天才哲学者マルクス・ガブリエルが説く、“倫理が勝つ”未来。「コロナ前の世界に戻ることは不可能」

テレビ朝日が“withコロナ時代”に取り組む『未来をここからプロジェクト』。

『報道ステーション』では、多岐にわたる分野で時代の最先端を走る「人」を特集する企画『未来を人から』を展開している。

今回取材したのは、“世界で最も注目を浴びる天才哲学者”と名高いマルクス・ガブリエル氏。

ドイツの名門・ボン大学で29歳と史上最年少で教授に就任、2013年発売の著書『なぜ世界は存在しないのか』(著:マルクス・ガブリエル 講談社選書メチエ)は、哲学書としては異例の16の国と地域でベストセラーに。彼の思想は哲学会に衝撃を与え、“哲学会のロックスター”とも称されている。

「コロナ前の日常に戻りたいという願望は間違いである」「どの会社にも税理士がいる、倫理学者や哲学者がいないのはなぜか?」と言うガブリエル教授が見据える、コロナ後の未来とは――。

 

 

「“日本はソフトな独裁国家“である」との少々ショッキングな言葉で取材がスタートしたが、ガブリエル教授は日本にどのような印象を持っているのか。

「確か2013年だったと思いますが、初めて来日したときに印象的だったのは、私が“白手袋事件”と呼んでいる出来事です。地下鉄で規則を知らずに女性専用車両に乗ろうとしたとき、突然、誰かが白手袋で私の背中を引っ張ったのです。そこで、日本は非常に組織化されているんだと気付かされました。

ドラッグを使用する人すらいるベルリンの地下鉄と比較すると、日本では自由に対する多くの制約がある。これはハイレベルな組織化が招いた結果であり、ある意味でこれはソフトな独裁国家だと思いました」

日本について、ガブリエル教授は著書『世界史の針が巻き戻るとき』(著:マルクス・ガブリエル 訳:大野和基 PHP研究所)でこのようにも述べている。

「ひとことで日本を表そうと思ったら『精神の可視性』といいます。(中略)日本人はお互いの気持ちが手に取るように見えるのです。非常に精神的な文化で、どこにおいても精神が可視化されているので、哲学をするには大変強力な場所です」

日本を精神的な文化、哲学的と捉えるガブリエル教授は、新型コロナウイルスに対しても独特な視点を持っている。「コロナ前の世界に戻ることは不可能であり、コロナ前の日常に戻りたいという願望は間違いである」と言うのだ。

「コロナ前の世界は良くないもので、私たちは開発速度があまりに速すぎたため、人間同士の競争で地球を破壊しました。2020年に起きたことは、自然が私たちに“今のようなことを続けるな“と、最後の呼びかけをしていたのかもしれません。私たちはみな、そのお告げを聞いています。

パンデミック前の日常に戻りたいという願望があれば、それは間違いです。だからといって旅行をやめるべきだということにはなりません。私たちは経済を再構築する必要があるということです」

◆提唱する“倫理資本主義”

その経済再構築の軸となるのは彼が提唱する“倫理資本主義”である。

「たとえば今、非常に裕福な人たちがコロナ危機に乗じて稼いでいる。彼ら次第ではありますが、得た利益をパンデミックで最も苦しんでいる子どもたちや、恵まれない国の人々に分け与えるべきです。

大勢の幸せを優先することは経済成長を緩やかにしますが、今とは違った方法でお金を稼ぐことができる。私はこれを“倫理資本主義”と呼び、ポストパンデミックの産物になり得ると考えています」

環境問題や貧困問題などは、グローバル企業が利益を追求しすぎた結果生まれたものである。そしてコロナ禍をきっかけに、倫理や道徳が世界の価値観の中心となる“倫理資本主義“が大切になると語る。

「富とは単にお金を稼ぐことではなく、善いことをする可能性だと考えるべきです。たとえば、ある程度稼げば人はお金持ちになりますよね。そうなった場合、自分が持つ資源、権力、お金、人脈を投資に回すべきです。

最初は近隣住民、次は自国、次は州、さらに大きな地域へ。理想は、豊かではない他の地域や国への投資です。富とは、富を共有する可能性であり、他者のために善いことをする可能性であります。増えた富を倫理観に基づき再分配することを、ゴールとして設定するべきです。それが完璧なインフラなのです。

仮にビル・ゲイツがペルーの学校のインフラ整備に3億ユーロを出資したとします。この出資でどれだけ多くの素晴らしいトイレが整備されるかを想像してみてください。3億ユーロで、ペルーの学校の衛生状態を変えることができる。これが真の慈善活動であり、将来のモデルになると思います。もし10億ドルを私にくれたら、喜んでその半分の5億を受け取って、残りをラテンアメリカの3国のトイレ修理に出資します。それでもまだ私は大金持ちでしょう?」

倫理的価値にもとづいて富の分配をすることで、より良い社会になるというガブリエル教授。経済的な側面以外でも、倫理資本主義を構築できるという。

「たとえば日本ではいまだに受け入れがたいジェンダー問題がありますし、ドイツでも日本とは違ったかたちで問題が存在します。そこで日本はジェンダーに関してドイツから学び、ドイツは日本から健康的で持続可能な食について学ぶことができる。

このように日本がドイツより優れている業種もあれば、ドイツのほうが優れている業種もあります。道徳的観点から両国の長所と短所を比較すれば共に発展できます。もし経済的剰余価値(※労働者の労働賃金を超えて生み出される価値)をこの活動と結び付ければ、道徳的に優れた完璧な制度の構築が可能になる。それが倫理的資本主義なのです」

◆持続可能か否かは「倫理的に善い行いをするかどうかで決まる」

今日では、世界でESG投資(環境、社会、ガバナンスの観点を含めた投資活動)に投じられる金額は3000兆円を超えるといわれ、またSDGsへ取り組む企業の数も増加傾向にある。これらの動きについて、ガブリエル教授はどのように見ているのか。

「“私たちがみな聖人になるべきだ”と言っているわけではありません。企業が持続可能を採用して利益を出しているのなら、どのような思惑だとしても成功例です。つまり企業がSDGsを順守しているのなら、その理念を信じているかどうかはどうでもいい。

倫理資本主義という考え方は、思想主義を提唱した偉大な哲学者であるエマニュエル・カントに由来しています。カントは“司法制度の機能は道徳的構造によって推進されるべきだ”と論じている。

彼によると、たとえ悪魔であっても法律さえ守っていればいい。同じように企業がSDGsに従って利益を得ているのなら、SDGsに従わない企業よりはるかに善いと思います」

倫理的な価値と経済的な価値の両立は可能なのだろうか。この問いに対して、ガブリエル教授は「もちろん可能であり、それがサステナビリティのかたちです」と断言する。

「10年後の世界において、フェイスブックはまったく重要視されないと予想していますが、もし同社が今後、自由や人道の解放に貢献するなら持続可能な企業になるでしょう。10年スパンの短期的な急成長ではなく、数十年生き残る会社を目指すなら、確実に持続可能性が必要です。

そして持続可能か否かは、倫理的に善い行いをするかどうかで決まる。倫理的に善い行いが結果的に利益を生み出すことを理解する必要があるでしょう。その持続可能性を見極めるためには、会社の中に倫理チームが必要です。

私は、倫理学者は税理士のようなものだと考えています。どの会社にも税理士がいるのに、倫理学者や哲学者がいないのは完全に間違いだと思います」

このような主張をするガブリエル教授自身が倫理のエキスパートであり、巨大IT企業を含む複数の会社で倫理アドバイザーを務めている。聞き慣れない言葉だが、どのような仕事をしているのだろうか。

「倫理アドバイザーの目的は利益を上げること。倫理と経済学は相反するものではありませんし、もしそのような考えがあるとすれば、それは悪しき理論による作り話です。倫理アドバイザーの仕事は社内のチームに参加して、会社がどのように事業を行っているのかを注視することです」

倫理的に善い行いを意識することで持続可能性を高め、利益を上げる。これは企業だけでなく、国家にも必要な動きであり、今月開催されるオリンピックについても、倫理的、道徳的な観点は重要だという。

政治家の説明が少ない状況で、「安心安全に開催できる」という言葉に対して納得していない国民もいるが、このような状況についてどのように考えるべきなのか。

「21世紀の非常に近代的な民主主義において、政府と国民が“理由”を交わすことは極めて重要です。日本政府は国民に行動の理由――政治的理由、倫理的理由、科学的理由――を提供し、説明責任を負う。さらに日本国民側も意見を政府に提供しなければなりません。

もし日本政府が異論を比較し考慮することなく判断して、一方だけが得をする可能性がある結果を支持すれば、それは民主的リーダーシップが著しく欠如していることになります」

◆今こそ、民主主義は知識を共有しなければならない

政府と国民が互いに説明責任を果たすことこそが、民主主義の根幹である。しかし、著書では、世界はそれとは真逆の方向に進んでいっていると指摘するガブリエル教授。

「普遍的な倫理に基づいて行動するために人類はもっと連携すべきですが、残念ながら現在、人類は連携が不十分で多くの分断が生まれています」「WHOがパンデミック宣言を行った1ヶ月後の国連安全保障理事会では、アメリカと中国が対立しました」(『つながり過ぎた世界の先に』(著:マルクス・ガブリエル インタビュー・編:大野和基 訳:髙田亜樹 PHP研究所))

「私の考えでは超大国は存在せず、アメリカと中国、いずれの国も世界を支配するとは思いません。単に力のある国家が存在するだけです。絶対的な覇権への幻想を気にすることなく、今までとは異なる組織が必要です。

新しい啓蒙思想(※先入観を見直し、理性に従って合理的に考える思想)をつくるためには、同盟関係を結ぶべきであり、常に協力し合い驚くべき同盟を構築すべきです」

とはいえ、アメリカの影響力はまだまだ強く、中国も軍事に限らず様々な面で力を増大させているようにも見えるが…。

「このパンデミックがどんなことも可能であると示してくれました。ヨーロッパがほぼ1年にわたってロックダウンするなんて誰が想像したでしょうか? 不可能だと思っていたことが現実に起こったのと同様に、不可能にもみえるかもしれませんが、国々が連携して、二極で対立しているアメリカと中国よりも強力な同盟を構築するのです。

アメリカと中国は善良なことをせず、兵器に対する潜在的な対立を形成しています。アメリカと中国の間、背後、またはその周りで、第三の方法を探さなくてはなりません」

コロナ禍で米中の対立は深まり続け、今年6月に開催されたG7サミットでアメリカは中国との対立姿勢をより強めるかたちになった。しかしその一方で、民主主義国家の側にも民主主義的ではない部分があると指摘する。

「自由民主主義に完全に取って代わるものがあるとは思っていませんが、ヨーロッパの大半の国は昨年の秋に2度目のロックダウンに入りました。ロックダウン政策は民主的な政策ではありません。ワクチン接種を含め、もっとコロナウイルスに対する民主的な解決策があるはずです。

今こそ、民主主義は知識を共有しなければなりません。ワクチン接種はロックダウンよりも民主的政策ですから、ワクチンに関してすべての知識を共有できるか否かが極めて重要です」

新型コロナウイルスの問題を解決するためには、より民主的な方法をとるべきであるというが、民主主義を採用していない中国に対して“コロナを封じ込めた”と評価する声もある。

「この危機に対し、民主主義より効率的な解決策を講じた政治制度があると思うのは幻想です。まず、問題はウイルスが生物学的現象だということを忘れてはなりません。法律ではウイルスを制御できませんから、私たちがどう行動するか次第なのです。

その点で民主主義はそれほど悪くありません。最善のワクチンは、ドイツと米国で開発され、私は幸いにもビオンテックとファイザーのワクチンを接種しました。開発したのは中国ではありません。

また、ヨーロッパの死者数は100万人をはるかに超えましたが、それでも民主主義は健在です。共産党の独裁主義が民主主義国家よりコロナウイルスにうまく対処したとは言えません。それは単に中国のプロパガンダです」

◆コロナをきっかけとした新しい波「倫理や哲学が勝つ」


コロナ禍で混沌とする世界で、マルクス・ガブリエル教授が見る未来とは――。

「私は啓蒙思想、つまり倫理や哲学が勝つと思っています。私たちは近代化の新時代に入ったばかりです。コロナをきっかけとした近代化の新しい波です。倫理は私たちに、人間らしくいなさいと求めています。たとえば、子どもが溺れていたら救わなければなりません。その子どもがアフリカやインド、アルゼンチン出身かどうかは関係ありません。

この感受性を育てれば、他者が何を必要としているのかが理解できる。日本レベルの心を読む術が必要になるかもしれませんが(笑)。でも、そうすることで私たちはより敏感になり、より親切になる。より感謝して、近代社会で健康に生きる私たちが、恵まれていない人々を助けることができることにも感謝できるようになります」

しかし現実には、毎日を生き抜くだけで精一杯である人々も少なくない。倫理や哲学よりも、目の前のお金が大切だと考える人に対して、どのように語りかけるべきなのだろうか。

「彼らが怠けているから貧困であるのではなく、原因は制度にあります。彼らは、単に悪いことが起こり貧困に苦しんでいる人たちであって、制度的な貧困層なのです。つまり、私たちは単にラッキーだっただけです。私は20世紀にドイツ人家族のもとで生まれて幸運でした。そして私たちはその幸運に恵まれなかった人に借りがあると理解すべきでしょう。

彼らが幸せになるための環境を、私たちは提供すべきです。同時に、彼らも私たちを助ける必要があります。つまり一緒に達成するのです。極度な貧困層にいる人々も潜在的な友人です。これが道徳的思考なのです」

最後に、若い世代に向けて伝えたいことを聞いた。

「若い世代には“会社や家族、民主的なリーダーに、善いことをするように”と頼んでほしいです。若い世代の人たちと話すとき、私は必ず“投票権を得るべきだ”と伝えます。そもそも子どもに投票権がないのは人道的な恥だと考えているのです。

これは女性を選挙から排除するようなもので、私たちは子どもたちを選挙から排除しているのと同じ。これがとんでもないことだということに気づいていません。まず若い世代は政治に参加させてくれとお願いし、自分たちの洞察力によって政治を選ぶべきです。

実際、若い世代のおかげで、環境意識が高まってきました。若者は将来のために戦わないと、未来の多くが失われます。そして私たちも若い世代に感謝しなければいけない。

世代を超えた平和を実現するためには、若者が声を上げて大人たちに善い行いをするよう訴えなければなりません。そして権力者に若者の善行、関心事、そして洞察力を抑圧させてはいけないのです」

<構成:森ユースケ>

※関連情報:『未来をここからプロジェクト

おすすめ記事