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加藤雅也、パリコレモデルから俳優へ。順調なキャリア歩むなか、突然単身で渡米した理由

©テレビ朝日

男性ファッション誌『MEN’S NON-NO(メンズノンノ)』創刊号のファッションモデルをつとめ、183cmの長身に端正なルックスで一躍人気モデルとなった加藤雅也さん。

パリコレにも出演するが、俳優の道へ進み、1988年、映画『マリリンに逢いたい』で主演デビュー。二枚目俳優として、テレビ、映画に多数出演して人気絶頂の1995年、単身渡米してハリウッド俳優にも挑戦し、約7年間、アメリカをベースに活動。

2002年に帰国し、映画、ドラマ、ラジオ、舞台に多数出演。昨年、俳優生活30周年を迎え、9月6日(金)には主演映画『影に抱かれて眠れ』の公開も控えている加藤雅也さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆パリコレにも出演するが、モデルに限界を感じて…

横浜国立大学教育学部を卒業し、教員免許(小学校教員免許、中学校・高校保健体育教員免許)も取得している加藤さん。教えることに興味があったというが…。

「教師というのは、あまり縦社会が強くないのかなと思ったんですよね。もうちょっと自由に、やりたいように教えていけるのかなと思ったんですけど、実際に教育実習に行ったときに意外に保守的だということがわかって、『これは俺が行く世界ではないな』って」

-教育実習にも行かれたのですね-

「行きました。4年生のときに、横浜国大の附属鎌倉中学校と小学校に行って、教員免許も取ったんですけどね」

-その頃はもうモデルもされていたのでは?-

「スカウトされたのは3年生のときでした。そのときは今のうちに大学の単位を取ってしまおうとできるだけ学業に励み、実質的にいろんなことをやり始めたのは4年生からですね。でも、ファッション誌を飾るとか、そういうことじゃなく、チラシのモデルをやるぐらいで、特に目立つこともありませんでした」

-大学を卒業してモデルを本格的にされることに?-

「大学を卒業するときに『メンズノンノ』の創刊号が決まったので、やるという決断をしたけど、決まってなければ微妙でしたね。地道な努力と運が重なり専属モデルに選ばれましたが、自分がその時代に合っているか合ってないかということがすごく大きなポイントになってくる。それはずっと考えていましたね」

-ご両親は何かおっしゃっていました?-

「母はやっぱり心配していましたね。父は、『好きなことをやればいいじゃないか。何か問題にぶつかったときにそれなりの判断をすれば、今までやってきたことは無駄じゃないし』って、思った以上に理解がありました」

-『メンズノンノ』が出てすごい人気になりましたが、ご本人としてはいかがでした?-

「あまりその実感はないですね。僕は『メンズノンノ』をやったら、次はファッションショーだと考えていたので、ずっと続けようというつもりはありませんでした。

『メンズノンノ』はどちらかというと、可愛い男の子みたいなのがコンセプトなので、1年ぐらいでほぼレギュラー的なものはなくなりました。女の子から見て、かわいいっていう男の子が欲しいわけです。でも、心のどこかで、次はファッションショーだっていう思いがあったので、そっちに行ったという感じです」

-パリコレにも出演されましたが俳優に-

「限界を感じたということですよ。当時の海外の一流のモデルは190cmぐらいあるギリシャ彫刻みたいな圧倒的な体型でした。モデルとして服が大きくて着られない、それは対等に勝負できないということで、自分のなかでは限界だなって思いました。

じゃあ何か考えないと、一生やっていける仕事にはならないって思ったんですよね。というのは、選ばれなければ、そして選ばれる条件を満たしていなければ、厳しいじゃないですか。

日本だけでやっていくという選択肢もあったでしょうけど、やっぱりモデルの仕事をしていくのであれば、日本だけじゃ限界もあるし。一生涯モデルを通した人って何人いるかって言ったら、その当時はいなかったんですよね」

-常に結構先を考えて行動して-

「そうですね。3年、次は5年、8年、10年という感じで目標を決めて、目標が達成できるかどうかっていうのは自分で判断しますが、そのために常に全力を尽くしました。目標まで行けてなくても可能性があると思えれば、次に行くっていう発想はありました。

それは、例えると100mのファイナリストに残っているのなら金メダルをとれる可能性があるからやる価値はあるけど、予選落ちしているようだったら、やっていてもしょうがない。

僕らの仕事でいうと時代が要求していないし必要とされない。もしくは、その輝きを持っていない。見た目とかそういう問題じゃないし、試験を受けて頑張っていけばクリアしていくものでもない。そこはわりと冷静に見ていましたね。

それで目標を達成したら次に行くというのはいつも考えていたし、もちろん今でも考えていますよ」

※加藤雅也プロフィル
1963年4月27日生まれ。奈良県出身。1986年、『MEN’S NON-NO(メンズノンノ)』創刊号のファッションモデルをつとめ、パリコレにも出演。1988年、映画『マリリンに逢いたい』で主演デビュー。映画『帝都大戦』(1989年)、映画『BROTHER』(2001年)、ドラマ『アンフェア』シリーズ(フジテレビ系)、連続テレビ小説『まんぷく』(NHK)など多くの映画、テレビに出演。

2019年は主演映画『二階堂家物語』『彼女は夢で踊る』他2作品公開され、9月6日には最新主演映画『影に抱かれて眠れ』が公開になる。

©テレビ朝日

◆順調な俳優キャリアを進むなか、突然単身でアメリカへの挑戦…

映画で主演デビューを飾り、数多くの映画、テレビドラマに出演し、注目の若手人気俳優となった加藤さんだったが、1995年、驚きの決断をする。

-当時、いきなりアメリカ移住を決断されたことには驚かされました-

「決断というよりも、『クライングフリーマン』という映画をやった後に『来ませんか?』って、アメリカの知人から言われたので。実際のところ、あの時期に行くとは自分のなかで考えてはいませんでした。色々と準備はしていましたが、自分のなかでは早いかなっていうのはありましたね。でも、声をかけてくださったタイミングもありましたし」

-それまでそういう方がいなかったですからね。モデルのときと同じく俳優としてもいずれ海外で勝負しようという思いはずっとあったのですか-

「勝負しようと言うより、見てみたいということです。自分の知らない世界を見てみたいっていうね。『日本人にはできない、日本人は通用しない』って言われるから、『何で通用しないのかな。それはなんでだろう』って思っていただけで。

ただ、モデルは無理だって思いましたよ。だって服が大きくて。『これは無理』って(笑)。それは身体的なもので、無理だということがわかったときはすぐ撤退した方がいいって。服を着る仕事で、服のサイズが合わなかったら見込みないですよね。

今は結構みんな細くて小さいから、今だったら僕のサイズは普通なんですよ。それは時代の流れだから仕方がないよね」

-アメリカに実際に行かれてみてどうでした?-

「英語もできませんでしたが、それまでに外国の作品を3本やらせてもらいました。芝居経験もそれほどないまま何本も主役をやって、なんとかごまかしていうのが正直なところで、自分でもこのままやっていけるとは思っていませんでした。

本当の実力をつけるためにアメリカで挑戦してみたいという思いがあったんですけど、言葉は自分で思っていた以上に大変でした。

それまでにやった『クライムブローカー 仮面の誘惑』(93年)とか、『セブンスフロア』(94年)とか『クライングフリーマン』(96年)は日本語訳の台本もくれるし、自分で覚える時間もありましたし、それに、『ダメだったらアフレコしましょう』って言ってくれるなかでやるのとは全然違いました。当時の英語レベルでは太刀打ちできないということが、イヤというほどわかりました」

-オーディションも結構たくさん受けられたみたいですね-

「たくさん受けました。でも、人間の目って本物を見抜くとかなんとかって言うけれど、基本は一流ブランドの店に売っていたら大丈夫だ、って安心するのと一緒なんですよね。

『日本でスターだ』って言ったら安心して使うけど、その日本のスターが素性を隠してオーディションに行ったら、平気でパンとはねられますよ。それが実力、いわゆる世界でいう実力。だけど、そればっかりというわけでもなく、見せ方にもよることもありました」

-日本で色々な作品に出ているということを売りにして行った方が、仕事は決まると言われたりしましたね-

「まあ得ですよね。日本人は日本という看板を持って行った方が得。それは武器だから、武器を使わないのは損だと。正々堂々やったとか、そんなことじゃなくて、ハンデはハンデでもらった方がいいわけですよ」

-加藤さんが行かれたとき、日本での実績の効果はどうだったのでしょう?-

「その当時はアメリカの映画会社が日本に興味がなかったですからね。日本に興味を持つようになったのは『ラストサムライ』(2003年)以降じゃないですかね、それ以前は日本人になんて興味もないから、そこの違いですよね」

-あまり関係なかったということですか?-

「『日本で主役をやっていたからって何?』って感じで、あまり相手にされないというか。それはやっぱり野茂投手が初めてメジャーリーグに行ったとき、あまり気にもとめていなかったけど、『野茂はすごいぞ』となったら、日本で活躍している選手たちを見ようってなりましたよね。

今まで相手にしなかった人たちが見るようになるわけじゃないですか。だから、人間が何かの本質を見抜く目なんてあんまりなくて、わりとそのバックグラウンドによって影響されているものも多いなっていうのはあると思いましたね」

アメリカに活動拠点を移していた間、日本でもいくつかドラマに出演していたが、そのときだけ帰国して滞在し、撮影を済ませるとアメリカに戻るという生活。拠点を日本に戻す決意をしたのは、北野武監督の『BROTHER』(2001年)だったという。

「北野武監督が『BROTHER』でキャスティングして下さって、そのあとアメリカに帰ったときにエージェントが『BROTHERという映画を日本の監督が撮るらしいけど、子分の役のオーディションがある』って言ったんですよ。

要するに、日本では親分の役をキャスティングされているのに、アメリカだとその残り物の役しか来ない。そのときにもうダメだなって。もうこういう風にやっていても無理だし、『ラストサムライ』以降、日本にいろんなキャスティングの人たちが来ているのであれば、やっぱり全然扱いが違いますよ。

日本だったらオーディションに行っても、『もう一回やりましょうか』って、ある程度言ってくれるけど、向こうは一回見て、『はい、サンキュー』って終わり。やっぱり扱いが違うから、精神的にもアドバンテージがあるわけですよ」

-それで帰国することに?-

「それと、向こうでできた友だちが『お前は本当に何をしたいんだ?どういう人とやりたいんだ?」って聞くから、監督の名前を言ったら、『それは、つまりあなたは高いレベルのクリエイターと仕事をしたいんだろう?日本にだっているじゃないか。なぜアメリカでやる必要があるんだ?』って言うんですよ。

僕らからしたら、ハリウッドというものに憧れを抱いてるから、それがいいと思うけど、彼らからしたら、そこに価値を感じる意味があるのかと。

『日本には日本の良さもあるし、日本にだって、北野武も黒沢清もいる。そういう人たちがいるのに、なんで三流のアメリカ人と仕事をするんだ?』っていう言い方をアメリカ人がしたんですよ。それは向こうの人に言われないと気づかないけれど、そうだなって思って帰国しました」

再び日本を活動拠点にした加藤さんは、アメリカでの経験もいかし、さまざまな役柄にチャレンジ。三池崇史監督や北村龍平監督をはじめとした日本の名監督、更に海外の監督とも精力的にタッグを組んでいく。次回後編では公開間近の主演映画『影に抱かれて眠れ』の撮影裏話も紹介。(津島令子)

(C) BUGSY

※映画『影に抱かれて眠れ』
9月6日(金)より丸の内TOEI2、横浜ブルク13ほか全国順次ロードショー。
監督:和泉聖治
出演:加藤雅也/中村ゆり 松本利夫 カトウシンスケ 若旦那/AK-69

(C)2019 映画「彼女は夢で踊る」製作委員会

※映画『彼女は夢で踊る』
上映に関するお問い合わせ:http://dancingdreams.jp
監督:時川英之
出演:加藤雅也 犬飼貴丈 岡村いずみ

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