郷ひろみ「この程度で満足しちゃダメ」人気絶頂期に芸能活動停止、40代半ばで下した“決断”
“激レア”な体験を実際にした「激レアさん」をスタジオに集め、その体験談を紐解いていく番組『激レアさんを連れてきた。』。
8月29日(土)の放送には郷ひろみが登場し、デビューのいきさつから過去のエピソード、私生活まで赤裸々に語った。後編となるこの記事では、郷の華麗なる芸能活動で起きた衝撃エピソードを振り返る(前編はこちら)。
◆人気絶頂期に芸能活動停止
「物事はちゃんとやり遂げなさい」という母の教えを胸に、九州男児として厳しく躾けられた郷ひろみ。
シャイで内気な少年だったが、母の説得により映画のオーディションに出向くことになり、そこでデビューのきっかけとなるジャニー喜多川さんに出会う。
芸能界デビューすると、すぐにNHKの大河ドラマ『新・平家物語』に出演。同じ年には『男の子女の子』で歌手デビューもはたし、日本レコード大賞新人賞を獲得。一躍トップアイドルになった。
その後も、『よろしく哀愁」(‛74)『お嫁サンバ」(‛81)『2億4千万の瞳」(‛84)『言えないよ」(‛94)などヒット曲を量産。1999年にリリースした『GOLDFINGER‘99』は、今までと異なる路線で爆発的ヒットとなる。
ところがその最中、突如芸能活動中止を発表。人気絶頂のなか、アメリカに移住してしまう。
「この程度で満足しちゃダメ」という歌へのストイックな思いから、歌手の命・喉を大改造するための決断だった。
「自分をごまかしながら生きていくのか、納得した人生を歩むのがいいか。何かを手に入れた自分で次に向かえるなと思った」と当時を振り返る郷。
トップ歌手でありながら、それから約3年間もボイストレーニングに明け暮れる日々を過ごした。驚くことに、このときすでに40代半ばだ。
こうして歌声の改造にストイックに取り組み、自分の納得いくレベルまで磨き上げることに成功。65歳になったいまでも年間100公演のステージに立ち、パワフルな歌声でファンを魅了している。
◆プロ魂を見せた激痛のなかのコンサート
石川県金沢市でのコンサートに臨んだ際、そんな郷のプロ意識の高さがうかがえる象徴的な出来事が起きた。
コンサートの前日、夕食にサバを食べた郷は、翌朝腹痛に襲われ、病院でアニサキスと診断された。その痛さは、ボクサーにボディブローを食らったのと同じぐらいのものだったという。
治療するには胃のなかに内視鏡を入れる方法しかないが、そうすると喉に影響が出てしまう。郷は悩んだ末、治療はせずにコンサートを強行することを決意。当日はステージの魔力か、痛みを忘れてパフォーマンスに没頭した。
ところが、大ヒット曲『逢いたくて仕方がない』のイントロがかかった瞬間、この日一番の激痛が襲った。絶体絶命の状況のなか、郷はあまりの痛さに『でも逢いたい』と歌うところを、「あ~痛い」と思いながら歌ってしまったそう。
それでも痛みに耐える姿が観客に「切なくて素敵」と受け取られたようで、ライブは大成功。郷は当時を振り返り「やってよかった」と語った。
このように年齢を重ねてもストイックでいつづける郷は、円熟期を迎えるはずの50代で驚きの決断をする。なんと54歳で右利きから左利きに改造したのだ。
「体のバランスが偏るから、これから先は左でいいや」と思い、いまではどちらの手でも食事が食べられるほど“成長”したそう。
さらに60代を迎える前に、あえて一番好きなものを絶つことで自分を成長させようと決意。それまで毎日のように飲んでいたお酒をやめた。
「物事はちゃんとやり遂げなさい」という母の教えが胸に残っているからこそ、ここまでストイックに自分を磨きつづけることができたのだろう。
番組の最後に、郷は今までの芸能生活を振り返って次のように語った。
「歌うことしか自分には向いてない。こうしていられるのも多くの人たちに支えられたから。その人たちがイメージする郷ひろみを長くつづけていくために、こういうことしかできないのかなと思う」
※番組情報:『激レアさんを連れてきた。』
【毎週土曜】よる10:10~、テレビ朝日系24局(※一部地域を除く)