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オリンピックおじさん、応援にハマったきっかけは“勘違い”。 「日本選手だと思ったら…」

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

新年を迎え、修造がぜひ会いたいと切望したのは、オリンピックおじさんこと山田直稔さん(92歳)。

©TOKYO応援宣言

山田さんは、1964年の東京大会から14大会連続で、現地で応援を続けている。

日本がボイコットして不参加だった1980年のモスクワ大会も、駐日ソ連大使館を24回も訪問して入国。半世紀以上にわたり、夏のオリンピックで現地の熱気を感じてきた。

©TOKYO応援宣言

◆オリンピックの応援にのめり込んだ“きっかけ”

派手な帽子や日の丸の扇子での熱心な応援姿が知られているが、ここまでのめり込むようになったのは、大きな“勘違い”がきっかけだった。

1968年のメキシコシティー五輪、陸上男子10000m決勝。

観客席を飛び出し、グランドまで下りていき「頑張れ!頑張れ!」と日本選手が近づくたびに声を張り上げた。

しかし、山田さんが日本人だと思っていた選手は、なんとメキシコ人だった。

「間違えちゃったんだよ。日本の選手だと思ったら、メキシコの選手だったんだよ!」(山田さん)

ところが、おじさんの応援に呼応してメキシコの選手が奮い立ち、どんどん前の選手たちを追い抜いて行く。

すると13万人のメキシコの観客たちも総立ちになり、お返しに「ハポン(日本)!ハポン(日本)!」と日本を応援し始めた。

©TOKYO応援宣言

「本当に、人間が地球上に生きている喜びをその時に感じたんだよ」(山田さん)

この出来事がきっかけで、山田さんは世界中の人との交流こそがオリンピックの醍醐味だと気づいた。

それ以来、現地に行くと必ず、ビニール袋に日本の切手と五円玉を入れ「ジャパニーズ ハッピーコイン プレゼント」と出会う人たちにひとつずつ渡している。

©TOKYO応援宣言

「みんな幸せになりたい。その“幸せ”というものはたくさんの人を喜ばせた人が幸せになるんだよ」(山田さん)

「みんなが笑顔になれば、みんな幸せになる。幸せが一番集まるところがオリンピックなのかもしれないですね」(修造)

そんな山田さんのできる宣言は「世界中の人を喜ばせ、笑顔にし、幸せにする!」。

修造は、“オリンピックおじさん”の幸せな応援の心に触れ、2020年東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げていこうと改めて決意した。

©TOKYO応援宣言

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系