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「彼こそカピタン」トヨタに初勝利もたらした中嶋一貴とアロンソの関係【ル・マン24時間】

第86回「ル・マン24時間レース」が終了した。結果は、すでに多くの報道にあるように、日本のトヨタが1985年の初参戦以来20回目の挑戦で初勝利を獲得した。

日本車の優勝は1991年にマツダが実現、日本人ドライバーによる優勝は1995年に関谷正徳が実現(その後、2004年に荒聖治が優勝)しているが、日本車による日本チーム、そして日本人ドライバーが乗った優勝というのは初の快挙だ。

©TOYOTA GAZOO Racing

ちなみに、今回ポールポジションを獲得し優勝ドライバーとしてチェッカーも受けた中嶋一貴は、元F1ドライバーであり、その父親も元F1ドライバーの中嶋悟。じつは、中嶋悟がル・マンに挑戦したのが1985年の初参戦した際のトヨタのマシンだった。

今回の優勝について、テレビ朝日のインビューを受けた中嶋悟氏はこうコメントしている。

「われわれの頃は前も後ろも分からない状況で挑戦したけど、今は勝ちに行く挑戦をしている。一貴が生まれた年にル・マンに挑戦し、その一貴が今回優勝した。長い時間がかかったけれど、やっと優勝できた。勝てそうで勝てない状況が続いたけれど、優勝できて本当に良かった」

30年以上かかった勝利までの長い道のりをしみじみと感じさせる。

 

◆中嶋一貴「ほっとしたのが一番」

©TOYOTA GAZOO Racing

中嶋悟は、まだF1ドライバーになる前(※1987年からF1に参戦)、1985年にル・マンに初挑戦している。その年の1月11日、長男である中嶋一貴が誕生した。

その中嶋一貴は、父親のルートであるホンダには進まず、当時関谷正徳が担当していたトヨタの若手育成プログラム(TDP)に参加。そこで成長し、トヨタからF1ドライバーとして世界最高峰に挑戦した。

後に国内レースに戻ると、同時にトヨタのエースドライバーとして2012年から復活したトヨタのル・マンプロジェクトに参加。7年目にして初の栄冠を手にした。それだけに、本人のレース後のインタビューは、その重みを感じさせるものがあった。

─―ついに優勝しました。

「ほっとしたのが一番です。ほっとしました。レースも長いですし、ここまでも長かったので。僕らもそうですけど、トヨタのル・マンのプロジェクトとして30年以上挑戦してきているので、それに本当にたくさんの人たちが関わっていますし、本当にたくさんの人たちの目標をやっとこういう形で、ワンツーという最高の形で達成することができたので」

─―あらためて、ル・マンとは?

「いやー、しんどいですよね。しんどいレースです。でも、ひとつやっぱり勝てたっていこうとで、だいぶ肩に背負っていたものが軽くはなるのかなと思うので、次回のレースからはもっと楽しめるのかなと思います」

初優勝ということもあり、もっと弾けているものかと思いきや、出てきた言葉は「ほっとした」。中嶋一貴にとっては長年蓄積されてきたプレッシャーであり、自分が勝ってこそ父や恩師・関谷正徳らこれまでの人々へのひとつの恩返しになると感じていたのかもしれない。

©TOYOTA GAZOO Racing

しかし、そんな中嶋一貴の思いとは別に、チームは初優勝を大いに喜んだ。

なかでも、現役のF1ドライバーであり、2度のワールドチャンピオン獲得経験があるフェルナンド・アロンソは、今年トヨタに参加し、初挑戦のル・マンで大活躍。

現地の新聞では、「黒猫(不運)に悩まされていたトヨタに、白猫(幸運)がやってきた」とニュースになり、フェルナンド・アロンソは自身が目指す世界三大レース(F1モナコGP、ル・マン24時間レース、インディ500)制覇という目標にリーチをかけた。

アロンソが白猫かどうかはわからないが、トヨタにとって大きな助けとなったのは事実のようだ。

アロンソはトヨタに参加すると、チームスタッフたちと常に行動を共にし、食事などもスタッフと一緒に取った。自分だけが別行動をするようなことはなく、常にチームを優先させてきた。

その結果、アロンソの参加はチームにとっても副次的な効果をもたらした。というのも、メディアの注目はすべてアロンソに集まる。それこそ一挙手一投足が追いかけられる状態にあった。そうすると、他のトヨタドライバーやスタッフには大きな注目が集まらず、彼らは余計なプレッシャーなどを感じることなく、いつもどおりの仕事ができた。苦労させられたのは、広報スタッフくらいのものだ。

しかもアロンソは、自らチームの一員であることを積極的にアピール。優勝したあと、チームガレージの奥で行われていた最初の祝勝会。スタッフにビールを掛けられるのを楽しみ、スタッフの誰とも気軽に記念撮影を行い、遅れて登場してきた中嶋一貴をセバスチャン・ブエミと共に肩車してスタッフたちと祝った。

さらには、テレビ朝日のカメラに向かって、中嶋一貴を指差し、「カピタン!わかるか、彼こそカピタンだ!」と日本のファンにアピールした。“カピタン”とは、スペイン語でキャプテンの意味。現役のF1ワールドチャンピオン経験者が、このチームのキャプテンは中嶋一貴だと持ち上げた。それを自然とやるほどに、アロンソはチームの一員として溶け込んでいた。これもまた、トヨタが今回勝てた要因のひとつなのかもしれない。

ちなみに、カピタンと呼ばれた中嶋一貴本人にそのことを聞くと、「だいぶ担がれてますけどね(笑)。でも、なんだかんだ、フェルナンドにはだいぶ助けられました」と、アロンソの加入が良い刺激であったことを語った。

 

◆アロンソが引き出した“最後のピース”

©TOYOTA GAZOO Racing

事実、アロンソは刺激をもたらした。

トヨタの8号車は、土曜日の日が落ちたあと、ドライバーのセバスチャン・ブエミが安全確保のため制限速度を守る必要がある“黄旗のスピードゾーン”と呼ばれる区間で速度違反をしてしまった。

これにより8号車には1分間のピットストップペナルティが課せられ、この結果(同じくトヨタの)7号車に対して最大で2分以上もの差が開いてしまった。これで勝負あったと思われたが、諦めなかったのがアロンソだった。

初めてのル・マン、初めての夜間走行にも関わらず、アロンソは7号車よりも速いラップタイムを刻んでいった。このアロンソの気迫、勝負にかける思いが中嶋一貴にも伝わった。

じつは最初のドライバー担当だった中嶋は、夕方から夜間にかけての約3時間、なかなか思い通りに走れないストレスで走行後のインタビューもメディアを手で制し、ホスピタリティルームへと移動してしまっていた。

しかし、2度目の走行後はしっかりとインタビューを受けた。アロンソのプロとしての仕事ぶりはチームに大いに影響を与え、アロンソもまた、トップチームで戦うドライバーとしての気持ちを取り戻していた。まさに“ウィン・ウィン”の関係だ

レースというのは、何かひとつが欠けても勝利は得られない。そして、すべてが揃っているのは当たり前で、その上でさらなる積み上げが必要だ。今回のトヨタは、フェルナンド・アロンソという存在がその積み上げのひとつになったと言える。

もともと、チャンピオンとして戦える力はあった。しかし、勝てなかった。そのための最後のピースが、アロンソというアイコンによって引き出されたといえる。アロンソもまた、トヨタでの時間でドライバーとしての本来のポテンシャルが引き出された。

©TOYOTA GAZOO Racing

トヨタ8号車は、これでWECシーズン2連勝。来年のル・マンが最終戦であり、シーズンはまだまだ長い。これからもさらなる活躍が期待できそうだ。<文/モータージャーナリスト・田口浩次>