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波乃久里子、弟・勘三郎さんが病床で“朝6時半”に見せた姿「お芝居してるなぁって思いました」

歌舞伎俳優十七代目中村勘三郎さんの長女として生まれ、15歳のときに「劇団新派」に参加、16歳で正式に入団し、これまで2000以上の役を演じてきた波乃久里子さん。

母は六代目尾上菊五郎さんの娘、弟は十八代目中村勘三郎さんという芸能一家に育ち、2020年芸能生活70周年を迎えたが、コロナ禍で多くの仕事がキャンセルに。かつてない状況の不安な日々のなか、あらためて気づかされたのは″家族″の存在だったという。

 

◆弟・勘三郎さんと殴り合いのケンカに?

波乃さんの10歳年下の弟で、2012年に57歳という若さでこの世を去った十八代目中村勘三郎さんは、江戸の世話物から上方狂言、時代物、新作歌舞伎など幅広いジャンルの役柄に挑戦し続け、『コクーン歌舞伎』や『平成中村座』を立ち上げたことでも知られている。

精力的な演劇活動で常に注目を集める存在だった勘三郎さんと波乃さんは、芝居の話になると殴り合いのケンカになることもあったという。

「弟とはお芝居の話しかしませんでした。お芝居の話しかないの。飛んできますからね。『何を言ってるんだ、ばかー!』って(笑)。

毛筋くらいのことでも違っているとダメなんです。たとえば、弟が『〇〇が好き』って言ったのを私が嫌いって言ったら、『どこが嫌いなの?』って、私が『好き』というまで説得してきました。

『しま』という言い方を弟はするんですけど、同じ『しま』じゃないとダメなんです。口をきかない。そこがもう徹底していましたね。同じ『しま』になるまでしゃべらない(笑)。

弟は渡辺えりさんのことを信頼していましたけど、私と彼女はいつでも泣かされてました。おもしろかったですけどね。弟は革命児という気がします」

-勘三郎さんは本当にいろいろなことにチャレンジされていましたね。歌舞伎座でゾンビが出てきたり-

「『私はあんまり好みじゃない』って言ったら、『お姉ちゃまは古い』って。『古いとか新しいとかじゃなくて、私は苦手!』って言ったんです。

でも、あの人は自分がやったもので人のせいにしたことは一度もない。『作家にも演出家にも失礼だ』って言って、絶対。だから、自分が全部請け負うんです。周りには『失敗だ』と言われることもあったんです。

自分でも何か違うなと思いながらやっていることもありました。『今月はお姉ちゃまの理想の歌舞伎じゃないから見ないでよ』なんて言ってましたからね。私がこういうの好きじゃないな、というのはわかってました」

-男気がありますよね、悪いこともすべてご自分で責任を取られて-

「弟は偉いです。愚痴(ぐち)を言ったことがない。それから自分がやろうとしたときは、『お姉ちゃま、悪いけどさ、この家抵当に入れちゃっていい? 僕が背負うから』って言って来たことがありました。

『いいよ、やんなさいよ』って言ったら、『ありがてえ』なんて言ってましたけどね。結局、抵当には入らなかったけど、それぐらい思い切ったことをやる人でした。本当は気がちっちゃいんですけど(笑)。

弟は本当にきれいな魂を持っていました。芝居に対する魂が。芝居の神様に一番愛された人じゃないかしら?

芝居に対してだけは純粋だから。ああいうふうになりたいんですが…家を抵当にまで入れるのは無理ですよね(笑)」

-勘三郎さんの意志を勘九郎さん(長男)と七之助さん(次男)が継いで-

「十月大歌舞伎、七之助の『京人形』もよかったし、勘九郎の『相撲場』長吉と与五郎はあまりによくてリピートしてしまいました。

本当に弟の思いを継いでくれていますね。ちょっと伯母バカで恥ずかしいけど。

弟は若いうちはお役にあんまり恵まれている方ではありませんでした。それもあって、当時はすごく牙をむいていました。

私の年齢だったらよかったんです。(松本)幸四郎(二代目松本白鸚)兄さんとか、中村吉右衛門兄さんとかのクラスに入れたのに、10歳下ですから″断層の世代″なんです」

-そういうこともあって、色々なチャレンジをされるように?-

「そうですね。『僕とお姉ちゃまとが替わればよかった。僕が新派に入って、お姉ちゃまが男で歌舞伎だったらよかったのに』なんて言っていたこともあります。

その点では、勘九郎と七之助はあの親の後を行くのですからプレッシャーという意味では大変ですが、幸せなんじゃないかと思います」

 

◆歌舞伎の世界は父と子もライバル?

父・十七代目中村勘三郎さんは波乃さんには大甘だったが、息子の勘三郎(十八代目)さんにはかなり厳しかったという。

「弟は父の目を見たことがないんです。父が亡くなったとき、遺影を見て『おやじはこんなに優しい目をしていたの?』ってびっくりしていました。

あの二人はおもしろい関係でした。父は弟が帰ってくると、『帰って来やがった』って顔を隠すんです。嫉妬もあるんだと思いますよ、男同士の。ちょっと弟のほうが褒められたりするとイラッとしてました。

父が亡くなる前、病院の酸素テントのなかにいたんですが、誰かが弟のことをものすごく褒めていると、だんだん嫌な顔になっていったって聞きました。役者としての嫉妬ですよね。おもしろいものです。

父と子でもライバルなんです。もちろん弟は父をライバルだなんて思っていませんよ。生涯、尊敬していました。

でも、父は弟のことを『あいつはね、俺より器量はいいぞ。鼻は俺より高いしさ、どこから見てもいい男だよな、俺よりは。でも、腕は俺のほうがいい』ってよく言ってました(笑)」

-弟の勘三郎さんは手術のときに久里子さんにいろいろ後のこともおっしゃっていたそうですね-

「ある日、私が朝の6時半に病院に行ったら、ちゃんと洋服を着ているんですよ。『どうしたの?』って言ったら、『あぁ、よく来てくれた』って言って。

いつもはお姉ちゃまなのに、『姉貴』って言ったんです、私のことを。『姉貴、俺はそんなに長生きできるとは思わなかったよ。でもこんなに早いとは思わなかったんだよ。二匹を頼むな』って言ったんです。

『お芝居してるなぁ』って思いました。絶対お芝居なんだから、あの人は。死ぬなんて怖くて言えない人ですからね。『私にリップサービスなんかして』って思いました。

私が『大丈夫、大丈夫。二人は伯母なんて軽く超しちゃってるんだから』って言ったら、『そんなことないんだよ』って言ってましたけどね。どこまでがお芝居だったのかわかりません」

-勘九郎さんと七之助さんも立派に頑張ってらして-

「先ほども言いましたけど、プレッシャーはありますよね。

弟みたいな人は二度と出ないでしょうから…姉がいうのはおかしいけど。それに立ち向かうというのも必要だけど大変だと思います。何かまた弟とは違うものを見つけていくでしょう。

二人とも弟に基礎はたたき込まれていますから、それはよかったですよね。親子だから似ちゃうのはしょうがないけど、勘九郎も弟に似せようとしているわけではないです。

どちらかというと、七之助のほうがのんびりしていて、勘九郎のほうが熱くなるタイプ。弟よりは理がかなっているから、めちゃくちゃなことは言いませんけど(笑)。

弟と同じようなことを勘九郎に言われても、『なんであなたに注意されても頭に来ないんだろう?』って言ったら、『そりゃあマロン、″愛″と″智″ですよ』って自分で言ってましたよ(笑)。久里子(くりこ)の栗で、私のことをマロンて呼ぶんです」

-勘三郎さんとのように取っ組み合いにはならないんですね-

「ならない、ならない。そんなこと言ったら、私はぶっ飛ばしますよ、逆らったらね(笑)。

勘九郎は弟にも逆らったことはない。うちの弟も父に逆らったことはない。心から親を尊敬しているんです」

※新橋演舞場『新派朗読劇場』
2020年12月13日(日)午後2時開演
『女の決闘』
石井ふく子演出 八木隆一郎作
出演:水谷八重子・波乃久里子ほか
チケットは11月22日(日)より
チケットホン松竹 またはチケットWEB松竹まで

◆コロナ禍ではじめてご飯を炊いてYouTubeも…

父・(十七代目)勘三郎さんが遺した敷地で妹弟の家族と一緒に5世帯で暮らしている波乃さん。新型コロナの感染問題が生じる前は、それぞれ仕事が忙しく、同じ敷地に住んでいても全員が顔をそろえることはめったになかったという。

「父にもらった土地に5軒、弟(勘三郎)の子、勘九郎と七之助、お嫁さんの愛ちゃん、勘九郎の子どもたちの勘太郎と長三郎、妹が暮らしていますけど、みんながすごく私を気遣ってくれるんです。

普段はみんなで会ったことがないんです。仕事でバラバラだから。今は全員が会うじゃないですか。

そうすると、うちの父とか弟の代とは違って、勘九郎とか七之助は家庭的なんです。勘九郎は普通のお父さんを見事にやっています。

子どもの育て方がいいし、お嫁さんもいい。愛ちゃんはありがたいくらいいいお嫁さんです。妹の息子はサラリーマンなんですけど、その子もすばらしい。

勘九郎は心理学を勉強していたせいか、人の心を敏感に読むようなところがあって、すごいですね。それにモノの言い方が優しいんです。

でも、お稽古には厳しい。子どもたちの踊りのお稽古はちゃんと毎日1時間半くらいやっています。

それで、『マロンを呼んでらっしゃい』って子どもたちに言って。子どもたちが『マロン、踊りを見てください』って来るんです。舞台に見に行くと、そこから延々と1時間半ぐらいお稽古をやるんです。

感想を聞かれるからいうと、『いいこと言ってくれた』って直す。勘太郎と長三郎も普段は『マローン』なんてそっけなく呼んでるのに、お稽古のときには『マロン、お願いいたします』って、人が違っちゃったみたいになるんです(笑)」

-その辺はやっぱりすごいですね-

「すごい。それは私のこともちゃんとお師匠さんとして見るんでしょうね。教えてくれる人だって」

-勘九郎さんが撮影されたYouTube『歌舞伎ましょう』の「波乃久里子(マロン)のお掃除ルーティーン」もとても面白かったです-

「おもしろいでしょう? あれも勘九郎が『マロン、何してるの? 配信しなきゃダメだよ。やろう。僕がやるから』って。嘘だと思ったの。そうしたら、バーッと準備してもうコンテができていて。

それで『嫌なところをチェックして』って言われたけど、『もう何でもいいから撮ってよ』って言ったら、2時間くらいで全部やってくれました。相当評判がよかったって聞いてうれしかったわ」

現在25万回以上再生されているYouTube『歌舞伎ましょう』の「波乃久里子(マロン)のお掃除ルーティーン」では、毎朝20分かけて行っている仏壇のお掃除の様子、きれいに整えられたキッチンの引き出しのなかなども披露している。きれい好きで整理整頓が得意な波乃さんだが、これまで料理はほとんどしなかったという。

「身の回りのことは、もう45年間私に付いてくれているまーちゃんがすべてやってくれているので、この年までご飯を炊いたこともなかったんです。お料理番組を見るのは好きなんですけど。

コロナで時間ができたので、忘れもしません、3月5日に生まれてはじめてご飯を炊きました。きれい好きだから料理のときも、まず片付けものから始まるんです。

おネギを切ったらすぐにまな板と包丁を洗って片付けて…という感じだから、時間がかかっちゃってしょうがないの。いつまでたってもお料理ができない。3時間ぐらいかかっちゃう(笑)

ようやく出来上がったお料理を勘九郎に『食べて』って言ったら、『とんでもない!』って笑ってました。失礼しちゃいます(笑)」

-2020年は芸能生活70周年という節目の年ですね-

「私は人生これからだと思っているんです。今までは本当に恵まれて74歳までやって来られたけど、もう一度自分を見つめ直すいいチャンスですよね。

こんなのんきに74まで生きてきた人なんて世の中にいないんじゃないでしょうか? お料理はできない、自分ではどこにも行けない、お金だって自分でおろせないし。カードも持ったことがない。

この年まで『役』でいることの方が長かったから、波乃久里子ってどういう人だかわからないときがあります。

でも、マネジャーと切磋琢磨(せっさたくま)して、あとの10年間ぐらいは違うこともやってみたいですね。

映画が好きだから映画をやりたい。映画『パッチギ!』を見て井筒(和幸)監督に使ってもらいたいと思って、監督がよく行くという喫茶店にしょっちゅう行って張り込んでいたことがあったんだけど、一度もお目にかかれなかった(笑)」

-12月13日(日)には『新派朗読劇場』がありますね-

「はい。本当に久しぶりの舞台になります。お姉ちゃま(水谷八重子さん)との共演、石井ふく子先生の演出。すべてに新鮮な気持ちで迎えられそうです。ご期待ください」

バイタリティー溢れる姿が艶やか。芸能生活70周年を迎え、意欲的に新たなことにチャレンジし続けているところがカッコいい。(津島令子)

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