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三浦貴大「俳優には絶対にならないと思っていた」 俳優は父・友和が“すごく大事にしてきた仕事”

2010年、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(錦織良成監督)で俳優デビューを飾り、第34回日本アカデミー賞新人俳優賞と第35回報知映画賞新人賞、第86回キネマ旬報ベストテン新人男優賞を受賞した三浦貴大さん。

父は俳優の三浦友和さん、そして母は伝説の歌手・山口百恵さんというサラブレッドだが、親の七光りを封印しようという意固地さはまったくない。あくまでも自然体で謙虚、真摯に仕事に取り組む姿勢は二世俳優のなかでも群を抜いている。

デビュー以来、多くの映画、ドラマ、舞台、CMに出演。実力派俳優として進化し続け、5月7日(金)には名匠・佐々部清監督の遺作となってしまった主演映画『大綱引の恋』の全国公開も控えている三浦貴大さんにインタビュー。

◆高校時代は体育の先生志望

スポーツマンのイメージがある三浦さんだが、小さい頃は結構人見知りで活発なほうではなかったという。

「外ではあまり遊ばずに家のなかで遊ぶことが多かったですし、子どもの頃からインドア派でした。子どもの頃から話を覚えるのは好きだったので、中学生のときには太宰治の『走れメロス』を暗記したりしていました。やることがなかったので(笑)」

-ライフセービングをはじめたのはいつ頃からですか?-

「僕は水泳をずっとやっていたんですけど、高校のときの体育の先生がライフセービングをやっていて、その先生に『泳げるんだったらやってみない?』と誘われてはじめたのが最初でした」

高校と大学ではライフセービング部に所属し、ベーシックサーフライフセーバーの資格を取得。全日本学生ライフセービング選手権大会(インカレ)で入賞もはたしたという。

-その先生がとてもよくて体育の先生を目指したこともあったそうですね-

「そうです。体育大学に行って教職課程をとってという感じだったんですけど、結局夢見ていたものと自分が教えるということに対して向いているのか向いていないのかというのを考えたときに、あまり向いていないんじゃないかなと思ってやめました」

-向いていないと思った理由は何だったのですか?-

「僕はあまりスポーツの楽しさみたいなのは伝えられないなと思って。自分自身がそんなにスポーツをやることが好きじゃないんだということに大学に入ってから気づいたので、やっぱりそういう人は先生に向いてないんじゃないかなって思いました(笑)。

それで精神保健福祉士を目指して、大学3、4年のときには病院実習にも相当行っていましたけど、4年生のときに自分には向いていないと気づきました。

『何かできることがあるんじゃないだろうか』と思ってしまい、患者さんとは病院にいる間だけ、というように割り切る関わり方は自分にはできないと思ったので、これを仕事にしたら自分はおそらく身を削るタイプだなと思ったんです。

でも、いろんな人と関わることができたのは僕の人生のなかではすごく大きなことだったなあと思っていますし、今もかなりあの経験があってよかったということはたくさんあります」

-すべてご自分で判断されて?-

「そうです。やっぱり大学のときはどうしても将来を決めなきゃいけないという時期なので、ある程度自分で判断して、自分が向いているのか、これを長く続けられるのかというのを結構判断してやらないとダメだなと思って。そういうなかで判断したという感じです」

-しっかりしていたのですね、若いときから-

「大学の同級生の仲間たちがかなりしっかりしていたので。やっぱりスポーツ1本でやってきた人たちが将来どうするかというのはかなり迷うところですし、スポーツだけやっていくわけにはいかないしという感じで。その狭間のところにいる人たちだったので、しっかり自分の考えをもっている人たちが多くて、その人たちがいたから僕もそういうふうに決断できたのかなと思います」

※三浦貴大プロフィル
1985年11月10日生まれ。2010年、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』で俳優デビュー。第34回日本アカデミー賞新人俳優賞ほか新人賞を受賞。翌年、『学校をつくろう』(神山征二郎監督)で映画初主演。北野武監督の『キッズ・リターン』の10年後を描いた『キッズ・リターン 再会の時』(清水浩監督)、『栞』(榊原有佑監督)など主演作も多く、連続テレビ小説『エール』(NHK)、『ひとりキャンプで食って寝る』(テレビ東京系)などドラマ、バラエティ番組にも多数出演。主演映画『大綱引の恋』が5月7日(金)に全国公開。夏には映画『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(三池崇史監督)の公開も控えている。

◆22歳で俳優デビュー

三浦さんが自分は精神保険福祉士に向かないと悟ったのは、大学4年生の実習を終えたとき。すでに就活期間は終わっていたという。

「精神保険福祉士の国家試験が確か2月だったんです。それまでは病院実習とかに行っていて、病院に勤めるのか否かみたいなことを考えている期間だったので。結局国家試験が2月なので何もできないんですよね。それは結局取得しなかったんですけど友だちはみんな就活が終わっていて、『僕はどうしようかなあ』みたいな感じでした(笑)。

18歳で家を出て大学の4年間は親元を離れて暮らしていたのですが、卒業して実家に戻ったので両親も『なんであいつ戻って来たんだ?』みたいな感じで(笑)」

-何か言われました?-

「いえ、何も言われませんでした。大学を卒業して半年ぐらいいろんなことを考えてボーッとしていたんですけど、親にこのままお世話になっているわけにはいかないとは自分でも思っていました。

さすがにそういう状態が半年ぐらい続いたら、あるとき父親に『お前、仕事どうするんだ?』って聞かれたので、『そうだよね』って(笑)。それまで俳優には絶対にならないと思っていましたけど、声の仕事には興味があったんです。

声優さんですごく好きな方がいらっしゃったので、ナレーターとか声優というような声の仕事をやってみたいなとは思っていて、役者をやりながら声優をやっている人がいるから、役者になったら声の仕事もできるかもしれないと思ってはじめてしまいました(笑)」

-俳優になるということをご両親に言うときにはかなり勇気がいったのでは?-

「そうですね。でも役者になる方法もよくわかっていなかったのに、よくそんなことを言ったなあって思いますけどね、今になると。ただ、父親がすごく大事にしてきた仕事なので、そこは大事にしなければいけないなと思いました」

-ご両親は何をするにしても三浦さんの決断に添って応援してくれるという感じですか?-

「そうですね。もちろん学生時代までは、たとえば僕が体育大学に行きたいと言ったら学費とかはちゃんと出してくれる親でしたし、応援してくれる親でしたけど、仕事については『これからはお前だぞ。お前がやるんだからな。お前がやることに対してはもう何もないよ』という感じでした」

俳優になると決めてからわずか数か月後、三浦さんは映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』で俳優デビューすることに。

-はじめての撮影現場は大変だったのでは?-

「大変でした。決まってから撮影がはじまるまでの何か月間かで芝居はどうやるのかとか教えていただいたんですけど、やっぱりそれだけだと何もわからなくて、やっぱり現場に出てみないとわからないところがあるので、緊張はしました」

-野球選手を目指していたのにケガで挫折して電車の運転士に…という難しい役でしたね-

「そうです。ケガをしてプロ野球に行けなくなり、やりたくもないのに地元の電車の運転士になってという役でした」

-片や中井貴一さん演じる主人公は、49歳で念願だった運転士にという対照的な設定でしたが、お芝居されてみてどうでした?-

「いやあ、もう芝居じゃないですよねとは思うんですけど、やっぱり現場で監督もそうですし、中井貴一さんや甲本雅裕さんにいろんなことを教えていただいて。本当にあの作品が僕の役者としての人生の1本目でよかったなって今でも思います。

ただ楽しいだけじゃなくて、役者のこういうところは大変だけど仕事にこういうふうに向き合っているんだ、という姿も見せていただいたのでとてもありがたい経験でした。僕は本当に恵まれているなあと思いました」

-デビュー作で日本アカデミー賞をはじめ、ほかの新人賞も受賞されました-

「もう何だか訳がわからないですよね。そういう賞をいただけるとは思ってなかったですし。今もそうですけど、わりと若い方がもらうじゃないですか。10代の方が多いイメージだったので、『僕は20代半ばだけどいいのかな?』って(笑)」

-その後もお仕事が立て続けにあって主演作もすぐにありましたが、ご自身ではいかがでした?-

「自分のなかではそういう状況になるということが本当に信じられなかったので、もうちょっとコツコツやっていくものかなと思っていたんですけど、すごいありがたいことにいろんな仕事をいただいて、主演もさせていただいて。

オーディションももちろん受けていましたけど、オーディションではなくオファーをいただくということが、いったい自分に何を求められていて、自分が今何を必要とされているのかというのをよく考えていました」

◆初主演映画で厳しいマイルールを敢行

俳優デビューの翌年には映画『学校をつくろう』で初主演。明治維新の動乱期に専修大学の初代校長を務めた相馬永胤(そうま・ながたね)役を熱演した。集まった取材陣に「皆さんが取材に来てくださるのは両親のおかげですが、いつかはそう言われなくなるように頑張ります」と言っていた三浦さんの姿が自然体で印象的だった。

-すごく爽やかで取材陣もみんな三浦さんの好感度が爆上がりでした。実際に今や本当にご自身の実力で取材されるようになって-

「ありがたいです」

-初主演映画『学校をつくろう』の撮影はいかがでした?-

「それこそ柄本時生さんもいましたし、橋本一郎さんもいましたし…やっぱり同世代で同じ境遇の人たちがいたのはすごく大きかったと思います」

-あの作品は英語のセリフも多かったですね-

「英語のシーンは大変でした。気持ちをセリフに乗せるのは本当に苦労しました」

-マイルールを課して撮影に臨んでいたとか-

「はい。常に自分なりの課題をもって現場に入るんですけど、『学校を作ろう』は説明のセリフが多かったので、語尾や言い回しを言いやすいように変えてもいいと言われていたんです。でも、それをあえて一言一句変えず、その上で自然に聞こえるように言うということを自分でルールとしていました。

それはしばらくやっていました。基本的にはセリフを全部変えずにやるというのは結構長いことやっていたんじゃないかな。30をすぎてもやっていました」

あえて自分に厳しいルールを課して撮影に臨んでいた三浦さん。努力の甲斐があり、スタッフの信頼も厚く、さまざまな役柄を演じることに。次回は病院実習の実体験とオーバーラップする理学療法士を演じた映画『栞』の撮影裏話&エピソードなども紹介。(津島令子)

スタイリスト:涌井宏美

©︎2020映画『大綱引の恋』フィルムパートナーズ

※映画『大綱引の恋』
2021年5月7日(金)より全国公開
配給:ショウゲート
監督:佐々部清
出演:三浦貴大、知英、比嘉愛未、石野真子、松本若菜、升毅、朝加真由美、中村優一、金児憲史、恵俊彰、西田聖志郎
有馬武志(三浦貴大)は35歳で独身。鳶(とび)の親方で大綱引の師匠でもある父の寛志(西田聖志郎)から、早く嫁をもらって、しっかりとした跡継ぎになれとうるさく言われていた。ある日、ひょんなことから韓国人研修医のジヒョン(知英)と出会い、しだいに惹かれるようになるが…。

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