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元選手の社長、工場にフェンシング練習場を“自費”で開設。日本代表選手の輩出も

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回、修造が訪れたのは静岡県沼津市にある、わさび漬けの工場。出迎えてくれたのは、この会社の社長を務める田村儀昭さんだ。

©テレビ朝日

さっそく2階に案内された修造は、驚きの光景を目にすることになった。なんと、わさび漬け工場の上で、フェンシングをする子供達がいるのだ。ただ、よく見ると子供達の奥には、段ボールや一斗缶が置いてある。

なんと田村さん、倉庫の中に“自費”でフェンシング専用の練習場を作ったのだ。練習場の名は、その名も「タムラ道場」。選手がポイントを取ると、ランプが点灯する判定用の機械まである本格的な練習場だ。

©テレビ朝日

◆原点は、選手時代に痛感した練習環境

「オリンピック選手を生み出すことが夢」と語る田村さんの原点は、選手時代に痛感したフェンシングの練習環境にあった。

©テレビ朝日

マイナー競技であるがゆえに、練習をする場所が圧倒的に足りていなかったのだ。

オリンピック出場は叶わずに競技を引退し、父から社長業を継いだ田村さんだったが、そこで、転機が訪れた。

新しく会社の倉庫を作ることになり、なんと先代の父に内緒で、練習場を作ってしまったのだ。

「倉庫にトイレはいらないだろうっていうけど『いやいや、大切だから』とトイレをちゃんと作ったり、コンセントもそこら中で使えるようにしました。照明は倉庫にしたら、ありえないような数です」(田村さん)

©テレビ朝日

練習場が身近にあることで、フェンシングをする地元の子は続々と増えていった。

その後、田村さんは、沼津市を巻き込んでのフェンシングイベントを開催。また、毎年沼津で行われる小学生の全国大会も新しく作った。

さらに、日本フェンシング協会の太田雄貴会長にかけあい、協会と沼津市との提携にも尽力。日本代表が定期的に沼津に来て、ジュニア向けの教室を開くなど、沼津は日本のフェンシング界にとって重要な拠点となっていった。

©テレビ朝日

そして、田村さんの夢の実現は近付いている。「タムラ道場」の生徒の1人、鈴木穂波選手が日本代表に選出されたのだ。

わさび漬け工場からオリンピック選手誕生へ――夢物語は、まさに東京2020へとつながっている。<制作:TOKYO応援宣言>

©テレビ朝日

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

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