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「終着駅」は“最後の仕事”。名匠・池広一夫、監督人生の出発点を振り返る

6月24日(日)に『森村誠一ミステリースペシャル ガラスの密室』が放送される。

森村誠一氏の原作に、牛尾刑事が登場して30年――。長く支持されてきた「終着駅シリーズ」で、第1作からメガホンを取ってきたのが、88歳の池広一夫監督だ。

今なお熱狂的なファンを持つ映画スター・市川雷蔵主演の『眠狂四郎シリーズ』や昭和の“怪優”勝新太郎主演の『座頭市シリーズ』などで監督を務めた、大映時代劇の黄金時代を代表する日本映画界の重鎮。そんな池広監督がシリーズへの思いを語った。

©テレビ朝日

◆巨匠・市川崑、大スター・市川雷蔵らに支えられた映画時代

1929年、東京都出身の池広監督。映画界に入ったのは、映画会社“大映”の重役を務める父を持ち、撮影所のすぐそばで育ったからだと、監督人生の出発点を振り返る

「家が撮影所に近かったものですから、よく監督連中が集まって闇の“どぶろく”を飲んでいたんです(笑)。僕は大学時代から映画研究会にいたので、学生の時分からシナリオを書いて監督たちに見てもらっていましたね。

ところが、父は僕が映画監督になるのは大反対。反対されているうちに各社が募集を締め切ってしまい、あきらめていたところ、“大映京都”が臨時で助監督を募集したんです。最後のチャンスだから受けさせてくれと父に頼みこんで、応募したらなんとか通った。そのなれの果てが、今の自分です(笑)」

――助監督として溝口健二、市川崑、森一生ら多数の先輩に師事し、1960年に『薔薇大名』で監督デビューしかし2作目の『天下あやつり組』が大映の社長ら有名人を風刺した作品だったことから上層部の怒りを買い、助監督に降格窮地に陥った池広監督を救ったのは、時の大スター・市川雷蔵だった

「社長には『こんな不愉快な映画、見たことがない』とボロクソに言われてね、悔しくて悲しくて、もう会社も辞めようと思っていたのですが、森一生監督が遊軍として使ってくれて、たまたま『大菩薩峠』という作品の“B班”(※メインの撮影チームを補完するために構成された別班)として那智の滝を撮りに行ったんです。パンツ一丁になって滝壺の下まで入れてもらって、ハイスピードカメラで撮りました。ハイスピードは今ではよく使われますが、当時は斬新だったんですね。そのラッシュを見ていた市川雷蔵が、「こんな滝の撮り方は見たことがない」と驚いてね…。

“雷ちゃん”とは市川崑さん監督の『炎上』(1958年)に助監督でついていた頃から仲はよかったのですが、ラッシュから1週間後ぐらいだったかな、雷ちゃんが僕の家に来て『池ちゃん、次回作の監督をやってくれ』というんです。社長は激怒したままだし、『役者に言われて撮るのは嫌だ』と断ったら、『僕は今、ものが言える立場にいる。今は僕を利用してくれたらいいじゃないか。池ちゃんがえらくなったら今度は僕が池ちゃんを利用させてもらうから』と…」

――雷蔵さん直々の指名により、『沓掛時次郎』(1961年)を監督それが新たな股旅映画として評価され、再び映画監督としての人生を歩みはじめることに…

「人生、何がどうなるかわかりませんね。よく“棚からぼた餅”といいますが、でもたとえ、ぼた餅が落ちてきても棚の下にいないと取ることはできないですからね。当時はいちおう頑張って、棚の下にいたんだなと、今ではそう思っています(笑)。

その後、雷ちゃんの主演シリーズで打ち切り寸前だった『眠狂四郎』の第4作『眠狂四郎 女妖剣』を1964年に撮ったのですが、これが大ヒット。『狂四郎がこれで生き延びた!』とホッとしたし、雷ちゃんに恩返しができたなと思えてうれしかったですね」

◆映画からテレビの世界へ。「終着駅シリーズ」との出会い

©テレビ朝日

――しかし、雷蔵さんは37歳の若さで他界やがて大映も倒産し、池広監督もテレビの世界に新たな活路を見出していくそんななかで出会ったのが、「終着駅シリーズ」だった

「1990年、当時新進気鋭だった佐藤凉一プロデューサーが見つけてきたのが、森村誠一さんの『終列車』という原作。さまざまなものを背負った人が新宿から終列車に乗って東京を逃れ、新たな人生を見つけていくというのがテーマで、あまり牛尾刑事が目立つ作品ではありませんでした。

次の『終着駅』は、逆に地方から都会に出てくる若い人たちを描いた作品で、“終着駅は新しい人生の始発駅でもある”というのがテーマ。森村さんいわく、新宿は“吹き溜まりの街”で、孤独も哀愁もあって犯罪も起きやすい。ふとしたことから犯罪に手を染めてしまった若者に、牛尾刑事が温情をもって接するんです。当時は『太陽にほえろ!』が流行っていたけど、僕はもっとジト~ッと湿った刑事ドラマを作りたいと考えていたのですが、これがなんと23%ぐらいの高視聴率!“凉ちゃん”が『これを続けよう!』『以後、“終着駅シリーズ”と名づけよう』と言い出し、それが今も続いているわけです」

――5作目からは、片岡鶴太郎さんを主役に抜擢して再スタートしました

「4作目までは露口茂さんでしたが、さまざまな事情があって主演を交代することになり、そのとき自薦他薦含めて4人の候補が上がりました。僕はそのなかで、鶴太郎さんとやりたいと言ったんです。ほかの3人は当時有名なスターだったから、“鶴さん”だったら新しい味が出るんじゃないかと思ってね。

鶴さんは当時とても忙しくて、半年間は待たなくちゃいけなかったんだけど、会ってみたら非常にマジメな方でね、ただ、あの頃はボクシングをやっていたから目が鋭くて…。それを牛尾らしく穏かなまなざしに変えてもらうのと、鶴さんのお笑いの陰にあるペーソスみたいなものを引き出すのに最初は苦労しましたね。でも鶴さんはよくわかってくれて、本当に一生懸命やってくれました」

――そんな「終着駅シリーズ」に込めているのは、“若者”へのやさしいまなざしだと、池広監督は語る

「このシリーズは、将来のある若者に対する思いやりを込めて撮っています。新宿という街では、孤独な若者が挫折の果てに犯罪に走ってしまうこともある。排他的になりがちな都会の中で、牛尾は人の心に寄り添う刑事として存在します。僕は、牛尾には大声出して怒鳴りつけたりなんて、一切させたことがない。彼の持っている温かいまなざし、そしてこの人になら話せると相手が思えるような安心感を大事にしている。そして最終的には、犯人を挙げた牛尾の哀愁を描くようにしています。

また、最新作の『ガラスの密室』では昨今、スマホばかり見て若者がうつむきがちになったことを踏まえ、前を向いて歩くことこそ未来を拓くことに繋がるのではないか、という思いを加えています」

◆オファーがある限り、撮り続けたい

©テレビ朝日

――最新作『ガラスの密室』の放送を前に、視聴者の皆さんへのメッセージをお願いします

「見終わって、何かを考えてくださればいいなと思っています。最近はCGを使ったり、すごい編集の仕方をしたりする映像作品が多くて、それに慣れた方々から見たら、この『終着駅シリーズ』は“かったるい”かもしれません。でも少々かったるくても見終わったときに『なるほどな』と思ってくださればうれしい。常にそういう説得力を作品に潜在させているつもりです」

――現在88歳! おそらく現役監督として最高齢だと思いますが、健康の秘訣は

「目的を持って生活するということかな。やれる限りは仕事をしたいし、そのために健康を保たなければ、という思いから毎朝、歩いています。幸いにして、『終着駅シリーズ』を年に2本撮る、という目安があると気持ちのハリができるんですね。

この『終着駅』は、ライフワークというか、僕の“最後の仕事”だと思っています。このシリーズが続いて、なおかつオファーがある限りはやりたい。このシリーズがあるからこそ僕も現役でいられるわけで、続けてこられたのは鶴さんが主演してくれたからこそ。鶴さんが主演で、本当によかった…!

そう考えると、雷ちゃんも、市川崑さんも、鶴さんも、テレビ朝日の人たちも…人との出会いが僕の人生を変えてきましたね。今、振り返って僕の人生はラッキーのかたまりだったなと思います」

※プロフィール:池広一夫(いけひろ・かずお)
1929年、東京都生まれ。1950年、大映京都撮影所に入社。監督第1作は『薔薇大名』(1960年)で以降、映画41作を監督。「土曜ワイド劇場」でも100を超える作品を手掛けている。代表作は『座頭市シリーズ』(64~66年)、『無宿人御子神の丈吉三部作』(72~73年)など。

※番組情報:日曜プライム『森村誠一ミステリースペシャル ガラスの密室』
2018年6月24日(日)午後9:00~午後11:05、テレビ朝日系24局

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