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中村憲剛、海外クラブへ移籍しなかった理由。葛藤の末に「最終的には、愛情が勝った」

2021年1月1日。サッカー天皇杯決勝で優勝という最高の形で有終の美を飾り、18年の現役生活に幕を下ろした中村憲剛(40歳)。

テレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、そんな彼を15年以上にわたり追いつづけてきた。

2月21日(日)深夜の同番組では、中村憲剛引退特別企画を放送。番組ナビゲーターの中西哲生とともに、中村憲剛がこれまでの現役生活を振り返った。

◆中村憲剛の代名詞“パス”の極意

川崎フロンターレの象徴としてチームを牽引しつづけ、3度のリーグ優勝に導くなど、J1の強豪クラブへと押し上げていった中村憲剛。

数々の記憶に残る名シーンを生み出してきたが、その真骨頂はなんといっても“パス”。

そんな中村の武器をデータを駆使して紐解き、さらに本人がその極意を明かしてくれた。

まず中西が注目したのは、2011年~2020年の10年間で、J1を対象としたパス数ランキング。中村のパス総数は22435本、成功数は18667本。

中西:「成功した数が18667本です」

憲剛:「それはすごいことですね。自分はそういうプレーの正確性がないと生き残れないって昔から思っている人間で、そこが自分の生命線だったので。自分がボールをもらって周りを活かすっていうプレーが昔から好きだったから、それも関係しているのかな。それだけフリーになれる立ち位置で自分がプレーをしていたっていうことにもつながるんじゃないかなと思います」

さらに、味方がシュートを打った“ラストパス”数のランキングでは、総数684本と圧倒的な1位を誇る。

憲剛:「僕自身もこれは評価していただきたいです。シュートを打たないとゴールにはならないので、シュートを打つ選手にパスを出しているってことですね。一番危険な動きをしている選手を見逃さない。要は敵がいたらシュートは打てないので、それをずっと見ながらやっていたという証拠になるのかなと思います」

中西:「パスを受けた選手がシュートを打ちやすいボールを供給しているということですね?」

憲剛:「そうですね。もちろんそんなに優しいパスや緩いパスばかりじゃないですが、相手のマークが厳しくてもしっかりそこにボールを通して、その選手がコントロールをすれば打てるっていう、いろんな瞬間の風景を見てパスを出しています」

◆海外クラブ移籍の葛藤。「最終的には愛情が勝った」

幾多のパスでフロンターレを勝利に導いてきた中村。番組ではチームへの想い、海外クラブ移籍の葛藤についても正直な想いを語った。

大学卒業後、練習生を経て川崎フロンターレへ入団し、そこから1度もチームを変えることなくフロンターレ一筋18年。

海外クラブからもオファーがあったというが、残留を決意したのにはある理由があった。

中西:「川崎フロンターレっていう存在自体がサッカー選手という自分にとって唯一の場所だと思うんですけど、海外に行かなかった理由はいま振り返ってどうですか?」

憲剛:「年齢的なところもありましたよ、間違いなく。オファーを受けたときは、30歳になる年だったので」

中西:「30歳のときのオファーの話って具体的にはどういう話だったんですか?」

憲剛:「2010年のワールドカップの後に、海外クラブから打診みたいなのがあって。オランダのPSVっていうところ。本当は行きたかったですし、オランダ語の家庭教師を雇って勉強していたときもありました。でも結局その夏のときは、チョン・テセや川島永嗣も同時にチームを離れるのは本当に困るから残ってくれと言われて残りました。

でもその年の年末に今度はトルコのクラブからもオファーがありました。向こうは1月が移籍のオープンなので、そこから何チームから打診やオファーがかなりありました。けど最終的にここに残ったのは、やっぱりタイトルを取っていなかったから。何も残せずに(海外に)行くっていうのが、自分の中ではナシだなって、最終的にはそっちに針が振れました。

フロンターレっていうところは“家族のような存在”でもありますし、そこを抜けて自分を成長させるっていう選択肢ももちろんありましたけど、やっぱり家族に幸せをもたらすというか、タイトルを取るのが自分の中ではすごく大きな目標でした。

それが夢半ばで宙ぶらりんのまま海外に行って活躍できるのかな、そういう心の状態で行って大丈夫なのかなっていう気持ちがもちろんありました。あのときは日々揺れていましたけど、最終的には(フロンターレへの)愛情が勝ったなと

中西:「フロンターレがこの4年間でタイトルを5つ取って、リーグ3回、ルヴァン杯、天皇杯っていうタイトルを取れたというのは、そのときフロンターレに残って正解だったといえるんですかね?」

憲剛:「『あのとき行っておけばよかった』っていうのは、タイトルを取れなくても思わなかったと思います。それくらいいい日々を過ごさせてもらいましたし、結果的にタイトルも取れたので、もう何も言うことはない幸せな終わり方ができたなと思います」

◆「彼らの存在なしでは今の自分はいない」

育ててくれたクラブに報いるため残留を決意。そこから多くのタイトル獲得に貢献してきた。そんな川崎フロンターレの象徴をサポーターは愛し、中村憲剛もまたそんなサポーターを愛してやまなかった。

中西:「サポーターというのは、どういう存在ですか?」

憲剛:「彼らの存在なしでは今の自分はいないです。応援してくれる人がいるからこそ、ここまでがんばれた。自分がいいプレーを見せてそれに沸いてくれて、勝ってよろこんで、負けて悔しんで、ともに戦ってきた同士みたいなところがある。こんないいサポーターいないですよ。だから俺は優勝したかったし、一緒に優勝のよろこびを分かち合いたかった

中西:「中村選手がはじめて優勝したときに、『おめでとうございます』と言ったら、『おめでとうと言いたいのは自分のほうです。サポーターの方々おめでとうございます』って言ったんですよ。それがすごく印象的な言葉でした」

憲剛:「だって(サポーターも)優勝を待っていたじゃないですか。一緒に戦っていた同士なんで、俺らが『おめでとう』と言われるなら、彼らにも『おめでとう』ですよ」

多くのサポーターに支えられながら、40歳で現役生活に幕を下ろした中村。最後に今見据える未来について語った。

中西:「みんなたぶん中村憲剛さんどうするのか、サッカー界にいてくれるのかなって不安になっている方も多いと思いますけど、今後どういう風に考えていますか?」

憲剛:「これを目指し、これ一本で行くっていう道はまだ決まってないというのが正直のところです。今までプレーしかしてこなかった人間なので、今ピッチ外のところで自分の可能性を模索している日々でもあります。自分でも最終的に何をやるんだろうってところですね。ただ、道はありがたいことにいくつももらっているので、それをしっかり日々こなしながら、自分の中で思うこと、考えることがあって道が決まってくるんじゃないのかなと思います」

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)