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村田雄浩、俳優人生の転機は1992年。男性同士の恋愛物語、当時の映画館がみせた反応

©テレビ朝日

主役から脇役まで幅広い役柄を演じ分け、ドラマ、映画、舞台に引っ張りだこの村田雄浩さん。19歳のときに『思えば遠くへ来たもんだ』(1980年)で映画デビューするが、日雇いの土木作業員や深夜のゲームセンターでバイトをする日々が続く。

『思えば遠くへ来たもんだ』のときには、朝までバイトした後、そのまま撮影所に行き、衣装部屋に潜り込んで寝て、時間が来たら、仲の良い衣裳さんに起こしてもらって撮影して、終わるとまた新宿でバイト。

そしてまた朝方になると撮影所に行き、たまに松竹のお風呂に入れさせてもらう…そんなことの繰り返しだったという。

◆俳優人生の転機となった2本の映画

1992年、伊丹十三監督作『ミンボーの女』と中島丈博監督作『おこげ』が公開され、村田さんは第15回日本アカデミー賞助演男優賞をはじめ、多くの賞を受賞し、俳優としての地位を確立する。

※映画『おこげ』
“おこげ”とは、男性同性愛者に付きまとう女性のこと。ゲイのカップルに魅了された女性が、さまざまな困難を経験しながら愛の形を模索していくさまを描く。

村田さんは周囲には隠しているが、男しか愛せない剛役。かつて自分たちが逢瀬を重ねるために自宅まで提供してくれた小夜子(清水美沙)が不実な夫のせいで、幼い子どもを抱えて苦労していることを知り、救いの手を差し伸べ、はたから見ると家族のような関係を築くことに。

―転機となったのは『ミンボーの女』と『おこげ』ですか―

「そうですね。それ以前はバイトしてましたもん。『おこげ』と『ミンボーの女』からですね。定期的に仕事がいただけるようになったのは。

でも、『今月は苦しいなぁ。今日は昼飯抜いておくか』とか、『あー、電気止まっちゃった』なんていうのは、30代から40代にかけてもありましたよ(笑)」

―『おこげ』は男性同士のラブシーンも衝撃的でした―

「2本ともほぼ同時期に公開されたんですけど、撮影したのは『おこげ』が先だったんです。でも、当時は男性同士の恋愛の話ということで、どこの映画館も手を出さなかったみたいです。

『ミンボーの女』が公開されて相当ヒットしたので、それでじゃあ『おこげ』もと言うことになって。最初は新宿と大阪で1館ずつ上映を始めて、それからポツポツと公開館が増えていったという感じだったんです。

でもその2本があったから賞もらえたんだと思います。全く違う役なので」

©テレビ朝日

◆伊丹十三監督の撮影現場は…

※映画『ミンボーの女』
名門ホテルを我が物顔で食い物にするヤクザとミンボー(民事介入暴力)専門の女弁護士の闘いを描く。長年ホテルを食い物にしてきたヤクザを排除することを決意した総支配人(宝田明)はミンボー専門の弁護士・まひる(宮本信子)を雇い、経理マンの鈴木(大地康雄)と採用されて間もないベルボーイの若杉(村田雄浩)をヤクザ担当に任命する。

―『ミンボーの女』もメインの役でしたが、伊丹監督はどんな方でした?―

「ものすごくしっかりとすべてが見えている人。面白いことも厳しいことも、社会情勢だったりとか、映画を撮るために政治から事件、経済的なことや文化的なこと…あらゆることをものすごくマーケティングをして、国民は何を求めているかというようなことまで考えていました。全てがわかっている方でしたね」

―絵コンテもすごいですよね―

「本当にうまいんですよ。黒澤監督の絵コンテは色たくさん使っていてすごくきれいじゃないですか。伊丹さんは全く逆で、ペン画みたいなんだけど、『これ宮本さんでしょ。これ俺だ』ってはっきりわかる。ここで何が行われてというのをちょっとした線で書いてあるんだけれども、全てがわかるんですよ。それをスタッフが配られた瞬間にすぐわかって撮影に入れる。

この人は本当に映画を撮るために生まれてきた人なんだと思いました。お父さん(伊丹万作)が大監督ですから当然その血は受け継いでらっしゃるし、宮本信子さんと言う素晴らしい宝物をどう活かすかということに命をかけたんだろうなと思います」

―撮影現場はどんな感じでした?―

「伊丹さんは相当しっかり決めている方なんだけど、芝居はわりと自由にやらせてくれて、現場で起こる化学変化を楽しんでいました。

その代わり、タバコの煙がちょっと右にそれるかどうかと言うようなことをすごく気にしていたりして、そんなもの粘られたら終わらないよっていうようなこともありましたね(笑)。

そういうことをものすごくやってみたりとか、あるいは7、8カットあるシーンなどは、伊丹さんはちゃんと絵コンテを書く人ですから大体決まってるんですけど、芝居を見てガラッと変えたこともありました。何かそこに化学変化が起きたらちゃんとそれに対応する臨機応変さを持ってらっしゃいましたね」

©テレビ朝日

◆ボウリングはプロ級、パーフェクトゲームも達成!

子どもの頃、ボウリングブームで父親によく連れて行ってもらったのがきっかけでボウリング好きになったという村田さん。

現在所有しているマイボールは6個。2012年にはパーフェクトゲーム(300点)を達成。2015年には日本ボウリング協会から日本初の名誉プロボウラーに認定された。中山律子さんにプロボウラーになることをすすめられたこともあったという。

「プロボウラーとなるとものすごくハードルが高くて、1日15ゲームを4日間で60ゲームやって、アベレージがまずは200いかないと第一関門を突破できないんですよ。体力的には多分1日30ゲームぐらい投げても平気位の体力をつけておかないとダメ。また疲れないようなテクニックを身に付けていないと多分無理ですね。

もちろん下半身もものすごくちゃんと走り込みをやって、プロ選手はさすがだなと思うようなトレーニングをやってらっしゃるんですよ。それをクリアして初めて次の段階にいけるわけで、筆記試験は当然あるし、俺には無理ですね(笑)」

―お嬢さんもやるんですか―

「やります。ずっと夫婦でやってましたから、ベビーカーの中にいるときからボウリング場には連れて行っていて、2歳位からボールを転がしてましたけど、去年初めてマイボールを作ってあげました。

やっぱり自分のボールなので、こういう風に投げたら曲がるとか、ここに行くためにはこっち側からこういう風に投げたら良いみたいなことは、いろいろ考えてるみたいですよ。

スコアが良いとか悪いとかは全然別問題で、まだ助走がちゃんとできないので球に力がなくて回転も少ないから、それほどピンは倒せませんけどね(笑)」

―奥様はご結婚されてから女優業は?―

「彼女もやるんだったら俺はやったほうが良いと思うんですけどね。共働きでちゃんと稼げたほうがいいじゃないですか。でも、それを言ったら『子どもがいるのにできるわけがないでしょう?』って言われて、『あぁ、そうっすね。すみません』て感じ(笑)」

―奥様が仕事をすることには基本的に賛成なんですね―

「多分、性格的にそういうことをやっていたほうが絶対に良いだろうなと思うので。家の中が嵐のようになってない限りは良いじゃないですか(笑)。

ちょっとぐらい汚くても、飯なんか作らなくても、いくらでも外で食べられるし、たまに何か作ってくれればね。そこそこ料理もうまいので、ちゃんとおいしいものを出してくれるし、たまに俺が炒め物でも作るという感じでやっていけばいいかなぁって。『きょうはパパが作るね』って、娘が食べていたりとかね。

コンビーフとキャベツと玉ねぎを炒めるぐらいですけど、コンビーフで味がつくから味付けもしなくて良いし、それで十分おかずになるので。俺が作るときにはそんなもんですよ(笑)。後は延々カレーをやっていたりとかね」

―今後のご予定は?―

「11月7日(水)から『セールスマンの死』の舞台公演があるので、もうすぐ稽古が始まります。主役は風間杜夫さんなんですけど、風間さんも昔から知っていて、どれだけ飲ませてもらったかわからないです。

飲み始めるとすごいんですけど、昔のつかこうへいさんの話をしてくれたりしてすごく面白い。ワクワクします。本人からじゃないと聞ける話じゃないですからね。

色々貴重な経験談を聞かせていただいてるし、飲ませてもらってもいるので、一緒に出演するときにちゃんと頑張って、風間さんに『面白かった』って言ってもらえるような芝居をすることが恩返しだと思っています」

誠実な人柄が伝わり、一度仕事をした監督、スタッフがまた仕事をしたいとオファーするのがよくわかる。夢はお嬢さんが20歳になったとき、一緒にお酒を飲むことだという。「そのためにからだを鍛え直そうと思っています」と話す表情に愛娘に対する愛があふれていた。(津島令子)

村田雄浩インタビュー、前編はこちら

※KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『セールスマンの死』
2018年11月7日(水)より 場所:KAAT 神奈川芸術劇場 <ホール>
演出:長塚圭史 出演:風間杜夫、片平なぎさ、村田雄浩ほか
お問合せ:チケットかながわ 0570-015-415(10:00~18:00)※地方公演あり