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宮崎美子、大学時代に週刊誌の表紙を飾り人生激変!「すごくありがたかった」ゼミの男子たちの心遣い

1980年、熊本大学在学中に篠山紀信さん撮影の『週刊朝日』の表紙写真がきっかけでカメラのテレビCMに出演し、健康的なビキニ姿と初々しい笑顔で一躍“時の人”となった宮崎美子さん。

同年、ポーラテレビ小説『元気です!』(TBS系)に主演し女優デビューを飾り、『2年B組仙八先生』(TBS系)、映画『乱』(黒澤明監督)、映画『雨あがる』(小泉堯史監督)などドラマ・映画に多数出演。『NO RETURN』での歌手デビューや、『クイズダービー』(TBS系)のレギュラー解答者、『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)の海外リポーターなど幅広いジャンルで活躍。

芸能生活40周年を迎えた2020年、篠山紀信さんの撮りおろしで自身初となるカレンダーを発売。美しいビキニ姿のショットが“奇跡の60代”と話題に。2021年9月には歌手デビュー40周年記念アルバム『スティル・メロウ~40thアニバーサリー・アーカイブス』を発売。現在、映画『宮田バスターズ(株)-大長編-』(坂田敦哉監督)が公開中の宮崎美子さんにインタビュー。

◆小さい頃はアナウンサーになりたくて

熊本市で生まれた宮崎さんは、父親の転勤で幼稚園のときに大阪へ。小学校のときには大分市に住むことになり、高校2年生のときに熊本市内に戻ったという。

「小さいときは引っ込み思案な子でした。子どもの頃はかけっこが速い子がスターじゃないですか。私は運動があまり得意じゃなくてかけっこも遅いから、モジモジしている感じでダメでしたね」

-バレエを習いはじめたのは?-

「近所のお姉さんが習っていて。お姉さんといってもまだ小学生なんですけど、すてきだなと思って一緒にくっついて近所のバレエ教室に行ったのが最初です。小学校2年生のときだったかな。お衣装も動きもすてきだったので、おもしろいなあと思って行くようになったんですけど2、3年で終わっちゃいました。転校したので」

-子どものときから習い事が好きだったとか-

「昔は流行(はや)っていましたからね。そろばん塾、お習字、ピアノ…みんなやっていました。でも、どれも続かないという悲しさ(笑)。そういうものですよね」

-アナウンサー志望だったそうですね-

「小さいときから内向的なこともあって、声を出して本を読むことがすごく好きだったんです。誰に聞かせるというものでもないんですけど憧れはあったのかな。それで小学校のときに放送部に入って、高学年になると校内放送をやっていました」

-声もきれいで聞き心地がよいですね-

「うれしい。ありがとうございます。声のことを言われるのはすごくうれしいです」

-地元の熊本放送のアナウンサーになろうと考えていらしたのですか?-

「大学も地元の熊本で進学した時点で思い出受験になるんだろうけど、受けようと思っていました。だいたい地方の放送局は採用がほとんどないんですよね。アナウンサーも毎年取るわけじゃないし、コネとかもあるんだろうなと思いながら(笑)。

でも、チャレンジしようとは思っていました。あくまでも地元ですよね。東京に就職で出て来ることになるとは思わなかったです。当時は距離が今よりも遠く感じましたしね」

-熊本大学法学部法律学科に進学されましたが、写真部の方が宮崎さんのブロマイドを作ったりして大学ではすでに有名だったとか-

「そんなの全然。そういう先輩がひとりいただけで、そんなにたいしたことじゃないんです。現像を習いたくて私も写真部だったんです」

-写真部でモデルになることも?-

「モデルはその先輩くらいかな。それも1回撮ってもらったくらいで、あとは『来週までに50枚撮って来て』とか課題を与えられて写真を撮っていました」

-でも、あれだけ可愛かったら大学でも話題になったのでは? ファンクラブができたりとか-

「いいえ。法学部は女子が少なかったんですけど、その中で男子が一度、校内新聞みたいなのに女子の人気投票をやって。私は2位か3位だったんです。それで寸評が『服装を考えろ』って書いてあったの(笑)。もうちょっと着るものを考えたらどうだろうみたいな(笑)」

-あまりファッションには興味がなかったのですか?-

「全然こだわりがないというか、似合うものが何もなかった。本当にそうでした。自転車通学だったので、朝学校に自転車で行くと夏場だともう汗だくなんですよね(笑)。とにかく洗面所で顔を洗って授業に出るという感じだったので、まったく身の回りのことには構っていなかったです」

-大学生になると、化粧気のない子とバッチリお化粧する子と両極端でしたよね?-

「そうですよね。私はまったくしなかったんですけど、教育学部は女子が多くて、やっぱり女子が多いところはするのかな。みんなお化粧していたみたい。『何かすごいよ、教育学部はみんなお化粧しているよ』ってみんな噂していました」

※宮崎美子プロフィル
1958年12月11日生まれ。熊本県出身。熊本大学3年生のときに『篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”』の表紙モデルに応募し、1980年1月25日号の表紙を飾る。2月に篠山さんから直接依頼されてカメラのCMに出演。ポーラテレビ小説『元気です!』で女優デビュー。連続テレビ小説『ごちそうさん』(NHK)、映画『おにいちゃんのハナビ』(国本雅広監督)などドラマ・映画に多数出演。映画『雨あがる』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞をはじめ多くの賞を受賞。『クイズダービー』、『ザ・タイムショック』(テレビ朝日系)などクイズ番組での正解率が高いことでも知られている。34年ぶりにレコーディングした歌手デビュー40周年記念アルバム『スティル・メロウ~40thアニバーサリー・アーカイブス』が発売中。2020年8月からYouTubeちゃんねる『よしよし。』も開設している。

◆篠山紀信さんの写真で人生が激変

1979年10月、宮崎さんは『篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”』の表紙モデルに応募。約1000人の中から最終合格者の10人に選ばれて表紙を飾ることに。

-篠山紀信さんに写真を撮っていただいたのは?-

「表紙に出たのは1月号なので、3年の終わりの年に撮っていただきました」

-宮崎さんご自身で応募することに?-

「そうなんです。就職活動の何かになればと思って。あと、母親が見合い写真にもなるんじゃないかという下心で(笑)」

-1000人の中から50人に選ばれて-

「あまり詳しいことは覚えていないんですけど、朝日新聞の本社に呼ばれてオーディションというか、面接を受けたのは覚えています。5人くらいずつ部屋に通されて、篠山さんが真ん中で編集長とかいろいろな方がいらして、質問を受けるという感じでした」

-はじめて紀信さんにお会いしたときはいかがでした?-

「もじゃもじゃ頭で、『あっ、紀信さんだ』って思いました(笑)。控え室がみんな一緒なんですけど、『東京の女子大生はみんなお化粧しているなあ』って。『この間ローマに行ったときに…』みたいな話をしていて、『何か違う。世界が違う』と思って、ひとりでグルグルグルグル外を回って時間を潰していたんですね。

それで、呼ばれて行ったら寒い時期だったので、私ひとりだけほっぺたが真っ赤だったんです。それが何か新鮮だったみたいです(笑)。私はお化粧道具ももっていなかったので何もしていなかったんですけど、みんなきちんとお化粧していてきれいだなあと思いました」

-紀信さんがとても素朴でいいとおっしゃっていたそうですね-

「お化粧もしないでというのは珍しかったんじゃないですか。そうだと思います」

-そして50人から最終の10人に選ばれたわけですが、自信は?-

「それはもう全然。面接の部屋から抜け出した時点で、『何か違うところに来ちゃった』という場違い感でいっぱいでしたしね(笑)。まあ、東京に遊びに行けただけでもラッキーという感じで。友だちが女子大の寮にいたので、遊びに行って泊まったり…そんな感じでした」

-結果を知らされたのは?-

「わりとすぐでした。家の黒電話にかかってきたんですけど、びっくりしました。『えーっ!?』って(笑)。『本当にいいんですか?』という感じでした」

-それですぐに撮影ですか-

「はい、そうでした。しかも撮影というとスタイリストさんとかヘアメイクさんにいろいろやってもらえるのかなと思ってそれはそれで楽しみにしていたんですけど、ほとんど何もしないまま篠山さんは15分もかからないくらいでサーッと撮って終わっちゃいました」

-ご自身の写真が『週刊朝日』の表紙になって出たときにはいかがでした-

「大学の書店に並んだときはちょっとうれしいような照れくさいような感じでした。自分なんだけど自分じゃないような感じで(笑)。でも、うれしかったですね」

-表紙に出たことによって大学とか周囲に変化は?-

「それがありがたいことにゼミも全部男子なんですけど、『宮崎はこのまま放っておこう。今まで通りにしよう』って話してくれていたみたいで、それはすごくありがたかったです。普通通りで全然変わらなかったので」

◆カメラのテレビCMで話題に

『週刊朝日』の表紙を飾った翌月、宮崎さんはカメラのテレビCMに出演することに。木陰ではにかみながらTシャツとジーンズを脱いでビキニ姿になるというシチュエーションで大反響に。

-CMのオファーは篠山さんからですか?-

「はい。紀信さんご本人でした。それも試験が終わった日だったんですよね。コマーシャルに出ないかということで電話をくださったんですけど、春休みだしサイパンにも行けるということで、春休みのアルバイトみたいな感覚でした。懐かしい。それがもう41年も前のことなんですね(笑)」

-リアルに覚えていますが、あのコマーシャルは衝撃的でした-

「今思うとね。曲が最高でした」

―いろんなタレントさんがパロディーでやっていましたね-

「志村けんさんがされたのが本当にね。2020年にカレンダーを出したときも、本当は一番志村さんに見て欲しかったなという思いが強くありました」

-志村さんは宮崎さんの大ファンだったそうですね-

「わからない。だったらうれしいですけど、亡くなられたのが本当に残念でした。朝ドラも映画も決まっていたのに…」

-志村さんもあのコマーシャルのパロディーはずいぶんやられていましたね-

「そうですね。だから、あれで覚えているという、当時子どもだった人もいるみたいでね。最初はイヤだなとちょっと思ったこともあったんですけど、ありがたいことだなあって思うようになりました」

-それまでグラビアやCMに出る人はガリガリに痩せている人たちが多かったなかで、固定概念を変えましたよね。初々しくて可愛くてグラマーで、それでいていやらしくない-

「ありがとうございます。でも、今はあのコマーシャルはコンプライアンス的にダメなんですってね。のぞき見だから。盗撮だからということで、今はもう絶対に撮れないんですって。それを聞いたら、『えーっ?』って思いましたけど。でも、あれは彼氏が撮っているということなので、だったら別にいいんじゃないのかしらね? わからないけど」

-あのコマーシャルが大反響で周囲の環境も大きく変わったのでは?-

「それもちょっと時差があったんですよ。東京では出稿量も多いし、みんな見ていて評判だと聞いてはいたんですけど、熊本ではそれほどでもなかったと思うんです。だから最初は全然実感がなくて。でも、取材があるからと言われてときどき呼ばれているうちに、『そんなことなの?』って遅れてわかってきたという感じでした」

◆就職に有利になるかもしれないと女優デビュー

コマーシャルの反響が大きく、雑誌やテレビに出演することになった宮崎さんは地元「熊本放送」の番組リポーターに。大学卒業後は熊本放送のアナウンサーになりたいと思っていたというが、ポーラテレビ小説『元気です!』に主演、女優デビューすることに。

「TBSのプロデューサーが熊本放送に訪ねて来て、新人を探しているからということだったんですよね」

-演劇部に所属されていたこともあると聞きましたが-

「そう。演劇部にもいましたけど、背景の壁を塗っていました(笑)。あと、先輩の公演のときに舞台袖で化粧をなおしたりしていました。それだけなんですよね。実際に舞台には立っていないんです。それでもお芝居は難しそうだと思って、ムリだからと何度もお断りして。

事務所に入っていないややこしさですよね。プロダクションに入っていれば窓口になってくれたでしょうし相談もできたと思うんですけど、私はただの学生で大人の方と交渉するというのははじめてだから大変でした。すごく迷惑をかけてしまって申し訳ないくらいでした」

-出演することにされたのは?-

「そんな声をかけてもらえるなんて一生のうちに今だけだし、おもしろい体験になりそうだと思ったんですよね。それと、ものすごくぶっちゃけたところだとTBS系列の放送局が熊本にあるので、このドラマに出たらあとあと何かいいことがあるかなと(笑)。入社試験とかのときにもしかしたら便宜をはかってもらえるのかなぐらいの本当に下心がありましたね(笑)」

将来的に女優業でという考えはまったくなかったという宮崎さんだが、次から次へと出演作が続くことに。

次回は『元気です!』の撮影裏話、熊本まで飛行機通学しての大学卒業、転機となった映画『乱』の撮影エピソードなどを紹介。(津島令子)

©︎映像製作団体友

※映画『宮田バスターズ(株)-大長編-』
池袋シネマ・ロサにて公開中
監督:坂田敦哉
出演:渡部直也 大須みづほ 佐田淳 ユミコテラダンス 宮崎美子(特別出演)ほか
カナザワ映画祭2019期待の新人監督部門で上映された短編を基に長編として製作。
宮田バスターズ(株)は長年宇宙生物の駆除を業務にして奮闘してきたが、テクノロジーの進歩により中小企業の均衡が崩れはじめて…。

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