」
-戦闘シーンもリアルで迫力がありました-
「すごかったです。血のりが船の床にたまりましたからね。結局、僕は爆死するんですけど、大砲のようなところに砂利を詰めて、それを爆破した瞬間、スイッチを押したタイミングと同時に僕たちは後ろに飛ばなきゃいけないんですよ。
爆風で吹き飛ばされるというところなので、『3、2、1、ドンで飛んでくれ。絶対にそこのタイミングはずらせないよ』って言われていたんです。それで、みんないつ来るか、いつ来るかって構えていたんですけど、『3、2、1、ドン』って来るはずが、『3、2、ドン』って来たんですよ。
それでみんなびっくりしちゃって飛ぶみたいな感じで(笑)。狙いなのかどうかわからないですけど、実際の衝撃で飛んでいましたね。目に砂利(じゃり)は入って充血しちゃうし、血のりは飛んでくるしで大変でした。僕は早めに戦死する役だったので、まだ良かったですけど。
でも、毎日バリカンで頭を剃らないといけないんです。だからテーブルにバリカンが置いてあって、みんな朝入ってきたらバリカンで丸坊主にして、ゴム草履、衣装を着替えて撮影が始まるという感じでした」
-凛々(りり)しくて合っていましたね-
「ありがとうございます。みんなつながりもあったので、髪の長さも決まっているんですけど、たまたま置いてあったバリカンをそのまま使ったら刃の長さの調整ができてなくて、ジョリッていっちゃって(笑)。そこだけ地肌が出て真っ白になっちゃったんです。
そこだけ白いのもおかしいしというので、全部長さをそれでそろえてジョリジョリやったんですけど、とにかく日に焼ければどうにかなるだろうと思って(笑)。そんな失敗もありました」
-それは大変でしたね-
「本当に。でも、おもしろかったですよ。貴重な体験でした。今、ああいう映画ってないじゃないですか。CGが多くなりましたし、ケガをしたら大変だということで、いろんなことができなくなりましたからね。
当時は運転できていたものも、今は運転できないとか、タバコはダメだとか、いろいろ制約があるので。あの当時は、今はできないことを勉強させていただいたので貴重な体験でした」
-実際に経験できたということは大きいですよね。今はやりたくてもできないですから-
「そうですね。やりたくても難しいので、実体験としてできたことは大きいです。聞くのとやるのとでは違いますからね。作品と共演者にも恵まれてきたなあって思います」
念願だった俳優デビューを果たした平山さんは、2007年にはドラマ『碌山の恋』に主演。『臨場(続章)』、『やすらぎの刻~道』、映画『ハルカの陶』などコンスタントにドラマ、映画に出演することに。次回はその撮影エピソード&裏話なども紹介。(津島令子)
ヘアメイク:鎌田順子(JUNO)
スタイリスト:久保コウヘイ
※映画『シグナチャー~日本を世界の銘醸地に~』
2022年11月4日(金)より新宿武蔵野館ほか全国公開
配給:カートエンターテイメント
監督:柿崎ゆうじ
出演:平山浩行 竹島由夏 徳重聡 山崎裕太 渡辺大 伊藤つかさ 長谷川初範 宮崎美子 榎木孝明
日本のワイン業界を牽引(けんいん)した麻井宇介(浅井昭吾)の想いを受け継ぎ、「日本を世界の銘醸地」にするために奮闘する醸造家・安蔵光弘の半生を描く。1995年、東大大学院を卒業した安蔵(平山浩行)は、ワインを作りたいという希望叶えるために山梨県勝沼町にあるシャトーメルシャンに入社。そこで会社の大先輩である麻井宇介(榎木孝明)と出会い、その見識の高さと人柄に傾倒していく。やがてワインの醸造にも携わる中で、ワイン造りを切磋琢磨する仲間にも出会うことに…。