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石丸謙二郎、『世界の車窓から』のナレーションは「申し訳ないような格好で」

©テレビ朝日

テレビ朝日で1987年6月から続いているミニ紀行番組「世界の車窓から」は、今年で32年目。石丸さんはスタート時からこの番組のナレーションを1回も休むことなく続けている。釣り、フリークライミング、ウィンドサーフィン、登山、スキー、洞窟探検…自然の中で遊びながら鍛えたからだが武器。盛り上がった上腕二頭筋がまぶしい。

常念岳

◆『世界の車窓から』は唯一リラックスできる仕事場

-『世界の車窓から』は32年目になりますね-
「そうですね。つかこうへいさんの劇団で芝居をやっていたときには、頭のてっぺんから出るような声だったし、しゃべりもそんなに得意なほうじゃなかったから、仲間の風間杜夫さんや平田(満)くんには『石丸はしゃべるという職業はやめたほうが良い。動くのは得意だろうから良いけど』って言われてたんですよね。

だから、いまだに飲み会などで会ったりすると、風間さんに『本当にお前がやっているのか?』って言われたりしますよ(笑)」

-『世界の車窓から』のナレーションをと言われたときは?-
「あの頃は、若山弦蔵さん、矢島正明さん、野沢那智さんのように耳に優しいと言ったら良いのかな?そういう方が全盛時代だったんだね。

僕の声というのは不安定で弦楽器のような音だから、そういう声はあまり望まれなかったんです。時代もあるんでしょうけど。

それまでは30分番組のナレーションをやったことがあったんですけど、それをたまたまプロデューサーの方が聞いて下さったみたいで、番組を始めるときに『うまいのか下手なのかよくわからないけど、何か明るそうで良いんじゃない?』って」

-最初から石丸さんでということだったんですね-
「そうです。それで、若者だと思って声をかけてくれたんですけど、実は33歳。

『若くはないけど、まあ良いか』って(笑)。今聞いても、中学生みたいな声でね。それはそれで面白いんですよ(笑)。

いまだにうまいと思ったことはないし、時々『ナレーションってどうしたら良いんでしょうか?』って若手の人に質問されるんだけど、答はないからね。答えようがないんです。

アナウンサーだったら、『こうしなさい、ああしなさい』ってあるでしょう?

発声練習しなさいということでもないし、本当に答がないんだけど、そうすると何か意地悪をしているみたいじゃない?若手は何か教えてほしいのに。

だから、『あえて言うとすれば、あなたのオリジナリティーしかないんじゃないかな』って言ってますけどね。

でも、なぜ、僕がしゃべるという仕事をしているのか、自分でもいまだに不思議ですよ(笑)」

-最初に『世界の車窓から』のナレーションを収録したときのことはおぼえていますか?-
「おぼえています。そのときだけ初めてテストをやったんです。技術の音響さんもいるので『1回だけテストをやりましょう』って。

当時、ナレーションというのは、何回もテストをやって本番にいくシステムだったんです。それを1回だけテストをやって、それで何にも言われなかった。『こうしなさい、ああしなさい』とは。それで本番。それから32年目になりますが、何ひとつ言われたことがない。全部おまかせなんです。台本はありますけどね」

-石丸さんが映像を見て感じたままにということですか-
「そうです。テレビ画面は列車の窓に似てるじゃないですか。だから良いんですよ。僕も列車は好きですからね。とてもリラックスして、それこそ頬杖をついてやっている感じです。

よくナレーションのときには背筋を伸ばしてうつむかずにとか言うけど、見たら申し訳ないような格好でやってるんですよ(笑)。列車の窓からのぞいている感じでね」

-そのリラックスした旅人の雰囲気が見ている側にも伝わってきて心地良いのでしょうね-
「それに、何も言われないということがね。

それまで役者というのは相当しかられる時代がありましたからね。

つかさんには100万回くらいしかられてましたし、ほかの映画もドラマも役者は怒られるものだみたいな感じでしたから。

今はあまり怒られる時代じゃないけど、昔は本当に演出家は怒鳴っていました。

『バカ野郎』って。それがないから、僕にとってはリラックスできる唯一の場所で、仕事に行っている感覚がない。『きょうは車窓だ。楽しいなあ』って感じ(笑)」

霊仙山

◆天性の「危機回避能力」で大都会をサバイバル?

子どもの頃から自然の中でさまざまな冒険にチャレンジしてきた石丸さん。あえてちょっとだけ危険の中に身を置いてきたことで神経が研ぎ澄まされ、危機回避能力や危機察知能力が高まったという。

-新たなチャレンジを色々されていますね-
「僕は基本からやるということをしないんですよ。応用から入る。だから、ちょっと遠回りになるかもしれないけれど、そのほうが面白いし、長続きできる。

たとえば、岩礁地帯を時々走ったりするんだけど、本当は前もって調べないと危ないんですよ。コケたら大ケガするようなところを、それを初見で走る。そうするとね、ものすごく感覚が研ぎ澄まされるんですよ。

一応、防具は肘と膝くらいは付けるんだけど、走る前に5分間くらいジーッと見ていて、『ヨーイ、ドン!』ってかかるとワーッと行く。

その面白さというのは、昔小学校のとき、目の前を川が流れていて、1kmぐらい上流の橋を渡って学校に行くことになっていたけど、それはものすごく時間がかかるんですよ。

ところが、まっすぐ川を渡れば、1分で行ける。

川に石がゴロゴロゴロゴロしていて、それを走って行って、ピョンピョンピョピョンピョンって飛んで行くんです。途中で1回止まっちゃうと、もう次は遠いから飛べない。それをランドセルを背負って、ぬれている石は滑るとか、この石は動かないというのを瞬間的に、何となく走る前にわかっていて、一度も落ちたことがなかったんですよ」

-全部カンがあたって?-
「カンで。でも、それは大した危険じゃない。落ちてもランドセルがぬれるだけでしょう?それで怒られるだけだから、まだ危険じゃなかった。

危険なのは、山の中でターザンごっこをやっているときに、『このツタは切れないかなぁ』とか、『この枝は折れないかなぁ』とか、そういうこと。

でも、そのうち『この枝は大丈夫だな』って、だんだん木の植生とかわかるようになるんですよ。それこそ10メートルぐらい上まで木に登る。木のてっぺんで身体をしばらく揺らして、隣の木に近づいたときにピョンと飛び移る。そしてそのまま横移動してたねぇ」

-本当にターザンみたいですね-
「そう(笑)。ツタは切れないんだなあって(笑)。でも切れちゃうツタもあって、それでおぼえるわけですよ。これはダメなんだ、このツタはダメだってね。そういう危機管理能力というのかな、危険回避能力は、小さいときからもあるけど、大きくなってからも何となく察知能力はありますね。今も、僕は交差点で立っている場所が違うんですよ、一般の人と。

僕は車をあまり信用してないから、たとえ突っ込んでこられてもとりあえず大丈夫な位置に立つ癖がついている。1本電柱があるとか、ガードレールがあるとか、障害物がある位置。あるいは町の中を歩くときでも、ビル群のどこを歩くかとかね。

確率の問題だけれども人や物が落ちて来たときに、どこを歩いていたら巻き込まれないか考えて歩いていたり、車を運転しているときも無意識のうちにアクシデントに備える癖がついてるんです」

©テレビ朝日

◆引っ越しは21回以上!?高校時代の自室は100畳

愛車のトヨタハイエースを″ペンくる″(ペンションくるま)と呼び、中で寝泊まりできるようにして、スキューバーダイビング、クライミング、登山道具、ウィンドサーフィンなどの装具をすべて積み、自転車を後ろにくっ付けているという石丸さん。自宅で連続して寝る時間はほとんどないという。

-愛車がフル装備ですね-
「どこでも眠れるようにね。放浪癖じゃないんだけど、父親の関係で引っ越しが多かったんですよ。大分県だけで21カ所くらい住んでましたから、家でじっとしているのがあまり好きじゃない。どこかに泊まりにいくのが大好き。友だちの家でも良いし、どこにも行けないときには家の中で、リビングで寝たり、寝室で寝たり、玄関で寝たり…あちこちで寝る。そのほうが安心して眠れるんだよね(笑)」

-高校時代のご自分のお部屋は100畳もあったそうですね-
「そうそう。そんな家もありました(笑)。父親が銀行員だったので、人が住めないような大きな家・屋敷を社宅にしてしまう。誰も住まないと家が傷むのでね。

ついこの間、大分県の杵築市にある僕が昔住んでいた家が映画のロケ場所になってましてね。時代劇の武家屋敷だったんですよ。そこにスタッフがロケハンに行ったら、今は拝観料300円で見せているんですけど、『こちらに俳優の石丸謙二郎さんがお住まいだったらしいですよ』って言われたから僕がキャスティングされたみたい(笑)」

-それだけ大きな家に住むという経験はなかなかないですよね-
「大きかったですよ。昔、別府で住んだ家は、伊藤博文が泊まった江戸時代からある旅館みたいなところだったんですよ。あまりに広いからというので、3家族が同居していたんだけど、ほかの家族に1ヵ月に1回くらいしか会いませんでしたからね。

それこそ僕の部屋から玄関に行く距離よりも、玄関からバス停までのほうが近いんですよ。だから遅刻の原因が玄関まで行きつく時間を見誤ったとかね、そういうバカなことがありました(笑)」

-それだけ広いと家の中で迷子になりそう-
「武家屋敷そのものがまだ残っているというのは、そうそうあることではないし、部屋の中には本物の刀ややりもあってね。

外国の人がカメラを持って入って来て、『写真いいですか?』って聞くと、父親が着物を着て出て、本物のやりで『エイヤーッ』ってポーズをとったりしていました(笑)。『プリーズ、写真』ってね(笑)」

-サービス精神があったんですね。ご覧になっていていかがでした?-
「人生を楽しもうとしている父親なんだなっていうのはよくわかりました。『戦争で苦しんだ分、あとは俺はもう好きにやってやるんだ』っていう、あの楽しみ方というのは、今の僕に若干つながっていると思いますね。人に迷惑をかけず、仕事をきちんとやっているのであれば、もう目いっぱい時間を楽しむというね」

©テレビ朝日

◆60歳過ぎてスキーに挑戦、健康づくりの秘密は?

37歳のときウィンドサーフィンを始め、47歳のときにはフリークライミングの大会にも出場。登山も50歳ぐらいになって復活させ、スキーを始めたのは60歳からだという64歳石丸さんの健康の秘密とは?

-芸能界もいろんな方がいらっしゃいますけど、石丸さんのように色々やっている方はいないのでは?-
「確かにいないね。基本的に僕は、自分のことをあまり信用してないんです。

何を始めるかわからない。興味がどこに向くか本当にわからない。だから未来を空けているんだね。

何も決めずに自由に空けておくと、いつの間にか僕の心の中にスッと向こうから入って来てくれる」

-スキーもですか?-
「そう。冬山登山でスノーシューで歩いているときに、『登りは良いんだけど、下りをもっと簡単に降りられないないかな』って話したら、一緒に行っていた友だちが『スキーで降りれば良いじゃん』って言ったのがきっかけ。その友だちが教えてくれるって言うから、その日のうちに行ったんですよ、一緒に(笑)。

それでスキー用具をレンタルして、そのあと2日間やって、それからは休みのたびに毎週行くようにして。そしたら2年目には上級者コースから滑り降りるようになった。つまり、いつ何に目がいくかわからない(笑)」

-石丸さんが色々なことをやっているのを見て始める方もいるでしょうね-
「それが今、良いほうにいっているみたいで、『石丸さんがウィンドサーフィンをやっているのをテレビで見たので、僕も始めるようになったんです』とか、4月から登山のラジオ番組を始めたので、『私も山に登ろうかな』とか言うのを聞くとね。みんなの励みになったり、楽しみあえるきっかけになる手助けができているのだとすればうれしいですね」

-健康のために一番気をつけていることは?-
「食事ですね。食べ物。僕はお酒も飲むんだけど、基本的に太る体質だから、食事に関しては気をつけていますよ。よく朝食30品目とかっていうけど、それは軽く超えている」

-そんなに?-
「うん、朝からね。だいたい医者が言う良いものを結果的には食べている。よく言うじゃないですか。コラーゲンだとかDHAだとか青魚が良いとか…。気づくとそういうものを食べている。それももう30年ぐらい食べ続けていますね。

僕のからだに対する基本的な考え方は、食事と運動もそうなんだけど、今食べている食事がいつ役にたつかは、20年後だと思ってるんです。すぐ役に立つわけじゃない。

今、運動しながら食べているものは20年後に役に立つんですよ、食事がね。

それをずっとサイクルでやってきているから、今、64歳の僕は44歳のときにちゃんと暴飲暴食をしないで、暴飲暴食をすることもあるんだけど、基本的に朝からしっかり食べて、夜は少なめにする。1日のうちにすきっ腹の時間を作るとかね。間食はしない。おやつを食べない。甘いものも大好きなんだけど、ご褒美の日にしか食べない。アスリート的な食事なわけですよ」

50歳を過ぎてからからだのことがわかるようになった面白さがあるという石丸さん。自分のからだを熟知し、さまざまなスポーツにチャレンジを続ける生き方がカッコいい。(津島令子)

 

常念岳

 

※『石丸謙二郎の山カフェ』(NHKラジオ第1)
毎週土曜日 午前9:05~9:55放送

※『警視庁ゼロ係~生活安全課なんでも相談室~THIRD SEASON』(テレビ東京)
7月20日(金)より金曜8時~放送

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