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石原4兄弟、初めて4人揃ってバラエティ出演!仰天エピソードで石原家の真実に迫る

MCを務める小泉孝太郎&高嶋ちさ子が、藤森慎吾の進行のもと“華麗なる一家=プラチナファミリー”の暮らしぶりをのぞき見する『プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見』

前週に続き「4週連続3時間 火曜はプラチナな夜スペシャル」と題して、10月7日(火)までの4週間、毎週火曜に超豪華ラインナップで3時間スペシャルが放送されている。

第2夜となる9月23日(火)の放送では、スペシャルゲストに、バラエティ番組では初めて4人揃っての出演となる“石原4兄弟”を迎える。

元衆議院議員の長男・伸晃、俳優でタレントの次男・良純、現職衆議院議員の三男・宏高、そして芸術家の四男・延啓と、それぞれ異なる分野で活躍する4人が、幼少期から現在までの家族の歴史、父・慎太郎さん、叔父・裕次郎さん、そして母・典子さんとの思い出を紐解いていく。

石原4兄弟のスタジオ登場に、高嶋が「兄が延啓さんと同じ幼稚園に通っていて、幼い頃に石原家を訪れたことがある」という意外な繋がりを告白。

高嶋が典子さんから贈られたプレゼントを大切にしていたという思い出を語る。

◆父・石原慎太郎さんの素顔とは?

4兄弟の父・石原慎太郎さんは、自民党幹事長や国土交通大臣を歴任し、およそ14年間にわたり東京都知事を務めた。

慎太郎さんは大胆な発言で物議を醸す一方、300冊以上の作品を世に送り出した稀代の小説家でもあった。

特に、23歳で芥川賞を受賞した『太陽の季節』は、当時の文学界に大きな影響を与え、弟の裕次郎さんの俳優デビュー作ともなった。

番組では、慎太郎さんや4兄弟といった石原家の歴史を2つの秘蔵映像を交えながら辿っていく。

1つは、4兄弟が幼少期を過ごした神奈川県逗子市にあった“旧石原邸”。

旧石原邸は、逗子湾を一望できる絶景に建てられた邸宅で、広大な芝生の庭にそびえる、慎太郎さんが自ら設計したこだわりの詰まった住まいだ。

玄関に入ると、石原邸の象徴ともいえる吹き抜けの大階段と大理石の廊下に圧倒される。

セーリングを愛した慎太郎さんならでは、壁にはヨットの写真が飾られ、慎太郎さんが数多くの著書を執筆した寝室兼書斎、また、画家としての才能にも恵まれた慎太郎さんが制作活動に没頭していたアトリエと、それぞれの部屋には慎太郎さんの世界が広がる。

また、リビングからの素晴らしい眺めに高嶋は「こんなところに住んでみたい」と思わずため息を漏らす。

そんな旧石原邸で、11年前に慎太郎さんと良純が対談した貴重な映像も公開される。

政治家である慎太郎さんとタレントである良純という異なる立場で教育や家族について真剣に語り合うなかで、良純が「親父に褒められた記憶がない」と幼少期に父に抱いていた複雑な想いを吐露する。

そして、4兄弟がそれぞれ異なる分野で活躍する様子を見て、慎太郎さんは「ハラハラする」と言いながらも、「好きなようにやればいい、好きなようにやれる保障を色んな形で整えるのが親の責任」と言い切る。

その言葉を受けた4兄弟の反応とは?

そのほか、4兄弟が赤裸々に語る仰天エピソードから、これまで明らかにされることがなかった石原家の真実に迫っていく。

庭でキャッチボールをする息子たちを制止し突然テニスの壁打ちを始めたり、リビングで友人と語らう息子たちに「窓を拭け」と命じ友人まで掃除に参加させたりと、すべてが“自分中心”。

年末の家族旅行を初日に「飽きた」とひとりで帰宅するなど、予測不能な慎太郎さんの言動が次々と明かされる。

伸晃は、さまざまな慎太郎さんの行動を回顧しながら、慎太郎さんの行動力の原点が“(世の中への)怒り”だったのではないかと分析する。

すると、すかさず高嶋が「私の行動の原点も“怒り”なんですよ」と自身との共通点を見出し、過去に高嶋が慎太郎さんと対面した際の逸話を披露する。

また小泉が、父が総理になったとき、慎太郎さんが東京都知事就任2年目だったことを振り返り、「(石原家とは)遠戚なので今まで交流はありましたが、父と慎太郎さんは、政治家としての理念や思想は違ったと思います。ですが、(父が総理に就任した際)慎太郎さんに、都知事として強力に支援すると言ってもらえて、父はとても喜んでいた」と当時を懐かしむ。

◆叔父・裕次郎の“衝撃の事実”

国民的スターである4兄弟の叔父・裕次郎さんは、4兄弟にとっても特別な存在だった。

良純が俳優の道に進むことになったのは、裕次郎さんが大動脈瘤で倒れ、良純がその見舞いに行ったことがきっかけで、裕次郎さんゆかりのプロデューサーに誘われ映画『凶弾』(1982年)で俳優デビューする。

そして慎太郎さんが裕次郎さんの光と影を描いた回顧録である小説『弟』がベストセラーになるなど、裕次郎さんの存在が石原家に与えた影響は計り知れない。

元気だった頃の叔父を知る4兄弟で唯一の存在である伸晃と、病後の叔父を「社長」として支えた良純が、それぞれの視点でスター・裕次郎さんの素顔を語る。

そして番組では、4兄弟が思い出の地である逗子を巡る。

地元の老舗洋菓子店で思い出のケーキに舌鼓を打ち、創業当時から石原家御用達の自転車店を訪れるなど、懐かしい商店街を散策すれば、店先で交わされる気さくな会話から、これまで見せることのなかった兄弟の素顔が垣間見える。

4人でのクルージングでは、慎太郎さんの遺言に従い散骨式を行った思い出の海を進み、4兄弟にとって特別な「裕次郎灯台」を眺める。

雄大な景色を前に宏高が話し始めたのは、裕次郎さんのとある衝撃の事実で…。

◆母・典子さんの献身と家族への想い

妻として夫・慎太郎さんを長年支え続けた母・典子さん。4兄弟から見た母の素顔も解き明かす。

「関東六浦三大美人」と呼ばれていたほどの典子さんの若き日の美貌にスタジオが驚愕。

しかし、その華やかなイメージとは裏腹に、家庭での日々は、慎太郎さんをはじめとする家族への献身そのものだった。

深夜まで執筆を続ける夫の眠りを妨げないよう、昼過ぎまで音一つ立てず、夫の体調に合わせてご飯、パン、そばの3種類の朝食を用意する毎日。

また、慎太郎さんが政界に進出すると、典子さんもその活動をサポートするようになり、良純は「もう少し一緒にいたかった」、宏高も「運動会くらいしか、母のお弁当を食べたことがない」と、典子さんが忙しく過ごしていた日々を振り返る。

そんな典子さんが胸に秘めた想いを綴っていたのが趣味の俳句で、20年間で1500句もの句を詠んだ。

そのほとんどが、身の回りに起きた出来事を詠んだ句で、なかには慎太郎さんを想った句も。

さらに、体調を崩して施設で過ごしていた典子さんが良純にだけ漏らした「(慎太郎さんは)結婚してから機嫌が良かったことなんてない」という一言。

長年連れ添った夫へ、妻として胸の奥に秘め続けた想いが語られる。

また、夫・慎太郎さんの死からわずか35日後、良純が用意した大好物のプリンをすべて食べた翌日、後を追うように息を引き取った典子さん。

「夫を守るために生きた人」――公私ともに寄り添い続けた母の最期に、4兄弟が感じたこととは。

テレビ初公開となる貴重な家族映像とともに、激動の時代を駆け抜けた石原家の波乱万丈な物語から“家族とは何か”を問いかける。

※番組情報:『プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見
石原4兄弟大集合 今明かされる石原家の真実 3時間SP
2025年9月23日(火)よる7:00~9:54、テレビ朝日系24局(※一部地域を除く)

※『プラチナファミリー 華麗なる一家をのぞき見』は、TVerにて無料配信!(期間限定)

※動画配信プラットフォーム「TELASA(テラサ)」では過去回を配信中!