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競泳金候補・松元克央、五輪延期で感じた“実力”「一番強かった自分よりも上に行きたい」

8月30(日)深夜に放送したテレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、競泳・自由形の松元克央について特集した。

8月初旬、千葉県で半年ぶりに開催された水泳の競技会。ひとりのスイマーが来年の東京オリンピックに向けて、新たなスタートを切った。

およそ半年ぶりの実戦とあって、前半は慎重なレース運び。それでも、得意のラスト50mで後続を一気に突き放すと、自身のもつ日本記録に1秒47まで迫る好記録をマークした。

「自分の実力も今確認できて、久しぶりに水泳やっているなって感じましたね」

そう話すのは、松元克央(カツヒロ)23歳。名前の漢字をもじって、愛称は“カツオ”

彼は2019年の世界水泳、200m自由形で日本史上初のメダルを獲得。今年“古希”を迎えた名伯楽・鈴木陽二コーチとの二人三脚で、東京オリンピックでの金メダルが期待されている。

しかし、1年延期となってしまった“東京2020”。積み上げてきたものを発揮する舞台を失った。

「もう受け入れられなくて。覚悟を決めてその金メダルを獲るようなきつい練習をしてきたので」と、これまで経験したことのない喪失感に襲われた松元。

そこからいかにして前を向いたのか。世界水泳競泳キャスターの寺川綾が、金メダル候補の“現在地”に迫った。

◆「日本のカツオが、世界のカツオに」

2020年7月23日(木)、延期となった東京オリンピックのちょうど1年前。

寺川が松元と待ち会わせたのは、東京オリンピック競泳競技の本番会場、東京アクアティクスセンターの前。

松元:「でっかいですね。はじめて完成形を見たので」
寺川:「本来であれば、明日東京オリンピックが開幕するはずだったんですが…」
松元:「これ(会場)を見ると戦いたいなって思いますし、この場で泳ぎたかったなって思います

この日、松元を取材したのには特別な理由があった。ちょうど1年前の2019年7月23日(火)、韓国で行われていた世界水泳で銀メダルを獲得したのだ。

スピード、持久力を兼ね備えた世界の超人が集う200m自由形。今まで日本人がメダルを獲得したことのないこの種目に出場した松元は、ラスト50mを5位で折り返すと、そこから驚異の追い上げを見せた。

3番目のゴールだったものの、レース後、最初にゴールした選手が失格したため、繰り上がりの銀メダル。「日本のカツオが、世界のカツオになりました!」という実況アナウンスの通り、ニッポンの自由形の歴史を変える史上初の快挙をはたした。

「銀メダルとったので、来年は金メダル目指して覚悟を決めてがんばりたいと思います。“頂点カツオ”ですかね(笑)」とインタビューに答えていた松元。

こうして「7月23日」は、彼にとって特別な日となった。

寺川:「世界水泳でのメダルがキッカケで、オリンピックでの金メダルっていう気持ちがさらに強くなった感じですか?」
松元:「強くなりましたし、あの銀メダルでたくさんの人がよろこんでくれたんですけど、金メダルとったらどれだけよろこんでくれるのかなって想像したときに、『やっぱとりたいな、とってみんなの反応見たいな』って思ったので。すごく気持ちが高ぶりました」

世界水泳での活躍もあり、その人気は急上昇。すると、静岡の水産会社から「カツオを宣伝してくれてありがとう!」と一本釣りしたカツオが送られてきた。

その名も、「かつおの頂」。なんとも縁起のいいネーミングだ。

さらに、愛称の「カツオ」もすっかり定着。大会では、場内進行のアナウンスに「松元カツオ」と言い間違えられるといった珍事も起こった。

◆鈴木大地を育てた名伯楽が語る“一流の条件”

こうして一躍、東京オリンピックの金メダル候補となった松元。急成長の陰には、ある名コーチの存在があった。

鈴木陽二。今から32年前の1988年、ソウルオリンピックで 現スポーツ庁長官の鈴木大地を金メダルへと導いた名伯楽だ。

70歳を迎えた今なお、最前線で戦いつづける鈴木コーチだが、4年前のリオ五輪では担当した選手を代表入りさせることができず、世界一を争う舞台から遠ざかっていた。

そんなときに巡り会ったのが、リオの翌年の2017年から指導することになる松元だ。

「最初はここまで来るような選手かなっていう風に思っていたんですけどね。巨大な原石があって、磨いていったらどんどん真鍮になって銅になって、銀になって、今度は金が見えてきたなっていう感じですね」(鈴木コーチ)

身長186cm、体重86kgの松元。恵まれた体格を生かしたダイナミックな泳ぎが魅力だ。しかし、何より鈴木コーチが惚れ込んだのは、キツイ練習からも逃げない姿勢。

水泳っていうのは本当に苦しいところでいけるかいけないかの勝負になるので。本人(松元)は自分で決めたら、そういう意思は強いと思う。鈴木大地もがんばるときはよく追い込んでくれて、それは“一流の条件”じゃないですかね、やっぱり」(鈴木コーチ)

日本一厳しい練習で知られる鈴木コーチに食らいついていった松元は、代表入りからわずか2年で世界の銀メダリストに。30数年のときを経て、鈴木コーチに再び金メダルを狙うチャンスが巡ってきたのだ。

「そりゃあ人生ですから、いろいろいいときも悪いときもありますけど、必ずそういうチャンスが来ると思っていて。それが今、まさにそういうチャンスが来たなって感じですね」(鈴木コーチ)

そんな鈴木の哲学は、“やるからには頂点を目指す”。しかも狙うは、オリンピックで過去日本勢のメダルが一度もない、200m自由形での頂点。

「泳ぎのなかで一番速い種目でそういう争いができるっていうのは、非常に楽しみですね」と期待をのぞかせた。

◆金メダルへの課題は“3つめのラップタイム”

2020年2月、メキシコで行われた合宿。松元と鈴木コーチの金メダルへの挑戦がはじまっていた。

目標としていたタイムは、「1分44秒台」への突入。過去の世界大会の優勝タイムを見てみると、2016年のリオ五輪が1分44秒65だ。

対する松元の自己ベストは、1分45秒22(日本記録)。自己ベストを1秒近く縮めなければ金メダルは難しい。課題は明確だった。

(金メダルには)やっぱり1分44秒台前半は絶対必要かなっていうのは、自分のなかでは考えていて。それにはいろんなことが課題ですけど、一番は100~150mなのかなと思います」(松元)

松元が課題にあげたのは、200mを50mごと4つに区切った内の“3つめのラップタイム”。2019年の世界水泳でのタイムを見てみると、0~50mで24秒42、50~100mで26秒49、100~150mで27秒81、150~200mで26秒50となっている。

100から150mまでのタイムが、他の50mに比べて1秒以上遅いのだ。

「後半の100~150m、ここが精神的にもキツイところなので、ここをどれだけラスト50mに力を溜めつつ上げられるかっていうところを、ずっと鈴木先生と話し合っている。すごくキツイことを耐えていかないと、速くなっていかないのかなって感じています」(松元)

金メダルへのポイントは、得意のラスト50mの前にどれだけ粘り切り、タイムを上げられるか。メキシコでは、そのための訓練を徹底して行っていた。

練習序盤は、ビート板を使い、ひたすらキックを打つ練習。一見地味に見えるが、ジワジワと脚に疲労が蓄積していく。さらに壁キックや、ダイブで脚に負荷をかけていくと、いよいよここからがメイン練習である50m×4本、100m×6本のタイム計測。

「脚やった後にメイン練習をやるんですよ。メインで脚を使いたいのに、その前に使えなくなるという(笑)」(松元)

敢えてきつい状況を作り出し、そこから踏ん張る。並の選手なら途中で脚がつり、泳げなくなるというが、松元は食らいついていく。

鈴木コーチからも「次が問題。ここだよここ。ちゃんと耐えてね!」と大きな声が上がる。

脚の疲労が限界に達するなか、迎えた最後の100m1本。松元は、この日の最速タイムで泳ぎ切ってみせた。その姿に、鈴木は「間違いなく強くなっている」と確信した。

そんなメキシコでの合宿終盤。松元は23歳の誕生日を迎えていた。

“金のカツオ”があしらわれた特製ケーキをプレゼントされ、仲間から思いっきり顔に浴びせられた松元。鈴木コーチも笑顔を見せる。

「23歳を最高の年にするために、メチャクチャがんばらないといけないので。最高の1年にするために、最高のトレーニングをします」

その言葉通り、人生で一番というほど追い込んでいった松元。すべては、東京オリンピックでの金メダルのためだった。

◆東京五輪1年延期の衝撃

しかし、そのおよそ1か月後の3月下旬。東京五輪の1年延期が公式に発表された。

寺川:「東京五輪が延期になったときは、どういう風に知って、どういう風に感じましたか?」
松元:「富山で合宿をしていたんですけど、オリンピックに向けて本気で覚悟を決めて、金メダルをとるようなきつい練習をしてきたので、そのきつい練習をしてきた分、大きなショックがありましたね。もう受け入れられなくて…

さらに オリンピック延期が決まった翌日には、代表選考会である日本選手権の中止も発表される。すべてのスケジュールが白紙となった。

松元:「練習が再開されたときに予定表をいただくんですけど、全部“仮”なんですよね。決まっていない予定なので、何のためにがんばればいいのかと考えますし。すごく中途半端な自分だったので、いつもはもうひと踏ん張り出来ているところができない。目標がない毎日っていうのがすごく嫌でしたね」

練習を再開しても、以前のように気持ちが入らない、モチベーションが上がらない。当時の松元の様子について鈴木コーチはこう振り返る。

「やっぱりガックリ来ていましたね。『こういうときどう過ごすかっていうのが大事だぞ』とは言ったんですけど、ただすんなり気持ちが切り替えられるわけじゃないと思うので、本人にそれなりにやる気が出るように待っていましたね」

寺川:「一度そういう集中力とか目標が途切れてしまってから、何か前向きになるキッカケっていうのはありましたか?」
松元:「考える時間がたくさんあったので、1年延期したことにも何か意味があるのかなっていう風に徐々に考え出して。もしかしたら今年オリンピックが開催されていたら、金メダルとれてなかったんじゃないかとか、まだまだ実力不足だったんじゃないかっていう風に思ったときもありました

そう思うようになったキッカケは、オリンピックの延期発表から5日後のことだった。当時、富山で合宿を行っていた松元に、鈴木コーチがあることを提案する。

東京オリンピック決勝を想定した、独自の「記録会」の実施だ。それは、本番のレース開始予定時間に合わせ、午前中に行われた。

松元:「朝すごく早起きをして、オリンピックを想像して」
寺川:「予選、準決、決勝じゃなくて?」
松元:「もう1本です。決勝1本でやりました」

たったひとりでスタート台に立った松元。イメージしたのは、東京オリンピックの決勝レースだ。

寺川:「緊張はしました?」
松元:「しました。1本しかないので」
寺川:「ペースも…」
松元:「もうオリンピックを見据えて」
寺川:「100から150mというのは?」
松元:「結構課題ではあったんですけど、そこを上手く上げられた」

150mまでは自己最速ラップを刻み、課題をひとつクリア。結果は1分45秒44と、自身の日本記録に0秒22まで迫る好タイムだった。しかし、松元は満足していない。

松元:「捉え方によってはすごくいいと思うんですけど、もしこれが本番だったらって思うとダメだったなっていう風に考えちゃいますね」
寺川:「オリンピックで金メダルをとるためには、どういうところが必要になってきますかね?」
松元:「(1分)43秒っていうタイムが出せる実力は…」
寺川:「えっ、44秒とんでますよ?(笑)1個とんでる」
松元:「とんでます(笑)43秒出す実力がないと、朝一に44秒は出ないと思うんですよ。今年オリンピックやっていたら金メダルとる可能性もあったと思うんですけど、実力不足だった可能性もあるんじゃないかって考えるキッカケにもなりました

この経験から、少しずつ前を向きはじめた松元。今は、日々心がけていることがあるという。

「ウエイトや泳ぎの面でもなんでもいいんですけど、この落ち着いた何も試合がないときに、何かひとつだけでいいので一番強かった自分よりも上に行きたいなって、ただそれだけ考えています

依然、スポーツ界を取り巻く不透明な状況はつづく。それでも松元克央は、泳ぎつづける。生まれてから一度も止まらず 大海原を泳ぎつづけるという「カツオ」の如く。

寺川:「あらためて1年後の東京オリンピックの目標を?」
松元:「延期されたからといって目標は変わらないので、僕の1年後の東京オリンピックの目標は200m自由形で金メダルを獲得して、鈴木先生にかけてあげるところまでです。頂点しか僕はもう見ていないので、“頂点カツオ”で」

番組情報:『GET SPORTS

毎週日曜日夜25時30分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)