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別所哲也が語る、ハリウッド映画の驚きの待遇!日本では考えられない支援態勢

慶應義塾大学時代、英語劇サークルに出会ったことがきっかけで俳優を志し、今や俳優としてだけでなく、ラジオナビゲーター、キャスター、「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」主宰など、さまざまな顔を持ち、英語が堪能なことでも知られる別所哲也さん。

28年前、デビュー間もない頃に、日米合作映画『クライシス2050』のオーディションに応募して合格。今では日本人俳優が海外作品に出演するのも珍しくはないが、ハリウッドで映画デビューを飾った別所さんは、その先駆けだった。

クライシス2050

◆ハリウッド映画の驚きの待遇とは

-芸能生活30年以上になるんですね-
「そうなんです。20歳のときにやったミュージカル『ファンタスティックス』から数えれば、もう32年。本当に長いですよ。気が付けば(笑)」

-慶應義塾大学在学中にミュージカルの舞台に出て、映像の仕事はハリウッドデビュー、すごいですよね-
「それまで色々なオーディションを受けていたのですが、『やっと自分にもチャンスがめぐってきた』と気持ちが高ぶったのをおぼえています。留学経験も海外旅行に行ったこともなくて、23歳にして映画の撮影で初めて行ったハリウッドが初めての海外だったので、何もかもが驚きでした」

-アメリカでの準備期間はどのくらいでした?-
「4ヵ月くらいかかりましたかね。最初の2ヵ月はとにかく何もわからず色んなことに右往左往。生活に慣れる、運転免許を現地で取る、生活に慣れながら英語を聞く耳が開いていくまでの時間で、その2カ月後くらいから4か月目くらいまでが、演技の学校に行ったり、現地のダイアローグコーチについて、英語をもう1回、セリフを中心に勉強し直すという感じで、撮影に入るまで半年以上。

もともと早く入ってるんですね。現場はもちろん撮影が始まってるんですけど、撮影現場を見に行って勉強したり、見学したり…僕はド新人ですから、そういうところから始めて。僕のシーンを撮るまでに間に合わせるために、猛特訓というか、猛レッスンでした」

-生活の費用などは全部映画会社持ちだったんですか-
「はい。最初は日本から行ったプロデューサーの家でちょっと暮らして、そのあとはひとり暮らし。コンドミニアムを借りていただいて、そこでひとりで演技だとかセリフの勉強もあるし、ライフスタイルもあるだろうからというので、車も一台借りて、完全にそこでひとり暮らし」

-個人的に必要な物を買うお金などは持ち出しですか?-
「これがですね、当時10万ドルいただいたんです。1ドルが140円ぐらいだったので、約1400万円。まずその半額が当時所属していた事務所に入って、そこからいくばくか支度金というか、いつでも使えるようにと渡されていました。

それに撮影中は日当が出るんですよ、あちらは。日常生活分も日当が、45ドルぐらい出てました、ずっと。それと撮影期間中及びその準備のための、俳優がセリフを勉強したり、英語の準備をしたり…。

向こうの俳優さんは役柄に合わせてからだを作ったりするじゃないですか、太ったり、痩せたりしますよね。そういうことのためのコストは全部プロダクション持ち。制作会社が持つんですよ」

-日本では考えられない支援態勢ですね。お金の心配もなく、仕事に没頭できるという-
「そうです。そこは本当にすごかったですね」

-そして撮影が始まって、いかがでした?-
「やっぱり緊張しました。初めての映画撮影だったし、初めてのハリウッドで、やり方も違うわけですよ。『ローリング』と言ってカメラが回り始めてから『アクション』と言うまでが非常に長くて、そのあいだ中、ずっと撮っていたり、『カット』と言っても撮っていたり、マスターのカメラが回っていながら、Aカメ、Bカメ…いくつかのカメラが回っている。

日本だと当時はフィルムのカメラ1台で切り返して、撮っていたので、カット割りを精巧に決めてやっていくということが多かったんですけど、僕はそういった経験もないわけですよ。日本の体験もないから。デビューがハリウッドなので。だから、あとあと違いを知るという感じでした」

※別所哲也プロフィル
1965年8月31日生まれ。静岡県島田市出身。慶應義塾大学法学部卒。1990年、日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビュー。米国映画俳優組合(SAG)メンバーとなる。その後、映画・TV・舞台・ラジオ等で幅広く活躍中。1999年より、日本発の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル」を主宰し、文化庁文化発信部門長官表彰受賞。内閣府「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選出。今年20周年を迎える。

◆ハリウッドで妻と運命の出会い

-奥様との出会いはハリウッドデビュー作だそうですね-
「そうです。その映画の身元引受人というか、現地の後見人みたいなホストファミリー。僕はそこに住んでたわけじゃないんですけど、和食が食べたいとか、風邪をひいたりしたときにお医者さんがわからないだとか、そういう時に訪ねなさいと言われていた家庭の娘さんだったんです」

-そのときにはお付き合いするとか将来結婚することになるという予感は?-
「そのときは僕も映画に出るためにものすごく緊張して行ってるし、彼女もまだUCLAの学生でしたしね。可愛い子だなとは思っていましたけど、ホストファミリーの娘さんですし、チラッチラッとしか会わなかったので、そんなに意識する時間がなくて、むしろ意識が始まったのは、彼女が大学を卒業して日本に来て、日本の企業に就職して働き出してからですかね」

-奥様の別所さんに対する印象はどうだったのでしょうね-
「どうなんですかね(笑)。うちの妻はずっと僕と結婚したかったと言ってますけど…。『あなたが鈍感だった』とか『私は逆にラブコールをしたつもり』とよく言われましたね。

ただ、お互いメチャクチャ忙しくて、彼女もある不動産会社でバブルが終わった後もプライベートジェットに乗って、海外のコンドミニアムを視察に行くとか、そういう仕事を社長秘書としてやっていたみたいな時期があったり、Jリーグが立ち上がって、サッカーがワーッと盛り上がったときにスポーツエージェントの国際契約をやっていたりして飛び回っていましたからね。

だからお互いに連絡しあったり、ちょっとした合間にご飯を食べたりする関係で、気がつけば、もう30代半ば。40になっていくという頃だったんですよね(笑)」

-ずっと良い友人だったのが、恋愛関係に変わるときというのは何がきっかけだったんですか?-
「これが僕も不思議なんですけど、映画『恋人たちの予感』の世界ですよ(笑)。男と女に友情はあるのか…みたいな。実際僕らはお互いに全然違う形の恋愛をしていたのを知っていましたからね。だから、そういうことを知っていながら、最終的に色んなことを打ち明けたり…。

たとえば僕の場合はですよ、ひとり旅が大好きで、時間があるとニューヨークに行ってブロードウェイの舞台を見たりだとか、ロンドンに行ったりとかしていたんですよ。それで37歳か38歳ぐらいのときに、ひとり旅をしているんだけど、おいしい物を食べると、今の妻に『これおいしい』というのを伝えたいとか、『一緒に食べたいな』と思い浮かぶ人が彼女だったんですよ。自分の体験していることを分かち合いたいと思うようになって」

-それで奥様に告白したんですか-
「そうです。彼女には『もう私はずっとその感じだった』みたいなことを言われました。僕は独身主義というか、あまり縛られたくなくて、『結婚してどうなるの?面白いの?』みたいなところが30代はずっとあって…。40になる手前ぐらいだったので、晩婚だったし、結婚すること自体が表現者として、ひょっとしてハングリーじゃなくなったり、色んなことが失われるんじゃないかという恐怖を持っていたんですけど、まったく逆だなと思いました。むしろ今はプラスというか、新しい発見があって、子どもの感性を見ることで、自分なりの表現の仕方とか、考え方、感じることが変わってくるので、やっぱり良いなと思いました」

◆待望のまな娘が誕生するもネガティブな宣告が…

2009年に奥様と結婚、長女が誕生するが、体重はわずか1169g。医師からは「1週間命が持たなかったら、それがこの子の命の長さだったと思ってください」と宣告され、生後3ヵ月間はNICU(新生児集中治療室)で過ごすことになったという。

-お嬢さんがお生まれになったときは大変でしたね-
「そうですね。娘が生まれたときに大変だったから、色んな意味で、妻も僕自身も、どんなことがあっても、命と向き合って行くというか、そのときもそうとういわれましたからね、僕ら。

多分27週、28週目に入るときに生まれちゃったから、極端に言うと視力がないかもしれない、1歳過ぎても突然死してしまう確率がこれぐらいとか、もう本当にネガティブなことをたくさん。『実際、事実としてあるんですよ』って言われて…。

それでもやっぱり強く娘が育っていく姿を見てきて、気がつけばもう8歳。今はもう飛び回っているので、これもありがたいと感謝していますね。同じような境遇でNCIUというか集中治療室にいた子のなかには、天国に逝ってしまった子もいるので」

-お嬢さんが3歳になったときに披露宴をされたというのも別所さんらしいなという感じがしました-
「あまり大々的にやるつもりはなかったんですけどね。妻のために結婚式、色々バタバタしていてやれなかったんだけど、何か2人の記念の時間と写真を撮っておきたいねというのがスタートで。

でも、だんだん計画していくうちに、みんなに心配かけたので、お礼を言いたい人もいるし、娘がこんなに大きくなって、そういう人たちへのご報告というのもあってやりました。娘もドレスアップして本当にうれしそうでした」

家は自分が無防備でいられる究極の休息の場と話し、忙しい時間の合間に少しでも時間があくと、自宅に帰って家族と過ごすという別所さん。ご家族の話をする幸せそうな表情は見ているだけで心が温まる。次回後編では、20年目を迎える「ショートショート フィルムフェスティバル」、ジョージ・ルーカス監督との秘話、ネットでも話題の「別所ダンス」、保護犬ハナちゃんとの出会いを紹介。(津島令子)

※「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2018」
6月4日(月曜日)~6月24日(日曜日)
公式HP:http://www.shortshorts.org/2018/
お問い合わせ 03(5474)8844

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