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毒蝮三太夫「ジジイ」「ババア」の毒舌が許される秘密は「俺の“美貌”と“教養”(笑)」

1966年、30歳のときに『ウルトラマン』(TBS系)の科学特捜隊・アラシ隊員役、続く『ウルトラセブン』(TBS系)のフルハシ隊員役で子どもたちの人気者となった毒蝮三太夫さん。

当時はまだ本名の「石井伊吉」さんとして出演していたのだが、立川談志さんに口説かれ、談志さんが司会を務める『笑点』(日本テレビ系)に座布団運びとして出演したことから改名することに。

◆芸名の「毒蝮三太夫」は立川談志さんが…

毒蝮さんが『笑点』の座布団運びで出演しはじめた1967年は『ウルトラマン』の放送中だったため、観客に子どもたちが多くなり、「ウルトラマンのアラシ隊員だ」と騒ぐようになってしまったという。さらに「ウルトラマンで地球を救ったアラシ隊員が座布団運びをしているのはおかしい」とテレビ局に苦情の電話も入るように。

「苦情の電話もだけど、芸で食べてる人は筋違いなことで会場が荒れるのを嫌うからね。談志が『アラシ隊員の石井伊吉じゃない奴になっちまえ。違う名前にしろ』って言ってさ(笑)。

それで談志が『ウルトラマンの怪獣に負けない蝮はどうだ』って言ったら、五代目三遊亭圓楽さんまで面白がって、『ただの蝮じゃつまらねえから毒も付けて毒蝮にしろ』って。

『三太夫』という名前は、以前『談志専科』という番組があって、談志が殿様、俺が『田中三太夫』という家老をやっていたんだよ。それで『毒蝮三太夫』に。

最初はイヤだったよ。でも、仕方がないから『笑点』のときだけのつもりだったんだけど、『ウルトラセブン』の放送が終わったらガクッと仕事が減っちゃってさ。

そうしたら談志が『石井伊吉じゃなくて、この際毒蝮三太夫に改名しちまえ』って言って、『笑点』の番組のなかで改名披露までやってこの名前が定着したんだよね」

-毒蝮三太夫というお名前はインパクトがありますよね-

「インパクトがありすぎて改名早々大変だったんだよ。大河ドラマ『天と地と』が決まっていたんだけど、改名披露直後にNHKから連絡が来て、『毒蝮三太夫』という名前じゃNHKとして問題があるって。

もう撮影もはじまっていたから、俺を降ろすわけにもいかないからさ、結局『天と地と』だけは本名の『石井伊吉』でやったけどね。

それで、『もうNHKなんて出てやるもんか』って言ったら、向こうも『出なくていい』って言って(笑)。だから、しばらくNHKに出なかったの。

ケーシー高峰さんもね、あの漫談は、NHKらしくないって言われて、俺とケーシーさんは『要注意タレント』の枠に入れられていたんだよ。

それが、今は向こうから介護の番組やなんかに出てくれって(笑)。だから世のなか変わったね。

俺が『ババア』とか『くたばりぞこない』とか言うのを今は、NHKでも言ってくださいって(笑)。

のちに談志が『笑点は俺が作った傑作だが、蝮(毒蝮三太夫)も俺が作った傑作だ』って言ってくれたよ」

毒蝮三太夫に改名した翌年、1969年、談志さんが『笑点』を降板。毒蝮さんも番組を降りることに。

「談志は俺まで辞めることはないって言ったんだよ。『「ウルトラセブン」が終わって仕事がないんだし、「笑点」でそれなりの評価も得てきているんだから義理をはたさなくていい』って。

でも、俺にとっては義理立てなんかじゃないし、仕事のあるなしも関係ない。談志のいない『笑点』に残る気なんてなかった」

-毒蝮さんが『笑点』を辞めることについて談志さんは?-

「それからしばらくして談志と会ったとき、『おめぇ、笑点降りたんだってな』って言うから『うん、降りた』って、それだけで談志は何も言わなかったけど、ものすごくうれしそうないい顔をしていたよ。何も言わなかったけど、俺の決断がうれしかったんだと思う」

◆「ジジイ」と「ババア」が認知されたのは“美貌”と“教養”?

『笑点』を降りて唯一つらかったことは定期収入が消えたことだったというが、その年の10月からTBSラジオ『ミュージックプレゼント』に出演することになり、現在も続いている。

「本当は映画監督になろうと思って、大学では演出を勉強したんですよ。『黒澤明になろう、小津安二郎になろう』と思っていたんだけど、子役からもう芸能界の仕事をやっていたからね。

映画を勉強したんだけど、映画の助監督の試験は全部落っこっちゃった。だけど落っこちてよかった。映画産業が下火になっちゃったしね。

だからそのまま役者をやっていたけど、別に名優なわけじゃないから、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』をやって人気が出たって、終わればただの人。

『笑点』もやったけど座布団運び。落語家になるわけじゃないしね。そうしたら昭和44年(1969年)にTBSラジオが俺を使ってくれて、今年で52年目」

-ラジオをはじめたきっかけは?-

「『笑点』を辞める直前の夏、すごく暇だったんで、出てもいないのに番組の打ち上げ麻雀大会なんかに参加して、駄洒落(だじゃれ)を連発したりしていたわけ。

それをTBSラジオのディレクターが見て、声をかけてくれたの。『捨てる神あれば拾う神あり』だよね(笑)。

町に繰り出して、スーパーや商店街、工場、会社、銭湯などさまざまな場所を訪ね、生放送する番組で、いま考えると、『笑点』の座布団運びなんかでいろんな経験をしたことが、俺の仕事のベースになっているんだなって思う。

ラジオの番組がはじまった当初は、放送が午前10時半からだったから、平日のそんな時間に若い人がいるわけないじゃない?

たまたま年寄りが来ちゃって、それで52年も続けていたら、“年寄りのアイドル”なんて言われるようになっちゃったんだよね(笑)。

ラジオで喋るのも落語が好きだったと言うことが非常にバックボーンになっていますね」

-リズムや歯切れのよさもすてきですね、すごく聞きやすくて-

「そう? “ジジイ”“ババア”も最初は抗議がたくさんきましたよ。でも、スポンサーとかディレクターが、よく俺を守ったね。今はNHKでも、『ババア、ジジイって言ってもいいですよ』って言うんですよ。

ある芸人さんが、『ババアって飲み屋で言ったら殴られた』って言ってましたよ(笑)。だから、『あれは俺だから言えるんだ』って(笑)。

許されるのは俺だけだって。なぜ俺はいいのか、市民権を得たのかって聞かれるから、俺の“美貌”と“教養”だって答える(笑)」

-あと、“愛”と“名前”ですか-

「名前はね。でも、″愛″って言われるのは、非常に照れるんだよ(笑)。マスメディアは愛って一応、言いやすいんだよね。俺が言い出したんじゃないんだから。

勝手に周りが言い出したの。『おばあちゃんのアイドル』とか、『巣鴨のアイドル』とかね。

別に俺はババアのアイドルになりたかないよ。汚ったねえババアのアイドルになんてさ(笑)。でも、みんな年はとるんだから、俺もジジイだしね(笑)。

本当は若い人のアイドルがいいに決まってる。だから愛なんて、そんなかっこいいものを言われると照れる。下町っ子はとくに照れるんだよ(笑)。

からかってるんだよ。要するにかまっているの。『今日どこに行くんだい?そんなお化粧したって、惚れ手があるわけじゃないんだろう?』とか言って、からかうわけ。かまうわけよ。

そのかまうというのの根底は愛なわけでしょう? 無視というのは愛がないことですよ。無視するということが一番よくない。それは相手を馬鹿にしていることですよ。

無視されたりするから、争いごとがあったり、夫婦で殺し合いがあったりするわけでしょう?

インターネットで自殺に追いやったり…。

顔と顔を見合わせたら、『ババア』って言ったって、『くたばりぞこない』って言ったって、言われた本人は怒らない。これが対面のよさだよ。美貌と教養があればね(笑)。

それに笑顔ですよ。笑顔はただなんだから、お金もかからない。それがいま、何かというと言葉尻を刈り取ってケンカしたり、それからTwitterとか文字でしょう?

文字には表情がないもん。笑いなんかの文字を入れたとしたって。だから、表情が大事なのであって、対面するに限るって言うんですけどね。

からかう、かまう。だから、かまわれるようなジジイ、ババアになれっていうことも大事なの。

人間同士、からかいかまわれたくなるような関係がいいんじゃないの?それが愛って言われると照れるの(笑)」

-毒蝮さんに声をかけられている皆さんうれしそうですね-

「それは面と向かっているよさだよね。『汚ったねえババァだなぁ』とか、『死ぬの忘れちゃったんじゃないの?』とか、『よく警察が放っておくね、その顔で』なんて言ったって、面と向かって言われりゃあね、怒らない。

だって本当なんだから。汚ったねえんだから、クシャクシャなんだから。これを若い人に言ったんだったら怒られてもいいですよ。俺は本当のこと言ってるんだからね。毒舌じゃないんだよ(笑)」

◆目指すは“健康でチャーミングな老人”

聖徳大学の客員教授を20年以上つとめている毒蝮さん。お年寄りは知識の宝庫、図書館だと話す。

「俺はいま聖徳大学で20年ぐらい、介護保険がはじまってから、年寄りの話、福祉の話や介護に関した講義をやっているんですよ。

それで、俺が教えた子が、介護福祉士になって、全国で働いてくれているんですけど、19、20歳の女子大生が俺の話をどう聞いてくれるかなっていうことで、俺が年寄りの話を『お前たちわかんねえだろう』じゃなくて、わからせるように優しく、できればおもしろくするということが、いま一番大事なんだと思うんだよね。

それが年寄りは80を過ぎたりするとね、『若い人は』とか、『誰も話を聞いてくれない』とかいじけちゃう。

だから、いじけない年寄りを作るためには、年寄りも努力しないとな。それで若い人が年寄りを受け入れてくれて、お互いに受け入れないと。

若い人は年寄りから知恵を学ぶ、それで年寄りは若い人から若さと元気をいただくということで、お互いがチャラになるといいよね」

-毒蝮さんはラジオで色々と触れ合いをされてきていますね-

俺はアナログ人生なんだけど、AI人工知能を否定しているわけではないんだよ。ただ、得手じゃないというだけで。

だから、若い人に寄り添うんじゃなくて、お互いに寄っていこうという。こっちから迎合するというんじゃなくてね。じゃないと若い人も嫌がるから」

-スポーツジムにも行かれているそうですね-

「行っていますよ。同級生だとか、80でも腰が曲がったりとかしている人が多いんだよね。今は棒倒しも騎馬戦もできませんけどね(笑)。俺が目指しているのは、健康でチャーミングな老人。

ジムに行って水中ウォークをしたり、スクワットをやったりして、自分の足でいつまでも歩けるようにと。それで人の世話にならないような人生で終わりたいなと思っているんだよね」

-スポーツジムでもアイドルだとか-

「ジムの30代から40代で俺のファンの人たちが4、5人いてね。食べたり飲んだりカラオケに行ったりしてるんだけど、『マムシさんを守る会ですよ』っていうんだよ。

『マムシ』と『守る』の頭文字を取って『MMの会』って言って、要するに俺に虫がつかないようにって。80過ぎて虫がつかないようにって、人が聞いたら信用しないよ(笑)。

でも、『変なスキャンダルが出るようなことがないように』って。『若い子が来ないとも限らないから、私たちがいいか悪いかを見てあげる』って言ってるよ。でも、そういうのもおもしろいじゃない?(笑)」

ジョークを交えユーモアたっぷりに話す姿がチャーミング。次回後編では、豪快でユニークなご両親、一緒に暮らしているにもかかわらず、毒蝮さんが今でも毎月愛あるメッセージをしたためたハガキを送っているという奥様についても紹介。(津島令子)

※『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(10月8日発売)
著者:毒蝮三太夫
発行:株式会社 学研プラス
お互いを「たぬきババア」「ゴリおやじ」と呼び、口は悪いが愛のある、天衣無縫(てんいむほう)で八方破れな両親のエピソードを軸にした、戦前戦後の激動の昭和史を生き抜いたユニークな一家のファミリーヒストリー。

※『桂米多朗プロデュース 第一回たかつ寄席』
2020年11月27日(金)開場:18時 開演:18時半
出演:三遊亭小遊三 桂米多朗 桂笹丸 立川幸吾 毒蝮三太夫

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