「人生をかけて戦う」プロ転向に込めた神野大地の覚悟【福岡国際マラソン2018File】
「僕の力では東京五輪は難しいと感じていました」――11月、宮崎。神野大地は苦悩の日々をそう振り返った。
2015年の箱根駅伝。いまでも鮮明に記憶に残っている人も多いだろう。いまや常勝軍団となった青山学院大学が初優勝を決めたその年、山の5区を驚異的な走りで駆け上がり、“山の神”として脚光を浴びたのが神野大地だった。翌年の箱根でも5区を任され連覇に貢献。今なお続く青学フィーバーの礎を築いた。
しかし大学卒業後、初マラソンとなった2017年12月の福岡国際マラソンでは、大きな注目を集めるも13位に終わってしまう。さらに今年2月の東京マラソン。自己ベストを更新するも2時間10分台と振るわず、順位も18位と周囲の期待に応えることは出来なかった。
東京五輪を目標としながら、突きつけられた厳しい現実にひと目も憚らず流した涙。そこに、箱根駅伝で輝きを放った男の姿はなかった。
その後、そんな不甲斐ない現状を打破するために…。神野は人生をかけた大胆な決断を下すことになる。
「僕にとってのマラソンは、人生のすべて。東京五輪を目標にしてマラソンに取り組んでいるし、後悔のない陸上人生を送りたいという思いがあったので、実業団という安定した道を捨てて、最大限の挑戦をしたいという思いでプロ転向を決意しました」
自分に特化した練習を行うために、全く収入が約束されないプロの道を選んだのだ。
◆ケニアで目の当たりにした、陸上大国たる所以
そして今年4月、神野が新たな活路を求めて飛び込んだのがケニアだった。9月に世界新記録をたたき出したキプチョゲなど、トップランナーが揃うマラソン大国だ。
そこで神野は、ケニアの強さの理由を目の当たりにする。
「外に出れば必ずランナーがいるっていうような状況。結果を出してお金を稼ぐ、そのいつかのためにみんな毎日すごい練習を頑張ってて、人生をかけて走っているという感じ。僕以上にケニアの選手はいくら練習しても試合に出られる保証もないですし、ここで練習してたらそりゃ強くなるだろうなっていうのを感じました」
プロという茨の道を選んだ神野にとって、ハングリー精神に満ち溢れたケニアの環境はうってつけだった。本番のレースさながらの練習が続き、最初は置いていかれることも多かったが、必死に食らいつく毎日。すると、2ヶ月にも及んだ合宿の中でケニア人の走りを観察するうちに、神野の走りにはある変化が生じていた。
「ケニア人選手を見て吸収しよう吸収しようと思って走っていたら、全体に大きく振っていた腕振りがコンパクトに振れるようになりました」
これまで大きく腕を振っていたのが、脇を締めることでコンパクトにまとまり、ムダなエネルギーを使わない走りに進化することが出来たのだ。
◆地獄のトレーニングで身につけた“フォアフット走法”
ケニアの地で確実に成長を実感することができた神野。さらに今年、そのフォームにはもう一つ大きな進化が現れていた。トップランナーに多く見られる“つま先接地”に変わってきているのだ。
それは決して誰にも真似できるものではない。次の一歩をより早く踏み出すことが出来る一方で、足への負担は大きく、実現するためには強靭な筋力を必要とするからだ。しかし、神野は想像を絶するトレーニングによって己のものにしていた。
それが、神野が社会人になってから続けているレイヤートレーニングと呼ばれる練習だ。4種類のスクワットを山のように積み重ねる独自の特訓だが、なんとマラソンを1回走るほどの負担がかかると言われている。
昨年までは1セットで音を上げていた神野だが、現在では両手に8kgの重りも追加して3セットをこなせるほどの強靭な筋肉を手にしている。さらに瞬発トレーニングと呼ばれる練習にも力を入れ、地面に着いた足をすばやく畳み、次の動作にすぐに移行させるトレーニングも続けてきた。
そうした努力が実を結び、これまでかかとから接地していたフォームが、自然とつま先接地へと変わってきているのだ。
◇
大学を卒業してから長らく絶望の淵にいた神野。だが人生をかけ、プロ転向という大胆な決断を下したことで着実な進化を遂げることが出来た。あとは結果を残すのみだ。
世間の多くはフレッシュグリーンのユニフォームに身を包んでいた栄光の時代で時が止まっているかもしれない。そんなイメージを払拭するためにも、初マラソンで苦汁をなめた福岡の地で、新たな神野大地の姿を見せつけて欲しい。<制作:Get Sports>
※番組情報:『Get Sports』
毎週日曜日夜25時10分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)
※番組情報:『福岡国際マラソン』
12月2日(日)12時00分より、テレビ朝日系列地上波にて放送