マイケル・サンデル教授が説く、エリート層が“謙虚さ”をもつことで開ける未来「エリートは苦しんでいる人々を見下している」

テレビ朝日が“withコロナ時代”に取り組む『未来をここからプロジェクト』。

『報道ステーション』では、多岐にわたる分野で時代の最先端を走る「人」を特集する企画「未来を人から」を展開している。

第10回に登場したのは、アメリカ・ハーバード大学で40年以上政治哲学を教えているマイケル・サンデル教授。『これからの「正義」の話をしよう』などの著書が全世界30カ国でベストセラーになるなど、世界的な影響力をもつ。

日本ではNHKで放送された『ハーバード白熱教室』で有名。学生を指名して議論を白熱させ、軽妙なやりとりの中で笑いもこぼれ、最後には話を華麗にまとめあげる授業スタイルだ。

約10年ぶりに書き下ろされた新著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(鬼澤忍訳 早川書房)は、欧米の有力紙からも絶賛され、コロナ禍のいま注目を集めている。

パンデミックが社会の不平等をあぶり出し、社会的な変化を促進する。そんな可能性を説く世界的な哲学者が、格差拡大など社会的分断の先に見る未来とは――。


◆能力主義で守られたエリートが貧困層を見下している

新型コロナウイルスの爆発的な流行により、世界は大きく様変わりした。この状況について、サンデル教授はどのように認識しているのか。

「パンデミックはレントゲン検査のようなものです。パンデミックが始まった頃、私たちは世界全体が一つの共同体であり、私たちはみな同じ状態にいるのだと考えていました。ところ状況が変わるにつれ、社会の不平等が徐々に明らかになってきたのです。

しかしここで明らかになった不平等は、パンデミックの前から存在していた社会や経済の状態が明るみに出ただけであり、勝者と敗者の分断はもう何十年も前から深まっていました。私たちが住む世界は、裕福な人と貧しい人とで全く違う生活を送っている。この状況は民主主義の土台を侵食しているといえます」

コロナは分断をより鮮明にしたと語るサンデル教授。貧富の差が広がる一方、世界中で株価は上昇中だ。日本でもコロナの影響で11年ぶりに完全失業率が上がったが、日経平均株価はバブル後最高値を更新、ダウ平均株価は史上最高値を記録した。

「パンデミックのさなかにも金融市場は繁栄しています。実体経済において人々は苦しんでいるのに、金融業界やウォール街は非常に好調。ここ数十年間、グローバル経済から生じた恩恵の大半をトップの20~30%の人々が所有しています。そして多くの一般的な労働者たちの実質の給料水準や生活水準はそれほど上昇していません。

近年、金融の世界と多くの人々が苦しみを感じている実体経済とのつながりが、どんどん小さくなっていることが明らかになっています。過去40年間にわたって、市場主導型のグローバリゼーションによって、民主的な国家で経済的な不平等が広がり、勝者と敗者の間で分断が深まりました。さらにその不平等の広がりに伴った“成功に対する考え方”の変化も、分断が広がった原因なのです」

社会的な分断の原因として“能力主義”があるというサンデル教授。そもそも能力主義とは何かを説明するにあたって、徒競走を例に挙げてこう語る。

「徒競走に例えると、成功している多くの人々はこう考えます。“みんな同時にスタートして自分が勝った。自分が一番速かったのだから優勝は自分だ”。しかし他の人々は“いや、それは公平な競争ではない”と言います。“スタートの時点で、コーチの指導を受けられた人がいるのはどうなのか“という理由です。

例えば元から足が速いという才能や練習できる機会、コーチの指導、栄養、性能のいい運動靴…。徒競走に勝つ要因において、努力以外の要素もあります。

もし私がそのレースで勝ったのなら、みんなで優勝賞品を分かち合う義務があると考えるでしょう。この勝利を自分だけのもの、自分自身の努力の結果だとは思わないからです」

裕福な家庭では生まれながらエリートになるためのレールが敷かれているため、不平等な世の中になっている。そのうえ、能力主義で守られたエリートは、貧困層を見下しているというのだ。

◆「誰もが社会に貢献する何らかの力を持っています」

新著『実力も運のうち』でもこのように語っている。

<能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ>(P.180)

<能力主義エリートは、自らが提唱する能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかったのだ>(P.225)

なぜ、エリートたちは貧困層を見下すのか。その理由こそが新著の核心であり、“学歴偏重(へんちょう)主義”が根底にあるという。

<不平等が増すにつれ、また大学の学位を持つ者と持たない者の所得格差が広がるにつれ、大学の重要性は高まった。大学選択の重要性も同じように高まった。…いまでは、学生は自分が入学できる最もレベルの高い大学を探し出すのが普通だ。子育てのスタイルも、とりわけ知的職業階級で変わった。所得格差が広がれば、転落の恐怖も広がる>(P.25)

<有名大学の学位は、栄達を求める人びとの目には出世の主要な手段だと、快適な階級に居座りたいと願う人びとの目には下降に対する最も確実な防壁だと映るようになった>(P.25)

現在アメリカでは国民の3分の2が4年制大学の学位を持たず、日本でも大学への進学率は約半数となっている。

「私たちは、社会で生きる大半の人が、大学の学位を持たない事実を思い出す必要がある。私は、大学を“能力主義によって人々を選別する機械”にすべきではないと考えます。それは学位を持たない人を除外するだけでなく、大学教育があるべき姿を誤解させることにつながるからです。

本来、大学教育は教え、学ぶ場所であり、生徒にとって発見の時間であるべきです。自分の情熱や関心がどこにあるのか、知的関心をどこに向かわせるのかを発見する場所なのです」

世間には、大学の学位を持たず成功を得られない人もいる。そういった人々について、サンデル教授はどのようなメッセージを伝えるべきだと考えているのか。

「私ならこう言うでしょう。誰もが社会に貢献する何らかの力を持っています。そして社会に住む全ての人は、誰かの労働による社会貢献に頼っている。その貢献の対価が多すぎるウォール街の銀行家でも、あるいはみんなの生活をより良くする単純な仕事であっても、私たち全員にとって、生活を生きがいのあるものにしてくれる、貴重で重要な貢献なのです」

◆パンデミックによって“労働の尊厳”に光が当たった側面も

誰もが社会に貢献できる何かを持っている。サンデル教授はこの“労働の尊厳”について、著書でこのように言及する。

<両極化が深刻になっている現代、大勢の働く人びとが無視され、過小評価されていると感じ、社会的な結束と連帯の源が何より必要とされている>

<だとすれば、労働の尊厳についてのこうした確固たる概念が政治的議論の中心に据えられてもよさそうなものだ>P.301)

はからずも、パンデミックによって“労働の尊厳”に光が当たった側面もあるという。

「パンデミックが始まった当初、私たちは社会に生きるみんなが同じ境遇にあると思っていましたが、徐々に、コロナの危機を同じかたちでは経験していないことが明らかになりました。家でリモートワークができる恵まれた人々は、普段私たちが見落としがちな仕事をする人々に、どれだけ深く依存しているかを理解し始めたのです。

コロナの治療にあたる医療従事者たちだけでなく、配達員や、倉庫で働く人々、トラックの運転手、保育士…。彼らには高い報酬が支払われておらず、社会では評価が低い。ところがいまでは“エッセンシャルワーカー”(必要不可欠な労働者)と呼ばれています。

この点において、経済的な不平等のみが問題なのではありません。この数十年の間に広がっている不平等と共に、成功に対する考え方の変化も起きています。(エリート層は)苦しんでいる人々を見下している。そして見下されていると感じた人々は、社会から疎外されて、力を奪われ、自分たちの貢献に意味がないと思ってしまうのです」

こうした貧困層の鬱憤が爆発したのは2016年。ポピュリストともいわれる、米国第一主義を唱えたドナルド・トランプ大統領の誕生だった。この当選を、サンデル教授は“人々の怒り”の体現だと著書で語る。

<イギリスにおけるブレグジット(EU離脱)の勝利と同様に、2016年のドナルド・トランプの当選は、数十年に渡って高まり続ける不平等と、頂点に立つ人びとには利益をもたらす一方で一般市民には無力感を味わわせるだけのグローバリゼーションに対する怒りの評決だったのだ>(P.29)

「私が心配しているのは、2016年にドナルド・トランプ氏の大統領当選を可能にした怒りや恨みです。ジョー・バイデン氏が大統領になったいまも、その怒りや恨みは根強く残っています。

その怒りはトランプ氏の選挙だけでなく、アメリカ連邦議会の占拠をも引き起こしました。これがここ数年の“怒りの政治”が私たちにもたらしたもの。私が新しい本で挑戦しているのは、この状態から何かを導き出すことです。

なぜ怒りで両極化した現在の状態になってしまったのか。エリートたち――ここ数十年の間に国を支配して利益を得た人々――が、社会で起きている何かを見逃しているせいなのかもしれないと思うのです」

「キング牧師は、こういいました。全ての労働には尊厳が必要であると」。エリートたちが見逃す何かのヒントとして、キング牧師の発言を引用するサンデル教授。

公民権運動の指導者であったキング牧師は暗殺される1ヶ月前、黒人清掃員のストライキ支援のために<考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は医者と同じくらい大切です><どんな労働にも尊厳があります>とスピーチをしていたのだ。

「キング牧師がストライキをする清掃員たちに対して語ったことには、重要な見識がありました。キング牧師は給料だけでなく、尊厳も重要であると理解していました。そして労働の尊厳を得るためには、高い給料が支払われていなくとも、公益に貢献する仕事として社会の誰もがその価値を認め、尊敬し、感謝することが必要です。

私たちはみな、お互いに頼り、頼られる生活をしています。公共の生活のために不可欠なものは、物理的な基本的必需品だけではなく、敬意を表すこと、尊厳、誇り。そして民主主義においては、公平な市民としての発言と尊重も必要なのです。

人々に感謝することは経済と関係ないと言う人もいるでしょう。それはその通りで、メッセージや拍手だけでは不十分です。その感謝の気持ちを具体化して、働く人々の生活をより良くする方法を考える必要があります」

◆“謙虚さ”が、より良く、より深い社会的関係への扉を開ける

サンデル教授は自身の著書にて、これらのメッセージを社会のエリート層に向けて発信しているのだという。

「世界中で“労働の尊厳”の重要性を忘れている人が多すぎる。多くの働く人々が、エリートたちから見下されていると感じる理由です。エリートたちは、全てを自分たちが成し遂げたというような傲慢な態度になってはいけません。人生における“運の役割”を認めることから来る“謙虚さ”を持つべきなのです。

私のメッセージは主にエリートや政治家に向けられたもの。不平等が増え続けている私たちの社会の問題の大部分は、エリートや政治家が苦しんでいる人々の声をしっかりと聞かないことに由来します」

トップに立った者たちが、自身の成功を努力によるものだと考え、市場からもたらされる富にふさわしいと考える。マイケル・サンデル氏はこれを“能力主義の横暴”と定義する。

「自分自身に聞いてみてください。貧しい人は努力が足りなかったから苦しんでいるのでしょうか。それとも私たちがこの数十年間で作り上げた経済のせいで苦しんでいるのでしょうか。エリートや政治家にとっては、この質問を自分に問うことが重要なのです。

少し成功すると、それが自分たちの功績だと考える誘惑に駆られてしまう。一見、私たちは自身の努力が成功をもたらしたと考えますが、それは間違いです。運を忘れ、恵まれていることを忘れ、成功を支えてくれた人々に頼ったことすらも忘れているのです。

人生においての“運の役割”を忘れず、それに伴う“謙虚さ”を忘れない。この謙虚さが、私たちにより良く、より深い社会的関係への扉を開けてくれます」

人生の成果は努力ではなく運――例えば生まれながらに持つ環境――によってもたらされるというサンデル教授。人々が謙虚に生き、分断の溝が埋まった先に、どのような未来を見ているのか。

「私の持つ希望は、このパンデミックの経験で促進されるかもしれませんが、私たちはお互いがいてはじめて生活が成り立つことを認識すべきです。その認識が、公益のための新しい政治――最近数十年の分断や不平等を癒そうと挑戦する政治――をもたらします。それが起きるかどうかは、まさに私たち次第。でもこれは、私の将来に向けての希望です」

努力して成功を掴む。その象徴として良いクルマに乗り、良い家に住みたいといった欲求を持つ人が多かった時代とは違い、現代の若者たちの中には物欲やお金に左右されない価値観を持つ人も少なくない。サンデル教授は、そんな若者たちについてどう考えているのだろうか?

「私が若い世代について最も感銘を受けるのは、彼らと対話やディスカッション、講義をする中で感じる、“彼らの聞こうとする姿勢”です。聞くという行為は市民としての素晴らしい美徳のひとつ。単に“聞く”のではなく、他の人の意見の裏にある良識や道理、信念、希望を聞くこと。特に、同意しない意見に耳を傾けることです。

私にとって最大の希望の源は、政治家の発言や、政党のやることではなく、若い世代とディスカッションをできること。若者たちとの対話が、私に民主主義への希望、ひいては公益のための新しい政治の訪れへの希望を与えてくれるのです」

<構成:森ユースケ>

※関連情報:『未来をここからプロジェクト

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