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赤井英和、絶望から救ってくれた恩人を実名告白 ボクサー引退後に芸能界で活躍するきっかけに

11月7日(金)の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では、元プロボクサーで俳優の赤井英和による授業「浪速の伝説ボクサー 生死を彷徨ったしくじり伝説!」後半戦が放送された。

アンタッチャブルの柴田英嗣がサポート役を務め、前回は学生時代のヤンチャぶりやボクシングとの出会いを振り返った赤井。

今回はプロ転向後のキャリアに潜む“しくじり”や“失踪事件の真相”、ボクシング引退後の転機などを赤裸々に語った。

◆ブームの裏で起きていた驚きの金銭事情

高校・大学でボクシング界に名を轟かせ、「オリンピックで金メダル獲ったるで!」とプロの道へ進んだ赤井。

プロデビューから12戦連続KO勝利という当時の日本記録を達成し、8戦目以降はテレビ放映までされる異例の人気ぶりで、“赤井ブーム”を巻き起こした。

しかしその裏で「ファイトマネーは0円。売りチケットのみが収入」という驚きの実態を告白。

「テレビの放映権であったり、激励賞もあったんでしょうけど、そういうのはまったく入らず」「当時は一生懸命で全然わかってなかった」と語った。

さらに「会長とともに騙されていたのか?」という問いに赤井が「会長が…」と意味深に語ると、「4畳半のジム作ってたところが、駅前にビルが建った」「ここが一番のしくじり」と振り返った。

1983年には初の世界タイトルマッチに挑戦するも、7ラウンドTKO負けで初黒星。

その後、赤井は「トレーニングをサボりだし、酒に溺れる日々」を過ごすようになったと打ち明ける。

そして、再起をかけた世界前哨戦を目前に控え、赤井は突如失踪。「モチベーションが上がらず、金銭的な不満もあった。お金の流れが全然わからない、納得いかないところがあった」と、その背景を率直に明かす。

赤井は引退届を提出し、それが世間に注目されたら全部ぶちまけてやろうと思いがあったと振り返った。

その後、後援会長の説得によりリングに戻るも、「ジムにも通わず練習もせず。会長と顔を合わせるのが嫌だったんで、コンディションもモチベーションも最悪でした」と語った赤井は、前哨戦でKO負け。

試合後、「『急性硬膜下血腫・脳挫傷』、生存率は20パーセント、術後生存率は50パーセント」と診断されるほどの重体となり、医師から「もうボクシングはできません」とドクターストップ。わずか25歳で現役を引退することになった。

◆救いの言葉をくれた恩人

引退後、「将来のことを考えることがない」「空白みたいな日が続いていた」という赤井。そんな彼を救ったのが、浪速高校の先輩でもある笑福亭鶴瓶だった。

鶴瓶の「お前の人生おもろいから本に書いたらどうや」という一言をきっかけに自叙伝を執筆。これが映画化され、主演として俳優デビューを果たす。

その後、映画新人賞を多数受賞し、俳優・タレントとして芸能界で活躍する道を切り開いた赤井。

ほかにも授業では、現役引退の引き金となった緊急手術後のリアルな心情や、初主演映画撮影の舞台裏など、赤井の命を懸けたボクシング人生が明かされた。

※番組情報:『しくじり先生 俺みたいになるな!!
ABEMA
毎月第1〜3金曜 よる9:30配信開始
第4金曜 地上波放送終了後〜
【地上波】
毎月第4週金曜 深夜0:45~深夜1:15、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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