桃田賢斗、金メダルを取れなくても「コートに立ちたい」 復活を後押しした“ファンの声援”
2月7日(日)に放送される『ダイハツpresentsバドミントンドリームマッチ』。
新型コロナウイルスの影響により、相次いで全国大会が中止になってしまった2020年。練習の成果を発揮する場を失ってしまった小学生、中学生のジュニア選手たちのために、世界で活躍する日本代表選手が集い、この番組が実現した。
日本代表選手とジュニア選手による真剣勝負のシングルスマッチなど、白熱した試合が繰り広げられるなか、奥原希望、渡辺勇大、山口茜とともに日本代表選手の筆頭として出場したのが、世界王者の桃田賢斗(26歳)だ。
2019年、日本人初の男子年間最優秀選手に輝き、国際大会年間11勝の最多記録を更新。2020年12月の全日本総合選手権では3連覇を達成するなど、東京オリンピック金メダル大本命として期待されている。
一見順風満帆に見える桃田だが、2020年1月、競技人生を揺るがしかねない大怪我に見舞われ、休養を余儀なくされた。
そんな逆境からいかにして立ち上がったのか。そして、乗り越えた先に見据えるものとは?
本記事では、2020年7月に『GET SPORTS』で放送された桃田のインタビュー企画を紹介する。
◆事故で負った精神的不安「どうなっちゃうんだろう」
東京オリンピック金メダル大本命として迎えた2020年。
桃田は最初のツアー、1月のマレーシアマスターズで優勝し、幸先の良いスタートを切った。
しかし、日本への帰国途中、交通事故に遭い、全治6週間の大けが。その当時の真相を、松岡修造に赤裸々に語った。
松岡:「実際あまり思い出したくないかもしれませんが、帰りだったんですか?」
桃田:「帰りですね。朝ホテル4時半出発で、ほとんど寝ぼけている状態だったんですけど、寝ていて、起きたらもう何が起こっているのかわからない感じでした」
松岡:「なんとなくぶつかる前は分かったんですか?」
桃田:「まったくわからなかったです。一瞬何が何だかわからなくて、冷静に見て前の車との距離がすごく近かったんで、事故が起きたんだなと思いました」
松岡:「オリンピックに関してはどういう風に思われました?」
桃田:「そのときはまったく考えられなかったですね。何も考えられずただ茫然としていたというか。自分もすごい血だらけだったので」
松岡:「これでバドミントンができないかもしれないという思いは?」
桃田:「それは病院行ったときに思いました。『どうなっちゃうんだろう』とすごく思いましたね」
松岡:「最悪のことも考えたんですか? オリンピックに出場できないとか」
桃田:「それ以上にプレーを再開できる体の状態なのかもわからなかったので…」
オリンピックだけではなく、プレー自体が再開できないかもしれないと、不安のほうが大きかったという。さらに帰国後、練習に復帰した際、右目の眼窩底(がんかてい)骨折があらたに発覚した。
桃田:「チームに合流したときに、羽を打ったら羽が二重に見えたんです」
松岡:「羽が二重に?」
桃田:「はい。正面を見たときは普通に見えるんですけど、眼球を動かして上を見たときに、球が2つ飛んできているような感じに見えて」
手術を行い、全治3か月と診断された桃田は、その後香川の実家で療養。今までのバドミントン漬けの生活から一転、バドミントンを一切行わない絶対安静の日々で、こんな不安も吐露していた。
「今は(バドミントンを)やるのもちょっと怖いです。(シャトルがきちんと)見えないんじゃないかな。たまに寝る前とかに『このまま治らなかったらどうしよう』と思います」(桃田)。
バドミントンが大好きで、バドミントンとともに人生を歩んできた男が味わう苦悩。競技への見えない不安に苛まれながら、それでもオリンピックへの思いは消えることはなかった。
◆東京五輪への消えない思い
松岡:「怪我をされた時点で、オリンピックのことは考えられなかったと言いました。病院に行ってチェックをし『大丈夫だ』と言われてからは、オリンピックに対してどう思いました?」
桃田:「何としても絶対間に合わせるという気持ちはありましたね。できなくてもいいからコートには立とうと思いました」
松岡:「できなくてもいいということは、金メダルをとれなくてもいいってことですか?」
桃田:「そうです。コートに立つことに意味があると」
松岡:「オリンピックに出ても、勝てないならやめておこうとは思いませんでした?」
桃田:「そのときは思いませんでした。復活した姿を見せたいなという気持ちがありましたね」
松岡:「やはり東京オリンピックというのは特別なものですか?」
桃田:「現役中に東京にオリンピックがくるのは、何かの縁があるなとすごく思っていました」
松岡:「怪我をしてしまって、マイナスにとらえたことはなかったんですか?『なんで今俺が』って」
桃田:「思わなかったと言えば嘘になりますけど、もう起きてしまったことなので、そこは切り替えて、自分らしくつづけられたらいいかなと思います」
松岡:「『金メダルを取れなくても出よう』というのは、どういう気持ちから出てくるんでしょうか?」
桃田:「やっぱり事故に遭ってからいろいろな人にサポートしてもらって、本当にいろいろな人から温かい言葉をかけてもらったので、オリンピックのコートには立ちたいなという思いがありましたね」
事故後、桃田は多くの励ましをもらった。同じアスリートのみならず、訪問した小学校の生徒からは応援の手紙も。
自分の復活を信じ、応援してくれる人たちのためにも、東京オリンピックの舞台に必ず立ちたい――そんな思いで、リハビリや練習に日々明け暮れた。
◆桃田の現在。新たなレジェンドとして…
2020年は、新型コロナウイルスの影響でさらなる自粛を強いられたが、6月には事故後はじめて練習する姿を公開した。
松岡:「今、目も含めて体調はどこまで戻ってきていますか?」
桃田:「もう完全に100%」
松岡:「じゃあ今試合してもいける?」
桃田:「たぶんいけると思います。気持ち的にも今は心に余裕があって、すごく充実した日々を過ごせていますし、オリンピックが延期されなくても間に合ったなという気持ちもあります」
逆境を乗り越え、100%の状態を取り戻した桃田。彼がいま見据えているのは、憧れのレジェンドたちだった。
桃田:「僕自身もすごく憧れていましたし、ああいうプレーがしたい、ああいう選手になりたいと思えたことでがんばれた部分もあります」
その人物とは、オリンピックで2個の金メダルを獲得し、2020年7月に引退を発表した中国の林丹(リンタン)だ。
林丹の最大のライバルで、オリンピック3大会銀メダルのリー・チョンウェイも、2019年にコートを去っている。
世界中のバドミントンファンを魅了し、愛されてきた偉大な男たち。そんなレジェンドの相次ぐ引退で、桃田にはある思いが芽生えていた。
「彼らが入場するだけで歓声が沸いて、すごく緊張感があって、いろいろな人に愛されていた。次は自分がそういう風にバドミントン界を引っ張って、もっともっとレベルアップして、バドミントンをメジャーにしていけたらいいかなと思います」(桃田)
逆境を乗り越え、誰からも愛されるレジェンドへ――。『ドリームマッチ』でも、子どもたちに勇気を与えるような桃田の活躍に期待したい。
※番組情報:『ダイハツpresentsバドミントンドリームマッチ』
2021年2月7日(日)午後1:55~、テレビ朝日系24局