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國村隼、井筒監督『ガキ帝国』でデビュー。時には警察から逃げ撮影していた

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。8月25日(土)に放送される同番組には、俳優・國村隼が登場する。

©BS朝日

國村隼は1955年11月16日、熊本生まれの大阪育ち。自動車のエンジニアを目指し中学卒業後に高等専門学校へ入学するが、4年生のときに中退する。

暇を持て余していた國村に声をかけてきたのは、小学校の同級生だった。「劇団のオーディションがあるから、暇つぶしに受けてみないか?」という言葉が転機となり、20歳でNHKが主催する大阪放送劇団の研究生に。アルバイトと、年2回の舞台公演の収入で食いつなぐ日々を送る。

そして、1981年に公開された映画『ガキ帝国』でスクリーンデビューを果たす。しかし、井筒和幸監督が手掛けたこの映画の制作に使える金額は、わずか500万円そのため撮影の許可申請などしておらず、人目を盗み、時には警察から逃げながら撮影したという

スクリーンデビューはしたものの、なかなか大きな仕事が来ないまま30歳を超えていた國村。新聞で見つけたハリウッド映画のオーディションに、「もしも落ちたら、その時点で役者はやめる」と覚悟を決めて臨むことに。

その結果、國村は見事合格。それがマイケル・ダグラス主演、高倉健・松田優作も出演したハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989年)だった。そこで共演者だった松田優作から「映画の楽しさ」を学び、自分も映画の世界で生きていこうと心に決める。

その後、國村は何本かの香港映画のオファーを受ける。1992年『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』では、ジョン・ウー監督や俳優のチョウ・ユンファとの映画づくりを経験。そして、2003年『キル・ビル Vol.1』ではヤクザの親分役として再びハリウッド映画に出演した。

そんな國村が海外作品に出る上で気をつけているのは「イメージ」。会話ではなく、芝居を見せることでコミュニュケーションをとり、台詞が難しい広東語などの時には「役は日本人で」「台詞も極力少なく」とオファーしているという。

また、趣味は「渓流釣り」という國村。仕事から趣味の話まで、普段見られない名脇役の素顔が詰まった貴重な1時間となっている。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2018年8月25日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日

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