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吉行和子、40歳をすぎて“過激な”新境地。極寒の山中、縛られ吊るされ気を失い…「やってやろうじゃないか」

1969年、15年間在籍した「劇団民藝」を離れ、フリーになった吉行和子さん。

それまでとは正反対の唐十郎さんら反体制のアングラ系の演劇人たちとの芝居に参加していく。そして1978年には、周囲の反対の声をよそに、大島渚監督の映画『愛の亡霊』に主演。女の情念を圧倒的な存在感で演じ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞をはじめ、多くの賞を受賞。

ドラマ『3年B組金八先生』シリーズ(TBS系)、映画『家族はつらいよ』シリーズ(山田洋次監督)など、ドラマ、映画、舞台に多数出演。第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』(潮出版社)をはじめ著書も多く、幅広い分野で才能を発揮している。

 

◆「劇団民藝」からアングラ演劇へ

「早稲田小劇場」の演出家・鈴木忠志さんから「一緒にやりませんか」という言葉とともに送られてきた唐十郎さんの『少女仮面』の台本を読んで、「劇団民藝」をやめることにしたという吉行さん。アングラ系の演劇人たちとの芝居で15年間劇団にいたすべてを否定されることに。

「民藝から渡される台本は、表紙のついた立派なものだったんですけど、『少女仮面』は唐さんの手書きでペラペラの紙にガリ版で刷ってある台本なんですね。ちんぷんかんぷんでよくわからないんだけど、台本から目を離すことができない。すごく魅力を感じまして、こういう役をやりたいと思ってしまったんです。

鈴木さんも唐さんも、『劇団民藝、俳優座、文学座の三大劇団がある限り、日本の演劇は変わらない』という発言を新聞などでしている人たちですからね。その二人の芝居をやるのだったら、そのまま民藝にいるわけにいかないじゃないですか。

宇野(重吉)さんにやめたいと話した翌日、劇団員が全員集まって総会が開かれて、私がやめると言ったら皆さん驚いて怒られましたけど、宇野さんが『役者が自分の本当にやりたいことを見つけるというのは大切なことなんだから、みんなで送り出してやろうじゃないか』と言ってくださって。私は今でも宇野さんのことが大好きですし、尊敬し続けています。そこからいろんな新しい人たちと舞台をつくる機会に恵まれました」

-劇団民藝である程度の地位を確立していたのに思い切った決断をされましたね-

「そうですね。そういう性格はいまだにすごくありますね。でも、なんの疑いもなく新劇の世界にいたのに、気がつくと周りの演劇がずいぶん変わってきていたんですよね。それで民藝をやめたんですけど、当時は相当珍しいことだったらしくて、『大劇団の女優がアングラに移った』って、新聞の社会面の記事にもなったんですよ(笑)」

-結果的にずっと女優さんを続けていらっしゃいますし、コンスタントに主演映画もあるので正解だったということですね-

「そうですね。いろんな目にあって、いろんなことをして自分が今までしてきたことを全部否定されたりしましたけど、それが結局、長持ちの力になっているかなと思うんですね。やっぱり守るだけだったら大変だけど、もうどうでもいいやっていうのがあるから(笑)」

-民藝をやめて、唐さんの戯曲などをやりはじめたときはいかがでした?-

「それまで15年間劇団でやっていたことを全部否定されて、『そうじゃない、そうじゃない』というのばかりで、『いったいどうしたらいいんだろう?』って。

なにしろ一緒に出たのが、鈴木(忠志)さん率いる『早稲田小劇場』の白石加代子さんだったものですからね。劇団の中でいろいろな人とやっていても、彼女の無手勝流のやり方というのは、私は見たことも聞いたこともありませんでした。

稽古がはじまっても、さっぱりわからない。『どうやっていったらいいんだろう?』って思うし、鈴木さん(演出家)は『そうじゃない、そうじゃない!』って怒るし…。

鈴木さんが怒って自分が座っていた椅子を投げてきたこともありました。民藝で大切に育てられていた私は、そんなことをされたことなんてなかったからビックリして、『えらいことになったなあ』って思いましたよ。

でも、そのとき白石さんは、その椅子を足でそっと別の場所に移して何事もなかったかのように稽古を続けていたんですよね。衝撃でした。引き返すわけにはいかないし、『ここでやっていくしかない』と腹をくくってやりました。

劇団(民藝)にいると、先輩たちから常に試験されているみたいなものですから、楽しいと思えることはありませんでした。いつも気持ちが窮屈だったんです。それが今度は何でもありの世界ですから、毎回刺激がすごかった。それでようやく芝居がおもしろいと思えるようになったんです」

「劇団民藝」に在籍していたときは、演目と配役表が出され、それを見て自分の方針が決まっていたというが、フリーになってからは自分で考えるしかない。「次は何を演(や)ろうか」というのがいつも頭のなかにあり、希望がどんどんふくらんでいったという。

そして1974年、舞台『蜜の味』で第8回紀伊國屋演劇賞・個人賞を受賞する。

 

◆極寒の中で過激な撮影…40歳を過ぎて新境地に体当たり!

1978年、吉行さんは映画『愛の亡霊』に主演する。大島渚監督は、前作『愛のコリーダ』が「芸術か、ワイセツか?」裁判になるほど物議を醸したため、周囲には反対する人も多かったという。

映画『愛の亡霊』は26歳も年の離れた人力車夫(田村高廣)の妻(吉行和子)は年下の復員兵(藤竜也)と関係を持ち、共謀して夫を殺害。遺体を井戸に投げ捨てるが、やがて夫の亡霊が姿を現わし、苦しめられることになる…というもの。

「当時の映画界は、30歳を過ぎるとおもしろい役が来なくなっちゃうんですよね。どんな映画に出たかも思い出せない役ばかり。体当たりでできる役というのは、もう私には来ないのかしらと思っていたんです。

名前もないような近所のおばさんみたいな役ならあるんだけど、それじゃつまらない。でも、しょうがないのかなと諦めかけたときに『愛の亡霊』のお話をいただいたもので、『これだ!』と思って、またそこへ突っ走りました(笑)」

-大島渚監督の前作『愛のコリーダ』が芸術かわいせつかと大騒ぎになりましたが-

「そうなんです。だから本当にみんなに反対されました。『何を考えているんだ?』って。『今まで何となくやってこられたんだから、もういいじゃないか』っていう意見がほとんどでした。賛成した人は誰もいなかったですね。

でも、台本を読んだらすごくおもしろくて、『ここに女がいる!この役をやりたい!』って思っちゃったものですから。やりたいことが見つかったら、周りはどうでもいいってなっちゃう性格なのね(笑)。そのとき私は42歳だったんですけど、40歳を過ぎたらやりたいと思っていた、まさにそんな役でした」

-結構過激なシーンもありましたね-

「際どいシーンはもちろん本を読んでいたらわかりました。大島監督は、自分はカンヌで賞をとりたいと。ただ、日本の公開でボカシの入るようなものはとれないから、そうじゃないものを撮りたいとおっしゃったんです。それだけが頼りでした」

-前作とはまったく違いましたね-

「そうなんですよ。全体的に見れば何か昔のおとぎ話みたいな感じで。もちろん過激なシーンもあったけど、そんなのは女優としては当たり前で、『やってやろうじゃないか』という感じでしたけどね(笑)」

-すごくなまめかしくて女の情念が感じられる作品でしたがご自身ではいかがでした?-

「本当に夢中でしたし、大島さんもぜんぜん怖くなかったですね。どんなに怖い人かってみんなに言われたんだけど、ぜんぜん怖くないし(笑)。

周りが全部大島組の方たちで、すごく大きな気持ちで引き受けてくれたという感じでした。皆さんすごく親切で、心地よく演(や)れました」

-撮影で印象に残っていることは?-

「いろんなことがあったけれど、過激な撮影現場でね。当時は、不倫は死刑になるくらいだったでしょう?

だから、しまいには縄で縛られて吊るされて、水をかけられて棒でひっぱたかれるというシーンがあって、滋賀県の山の中で撮影したんですけど、ものすごく寒くて大変でした。

気を失うとバケツの水をかけられて、また棒でひっぱたかれるというシーンですけど、あまりの冷たさと寒さと長い間吊るされていたから、本当に気を失っちゃったんですよ。

気がついたらおすぎが一生懸命私のことをさすってくれていて。大島さんは女性を嫌って、スタッフは全員男性なんですよ。おすぎは役もついていたんですけど、スタッフもやっていて、男性の中で私を介護できるのはおすぎしかいなかったの(笑)。

それで、私が気がつくまでずっとさすってくれていて、やっと気がついたらおすぎの顔を見て、ホッとしたというのが1番の印象ですね」

-あのシーンは見ているだけでも過酷でした-

「バケツに水を入れておくと凍っちゃうくらいの寒さだったので、あれは本当にひどかったです。寒くてね。撮影の前日にテストもして、そのときは少しお湯が温かかったんだけど、本番のときはちょっとでも湯気が立つといけないからということで水でしたからね。本当に気を失ってしまいました」

-大変でしたね。でも、すごい作品ができあがって賞も受賞されました-

「そうですね。あれがターニングポイントみたいになったと思うんですけど、やっぱり民藝出身で、堅いイメージがあったんでしょうね。映画の人たちも敬遠していたのが、『やるじゃないか』という感じで、いろんな役をいただくようになりました。だから、やっぱりやって良かったですね(笑)」

『愛の亡霊』で日本アカデミー賞をはじめ、多くの賞を受賞し話題を集めた吉行さんは、映画、ドラマ、舞台で多忙な日々を送ることに。次回後編では、ドラマ『3年B組金八先生』の撮影エピソード、映画『家族はつらいよ』シリーズの撮影裏話、公開間近の映画『誰かの花』について紹介。(津島令子)

©J&B30製作委員会

※映画『誰かの花』
2021年12月18日(土)~24日(金)横浜シネマ・ジャック&ベティで先行公開
2022年1月29日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
配給:GACHINKO Film
監督:奥田裕介
出演:カトウシンスケ 吉行和子 高橋長英 和田光沙 村上穂乃佳 篠原篤ほか
横浜シネマ・ジャック&ベティ30周年企画映画。強風吹き荒れるある日、団地のベランダから落ちた植木鉢が住民を直撃する事故が。団地に住む認知症の父(高橋長英)とそんな父に振り回される母(吉行和子)を訪ねた息子・孝秋(カトウシンスケ)は部屋へと急いで向かうが…。

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