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ひし美ゆり子、辞めるつもりが…“ある写真”の流出で新たな女優人生へ

©テレビ朝日

『ウルトラセブン』(1967年~1968年)でウルトラ警備隊の友里アンヌ隊員として絶大な人気を誇り、数多くの映画、テレビに出演していたひし美ゆり子さん。女優業に対して執着心はなく、1972年に東宝との専属契約が切れたときに女優を辞めるつもりだったというが、ある出来事がきっかけとなり、今度は美しいヌードで魅了することに。

◆「アンヌ隊員が脱いだ!」と大騒ぎに

東宝の専属契約が切れた後、映画『鏡の中の野心』(小林悟監督)に出演。全裸で砂浜を駆けめぐるシーンなどもあるが、小規模な公開だったため、広く知られることにはならなかった。だが、それから間もなく週刊誌にヌード写真が掲載されてしまう。

「東宝に取材に来たフリーのカメラマンが、『セミヌードでいいから撮らせてくれ』って言っていたんですけど、東宝はそういうことにうるさいので断っていたの。

でも、1年間ぐらいずっと言ってきていたので、東宝を辞めた後、仕方がないから個人的な記念のつもりで撮らせてあげたんですよ。そうしたら、そのカメラマンが勝手に週刊誌に売ってしまって…」

-ひどい話ですね。勝手に承諾も得ずに写真を売るなんて-

「頭に来たけど、そのカメラマンとは連絡が取れなくなってしまったし、どこに行ったのかもわからなかった。そのときはまだパソコンなんてないから調べられなかったけど、今いろいろ検索してみても見つからないの。

そういう人だからもっと色々取材や何かをしてあちこちに名前が出てくるかなと思ったんだけど、いまだに出てこない。バチがあたって亡くなったのか、生きているのかもわからないのよね」

-いきなりヌード写真が掲載されて大変だったでしょうね-

「母はもうすごい怒って、『みっともなくて買い物にも行けない』って言ってました。

父は何も言わなかったんだけど、ちゃんとスクラップしていたの(笑)。黙ってスクラップして取ってあったのを何年か経ってから見つけました」

-きれいですものね-

「きれいじゃないわよ。私は中途半端な顔だから嫌なの。個性的じゃないでしょう? どこから撮っても同じ顔じゃないんですよ。角度によってすごい表情が違うっていうか、『この人同じ人?』っていう感じ。

だから、(来年1月に文庫版を出版する)樋口(尚文)さんと一緒に作った本のタイトルも『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』って付けたの」

-見る角度によって顔が違うというのは、女優という職業においては最適なのでは?-

「そうですか? 別人みたいなんですよ。教育映画の人形町のたい焼き屋のお母さんから時代劇のくの一から極道の女から廓の女まで…いろんな役をやっていますね。稼がないと食べていけないですからね(笑)」

-東宝にいたときからスチルカメラマンの方たちによくモデルを頼まれていたのはいろいろな表情をお持ちだったからでしょうね-

「東宝の所属の石月美穂さんというスチルカメラマンがすごい勉強熱心で、しょっちゅう私を呼んで、『今日はロケーションが良いから井の頭公園で撮影しましょう』なんて言って撮ってくれたんですよ。

私は井の頭公園から歩いて1分のところに住んでいましたからね。その人のおかげで写真集になるぐらい写真が残っていたんですよ。他の女優さんはみんな断っていたみたい。人が良いのかな(笑)」

-『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』に使われているお写真も表情が豊かで撮られ慣れている感じがします-

「それはカメラマンさんが、『唇にちょっと力をいれて』とか、『睨みつけて』とか、すごいいろいろ言ってくれたんですよ。

だからいろんなカメラマンの方たちがいっぱい撮ってくれたおかげで撮られ上手になったんだと思う」

◆女優を辞めてOLになるつもりが、出演依頼殺到であの大島渚監督からもオファーが

女優業はもう辞めようと思っていたというひし美さんだったが、美貌と抜群のプロポーションが際立つヌード写真の反響は大きく、次々と出演オファーが舞い込むことに。

「私はどこにも所属してないし、親がうるさいから麻布十番の女友達のところに転がり込んでいたんですよ。家賃を半分ずつ出し合ってシェア生活をしていたの。

そのときにはどこかに勤めようという気でいたんですよ。でも、お仕事の依頼が来たのでとりあえず出てという感じ。ヌード写真が出ちゃったから、『この子は脱いでくれる』と思って、そんなのばっかりね(笑)」

-何本か見させていただきましたが、ストーリー仕立てでヌードだけが売りの作品とは違う感じがしました。それはひし美さんご自身もこだわっていらしたそうですね-

「そうなんだけど、私はバカだから、日活だけはロマンポルノ路線だから全部断ったのね。実は日活ロマンポルノには素晴らしい作品が多かったと後で知りました。

当時は映画のために脱ぐことは厭わなかったけど、『ポルノ女優』というくくりにされるのがイヤだった。

そういうことにこだわっていたのは、やっぱり親がうるさかったからね。もし、私が天涯孤独だったら、もっと開き直って仕事ができていたと思うの。家族がいるから、取材とかからもいつも逃げていたんですよね。

ひし美なんて名前はあまりないから、家族が嫌がるかなぁと思って日活だけは断っていたんだけど、東映で『不良番長』シリーズの後に出た映画のタイトルが『ポルノ時代劇 忘八武士道』(1973年)。『ポルノ時代劇』って最初に付けられちゃっていたのよね(笑)」

『まむしの兄弟・刑務所暮し四年半』(1973年)、『高校生無頼控 突きのムラマサ』(1973年)、『メス』(1974年)、『好色元禄秘物語』(秘はマル秘・1975年)、『新仁義なき戦い 組長の首』(1975年)など多くの映画に引っ張りだこになり、『プレイガール』(東京12チャンネル)や『人形佐七捕物帳』(テレビ朝日系)をはじめ、多くのテレビドラマにも出演。

-大島渚監督から映画『愛のコリーダ』の出演オファーもあったそうですね-

「そうなんです。藤竜也さんとは何度か共演していたけど、私は世の中のことを知らないから、『愛のコリーダ』がどういう内容の映画なのかということも知らなかったの。本番シーンがあるということもね。

全然女優をやる気がなかったから、事務所にも入らなかったからマネジャーもいなかったの。それで大島渚監督と会って台本を見せられたんだけど、どうしたら良いかと思って、貞永方久監督に相談したんですよ。

『メス』(1974年)という映画に出てから貞永監督とは飲み友だちだったから電話して『愛のコリーダ』の話をしたら、『それをやったら大変なことになるぞ』って言われて断ったの」

※映画『愛のコリーダ』は、昭和11年に実際にあった「阿部定事件」を題材に、大島監督が男女の愛の極致を描いた作品。実際の性交場面もあったため、日本で撮影し、フランスで編集するという形で完成させたが、「芸術か、猥褻(わいせつ)か」話題を集め、表現の自由をめぐって裁判にまで発展した。

©テレビ朝日

◆女優を引退したが“アンヌ・ブーム”の再燃に若者からの支持が急増で…

映画女優として多くの監督が出演オファーを送るなか、ひし美さんは突然お見合いで結婚し、女優業を引退してしまう。

「もともと女優業は向かないと思っていたから執着がなかったんです。結婚した相手も芸能界とは全く関係のない人でしたからね。長男は誕生しましたけど、結婚生活はそんなに長くは続きませんでした」

離婚後、ひし美さんは銀座でパブを経営。そして台湾料理の料理人だった男性と再婚し、台湾料理店をオープンする。

女優業にはあまり執着していなかったひし美さんは、80年代半ば以降はあまり積極的に映画やテレビに出演するつもりはなかったというが、ビデオ機器の普及で80年代後半以降、アンヌ・ブームが再燃。注目を集めることに。

「87年頃にお店に20代後半くらいの男の子がアンヌのお人形(フィギュア)を持って『お人形にサインして下さい』ってやって来たりするようになりました。

最初に放送されてから20年ぐらい経っていたから、あの頃の子どもたちが20代も半ば過ぎになっていたんですよね。

87年には真夜中に『ウルトラセブン』の再放送もしていたし、ビデオの普及で何度も見られるようになっていたのも大きかったでしょうね」

時代とともにインターネットが普及し、『ウルトラセブン』も新しい世代にも広く知られるようになり、アンヌはネットアイドルと言っても過言ではない状態に。ひし美さん自身もブログやツイッターなどを駆使し、さまざまな情報を発信している。

-アンヌ隊員の人気はダントツですし、出演作品も多くありますからね。押井守監督もファンの一人で2006年にお店に現れて出演交渉されたそうですね-

「作品も何も決まっていないんだけど、『お願いします。僕の映画に出て下さい』って言うの(笑)。

ただ、私はそのとき、押井監督のことを知らなかったんですよね。押井監督は私が東宝を辞めた後、初めてヌードになった映画『鏡の中の野心』が公開されたとき、『1週間の公開期間のうち5日間通い、目に焼き付けました』と言っていました(笑)」

-そして『真・女立喰師列伝』(2007年)の一篇『金魚姫 鼈甲飴(べっこうあめ)の有里』に主演することに-

「そうです。押井監督のお考えになった『立喰師』というのは、立ち食いのプロだということですが、結局何なのか今もよくわからないんですよね(笑)」

-金魚の入れ墨が入ったヌードがきれいでした-

「あれはね、監督に『背中に金魚の入れ墨を入れてほしい』って言われて、『背中なら良いか』と思ったんだけど、ジョークで『前にも金魚の入れ墨があったほうがDVDを作ったら2倍売れるんじゃないですか』って言ったら、そうなっちゃったの

バカでしょう?結局、胸にも金魚の入れ墨を入れることになっちゃった(笑)。子どもを4人も生んでいて撮影時は59歳だったんですけどね」

白い肌に金魚の入れ墨が映えて美しい。アンヌ隊員として知られている顔、惜しげもなく裸身をさらけ出す色っぽい女の顔…時代とともにさまざまな顔で魅了してきたひし美ゆり子さんは永遠のヒロイン。(津島令子)


※『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』
1月9日(木)発売
ひし美ゆり子著 樋口尚文著
『ウルトラセブン』のアンヌ隊員からセクシー映画女優、そしてネットアイドルへ。鮮烈な裸体を銀幕にさらした1970年代から現在まで、映像メディアの変遷に流された女優人生のすべてが明かされる。

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