100回の落選を経て夢を叶えた。“校内AKB禁止”にさせるほどアイドルに憧れた少女<間島和奏>
現在、どれだけのアイドルが日本に存在するのかを断定するのは難しいが、“売れているアイドル“と定義できる存在となると、その数はぐっと減る。
例えば、武道館での単独コンサート開催を目標とするアイドルは少なくないが、実際にその地に立てた女性アイドルは、AKB48やももいろクローバーZをはじめとして、これまで30グループに満たない。
◆“アイドル”と一口では言えない
さらに近年の傾向として、HKT48からデビューした宮脇咲良(※現在はIZ*ONEに専念)に代表される「アイドルの掛け持ち」や「アイドルの転職」、「アイドルの再チャレンジ」も活発化しており、一口でアイドルと言ってもそのキャリアは多様化を極めている。
テレビ番組『ラストアイドル』から生まれたグループ「Someday Somewhere」のメンバーである間島和奏(まじま・わかな)も、多様化するアイドルキャリアの事例に当てはまるひとりだ。
彼女は、かつて100以上のオーディションに落選し続けたが、同番組をきっかけにアイドルとして本格的にデビュー。チャレンジに次ぐチャレンジを続け、アイドルの座を手に入れた一人だ。
だが、間島にはかつて、アイドルに“なりかけていた”時期があった。
だからこそ、現在の立たされているステージとのギャップの大きさを強く感じているという。
今や、アイドルは<アイドル>と一口では言えない。その言葉の裏に隠された幅の広さとは――。
◆校内で「AKB48禁止令」が出されるまで
2000年4月、北海道に生まれた間島和奏は、幼少期から踊ることが好きで、ダンスを始めた時期も早かった。
「でも周りの子たちに比べると、実力も追いついてなくて。正直、私なんて…って思うこともありました。ただ、負けず嫌いというか、辞めたら自分に負けた感じになるので、それがイヤで続けていました」
こうして、ただ踊ることを楽しんでいたなか、小学校3年生のときに転機が訪れた。あるアイドルグループの楽曲が、北海道の片隅に住む少女の人生を決めたのだ。
「シングル『ヘビーローテーション』からAKB48さんにドハマリしたんです。学校の友だち5人くらいで集まって、休み時間は教室でいつもダンスのマネをしてました。いちばん好きだったのは、前田敦子さんです」
AKB48に憧れた少女たちが、学校でダンスを踊る。――当時、全国のあちこちで同じ現象が起こっていたのは想像に難くない。しかし、程なくしてこんなハプニングが起きたという。
「休み時間になると、いつも教室の後ろのほうでAKBさんを歌って踊ってたんですけど、男子たちから『うるさいから他の遊びができない』って苦情が出て、クラス全体の話し合いになったことがあって(笑)。結局、放課後まで教室でAKBさんを歌うのは禁止になっちゃいました」
◆オーディションを受けて落ち続ける日々
ダンスをやっていたこともあり、北海道の小学校ではクラスでも人気者のほうだったという間島だが、6年生で東京に引っ越すと、状況は一変した。
「クラスの半数以上が中学受験をする学校で、アイドルの話をできる雰囲気なんて全然ありませんでした」
北海道にいた頃のように、一緒にダンスを踊る友だちはいない。
そんな“隠れキリシタン”のように息をひそめる生活をしながらも、間島のアイドルに憧れる気持ちは変わらなかった。
「モーニング娘。さんとか、いろんな事務所のオーディションを片っ端から受けました。全部合わせたら100は余裕で超えると思います」
オーディションに落選する日々が続くなか、一筋の希望が差し込んだ。2013年、「AKB48グループのドラフト会議」が開催。オーディションで選ばれたドラフト候補生たちを、48グループの各チームリーダーたちが指名していくイベントだ。
このドラフト会議で、間島は見事最終候補に残った。ここで選ばれ、晴れて48グループの一員に……とはいかなかった。
このドラフト会議で指名されたSKE48の惣田紗莉渚は、後にAKB48選抜総選挙で8位にランクイン。その他、AKB48の川本紗矢が次世代エースとして活躍するなど、かつて“同期”だったメンバーたちは次々と飛躍していった。
その姿を、間島はどう見ていたのか。
「……めちゃめちゃ悔しかったです。落選した後は、しばらくはテレビでもネットでも、AKBさんを見られなかったくらい。親の前では毎日泣いてました」
そこからもオーディションを受け続けるも、結果は出ない。ついに高校2年になり、アイドルを諦めて将来のために受験勉強に専念するのか、決断するときがやってきた。
「これでダメだったら、受験勉強に専念しよう。親とそう約束して挑んだのが『ラストアイドル』でした。切羽詰まった時期だったし、一度バトルに勝ってもデビューできるって決まっていなかったので、毎日心が削られている感じでした」
◆「ステージに上ってパフォーマンスする妄想が現実になった」
この番組で一時は暫定メンバーの座を勝ち取り、夢を叶えたかと思った間島だったが、それも束の間、別のバトルで敗れてしまう。後に敗退したメンバーも含めセカンドユニットが結成されるが、その企画も一時は断ってしまったほど、心が弱っていた。
しかし、それでも諦められない。
間島にそう思わせたのは、一時、暫定メンバーとしてパフォーマンスした経験があったからだ。
「やっぱり、テレビでパフォーマンスしたときの楽しさが忘れられない。仮のメンバーとしてでも、“自分のために作られた曲”を歌える喜びが忘れられなかったんです。いままでずっと思い描いていた、ステージに上ってパフォーマンスする“妄想”が現実になったから」
そこから、セカンドユニット「Someday Somewhere」のメンバーとして活動を開始。自身が憧れていたAKB48のプロデューサー・秋元康などの手がけた楽曲を歌う機会を得て、夢を叶えていくこととなった。
かつて、校内で“AKB禁止“を言い渡された原因をつくった彼女は、AKB48の生みの親である秋元康の歌詞に乗せて、堂々とダンスを踊れるようになったのだ。
しかも、ステージで歌って踊るという妄想が現実になる、という最高の形で。
この現実を、彼女はどう見ているのか。
「デビューできた時点で夢が叶っているんですけど、もう毎日が楽しいです。やっぱりいちばん楽しいのは、ファンの方の前でパフォーマンスするとき。ZeppTokyoなどの大きなステージに立って、今までは全部妄想、自己満足だったのに、いまは自分が踊ることを楽しんでくださる方がいる。最初はちょっと慣れなかったけど、いまは本当に幸せです」
想いが伝わった瞬間の喜びは、代えがたいものがある。そう感じた彼女は、たった1年で人生が一変したのである。
アイドルと一口では言えない。その背景が、彼女の半生を振り返ると少しだけ感じられるのではないだろうか。
◇
間島は、2019年1月公開の映画『がっこうぐらし!』の撮影も経験し、演技の仕事も勉強中だ。
「女優のお仕事にも興味があるので、オーディションのお話があったときも、絶対に受かりたい!って思って練習しました。ステージでのパフォーマンスと違って、大きく動かないと感情が伝わらなかったり、カメラの位置を気にしたり、慣れないことばっかりだったんですけど、すごく良い勉強になりました。泣き叫ぶ場面より、ふつうに話すシーンのほうが難しいんです。この経験をアイドルとしての表現力に活かして、良いパフォーマンスをできるように頑張りたいです」
<撮影:長谷英史、取材・文:森祐介>
※間島和奏(まじま・わかな)プロフィール
2000年4月、北海道生まれ。AKB48に憧れて、100以上のオーディションを受けながらすべて落選。最後の望みで『ラストアイドル』に出演し、アイドルデビュー。3rdシングル『好きで好きでしょうがない』でセンターを務め、2019年1月公開の映画『がっこうぐらし!』ではメインキャストを務める。実行委員会を努めた文化祭当日に骨折するなど、重要な場面で骨折することが多いため、毎日ヨーグルト飲料を飲んでいる。
※映画『がっこうぐらし』
2019年1月25日全国公開。原作は、海法紀光(ニトロプラス)と千葉サドルによる同名のコミックで、学園で共同生活を送る4人の女子高生の日常と生き残りをかけたサバイバルホラーの非日常を描いた、大人気作。コミックの累計発行部数は250万部を超え、TVアニメも圧倒的な人気を誇る。実写化にともない、『呪怨』シリーズのプロデューサーと『リアル鬼ごっこ』の柴田一成監督がタッグを組んだ。『ラストアイドル』からオーディションによって選出された阿部菜々実・長月翠・間島和奏・清原梨央の4名が、メインキャスト
※番組情報:ラストアイドル4thシーズン『ラスアイ、よろしく!』
【毎週土曜】深夜0:10~0:35、テレビ朝日系(※一部地域を除く)