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ダルビッシュ有の助言「今になって気づいた」栄光と挫折味わった西岡剛が、たどり着いた新境地。

©Get Sports

脚光を浴びていたスター選手でさえ、第一線を離れると瞬く間に世間の関心は遠のく。次々と新たなスターが生まれ新陳代謝が激しいプロ野球界では、そんな残酷な現実を突きつけられるのが常だ。

しかし、どんな選手であれ、野球人生には大きな山と谷だけでは語り尽くせない、現在地に至るまでの様々な余白やグラデーションがある。

2019年11月12日(火)に行われたプロ野球の12球団合同トライアウト。そこで大きく注目されたのが西岡剛だった。

規定で2回までしか受験できないため、2年連続で挑戦した西岡剛は、今回が最後のトライアウトとなった。

結果は4打数ノーヒット。「プレーヤーとして結果が出なかったのは残念」と、悔しい声が報じられた。

さらに西岡は語った。

「自分の中ではやり切ったうえでプレーしたので、振り返ってどうこうというのはあまりないですね」

これは決して“勝負には負けた、でも全力を出し切ることが出来た”という紋切型のコメントでも、ただの強がりでもない。その発言の裏にあったのは、栄光と挫折だけの歴史ではあらわせない、西岡剛の切り取られることのなかった余白。

驚くことに西岡は今シーズン、プロ17年目にして、初めて野球に全力で取り組んだという。

その自負があったからこその“やり切った”という言葉だったのだ。

2019年12月22日(日)に放送した『Get Sports』では、西岡選手にクローズアップした企画をオンエア。本記事では、放送された内容に未公開パートを加えて、西岡の野球人生、そして新たな挑戦に迫る。

◆栄光、挫折…波乱万丈の野球人生

西岡の栄光を辿れば枚挙に暇がない。中学時代から全国大会に出場し、大阪桐蔭高校では3年時にキャプテンを務め、4番打者として夏の甲子園にも出場した。

その後ロッテからドラフト1巡目指名を受けると、高卒ルーキーにして1年目から1軍の試合に出場。3年目にはレギュラーを勝ち取った。

2006年の第1回「WBC」2次ラウンドのアメリカ戦では、タッチアップの疑惑の判定で注目の的に。日本の優勝に貢献したが、この時まだ21歳。若くしてスター街道を走ってきた。

2010年には首位打者に輝き、初めてスイッチヒッターでシーズン200本安打を達成。盗塁王も2度、ゴールデングラブ賞は3度獲得し、走攻守を兼ね備えた、紛れもない天才の一人として数えられた。

2005年、2010年には日本一も経験。そして2011年にはメジャーリーグのミネソタ・ツインズへと渡った。

©Get Sports

しかし、移籍1年目に初めてとも言える挫折を味わうことになる。併殺プレーの間に左足を骨折し、その後も満足な成績を残すことが出来ず、西岡の野球人生の潮目は大きく変わった。

2013年、阪神タイガースで日本球界に復帰した後も度重なる怪我に泣かされ、2016年には選手生命さえも危ぶまれる左アキレス腱の断裂という大怪我を負ってしまった。

奇しくも、その過酷なリハビリの日々で、西岡は初めて自らを省みることになる。当時、西岡は自らの心情を赤裸々に明かしていた。

「若い時に飯行っとったから、よくダルビッシュに『剛さん真剣にやってくださいよ』って言われとった。でも何を言ってんやろうと。俺はできるから。ダルビッシュには『いやできるけど、真剣にトレーニングして真剣にやったらヤバいですよ』と言われていて。恥ずかしいですけど今になって気付いてしまった」

©Get Sports

日本球界で屈指の成績を残しながら、西岡は若くして成功してしまったばかりにこれまで練習を怠っていたというのだ。試合が終わったら遊びに行き、ちょっとしたアップで試合に臨んでしまうこともあったという。

西岡にアドバイスを送る人はたくさんいたというが、当時は聞く耳を持てなかった。

ケガは決して悲運だけで片付けることは出来ず、西岡の怠慢が生んでいたものでもあったのだ。

アキレス腱の断裂からは心を改めた。

しかし、復帰後の出場機会は限られ、十分な結果を残すことは出来なかった。2018年、阪神から戦力外通告を受けると、トライアウトの後もNPB球団から声がかかることはなかった。そして2019年3月、西岡が決断したのは、独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブスへの入団だった。

◆西岡剛がそれでも野球を続ける理由

かつて年俸2億円だった男が、最高年俸250万円のBCリーグに。それでも野球に真摯に向き合う姿勢を取り戻した西岡にとって、NPBを目指し野球をできる場があること自体がありがたいことだった。

©Get Sports

入団会見では「1日1日を必死に成長できる人間でありたいなというつもりで、栃木ゴールデンブレーブスのユニホームを着たいと思っています」と再出発を誓った。

会見の翌日、初日の全体練習に誰よりも早く訪れて体を動かす姿からも、その覚悟は伝わってきた。

すると西岡は栃木で1シーズンを通して怪我もなく好成績を残し、チームをBCリーグ初優勝に導く。歓喜のビールかけでは、これまで経験してきたどんな優勝よりも満足感に溢れた表情をみせてくれた。

「目指している位置はNPBなんですけど、こうやって1年間チームで戦ったっていうことに関しては経験できて、最高の経験だと思います」

初めて1シーズン、野球にだけ向き合い続け、結果も残したからこそ、独立リーグでの優勝は文字通り最高の経験となった。先月のトライアウトで“やり切った”と断言出来たのも、大怪我によって気づくことの出来た大いなる反省と、この1年間の達成感があったからこそのものだったのだ。

未だNPBからのオファーはなく、去就は決まっていない。それでも西岡は愚直なまでに現役にこだわり続けるという。その理由は意外なものだった。

「まだもっと人間力を高めたいと思えるようになったから、たぶん野球も続けていると思うんです」

人間力を高めたい――そう思わせてくれたのが、栃木で出会った人たちだった。「野球以外の人生の相談をする時もありましたし、その時に西岡君なら大丈夫、こういう風にすればとか。支えてもらったりした言葉もいっぱいあったんですよ。だから僕にとってはこの1年間、戦い抜けた一つの要素でもあったのかもしれないですね」

実は西岡は栃木で、地元の人達と多くの時間を過ごしてきた。ケアのために毎日通った温泉で出会った人たち、行きつけのお店の方々、時にそんな人達の助言に救われることもあった。

NPBにいた時には、考えられないような経験だったという。

©Get Sports

「今年NPBから一歩距離を置いて見ていたんですけど、光が当たりながら野球ができている人たちの影には本当にたくさんの裏方さんなり、ファンであったり、いろんな人の支えがあって、見られるところでプレーできているんですよね」

西岡剛はどこに向かうのか。来年もどこかで現役を続けることは間違いない。再び最高の舞台に立つことを目指し、今よりももっと人として成長するために。

番組情報:『Get Sports

毎週日曜日夜25時30分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)