「長野の呪い」から20年…葛西紀明、冬季五輪最多8度の出場へ
今週に入って、やっと五輪ムードが高まってきた。平昌五輪の開会式が9日に迫り、旗手を務めるジャンプ男子代表の葛西紀明(45)も5日、韓国入りした。8日に行われるノーマルヒル(NH)予選を飛べば、8大会連続の冬季五輪出場。最多7度で並んでいたリュージュ男子のアリベルト・デムチェンコ(ロシア)が国家ぐるみのドーピング問題で出場しないので、単独記録を達成する。
五輪史に名前を刻む「レジェンド」は、今回も「もちろん目標は金メダル」と威勢よく宣言した。主将を務めた4年前のソチ五輪では、ラージヒル(LH)で個人種目初の銀メダル、団体戦でも銅メダルを獲得したが、まだ表彰台の真ん中には立てていない。
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「平成」とともに、ジャンプ人生を歩んできた。年号改正の1989年シーズンに高校2年生でW杯初出場。五輪は、夏冬同年開催の最後になった1992年アルベールビル大会が初めて。2年後のリレハンメル大会では、団体戦でほぼ金を手中にしながら、原田雅彦の失敗ジャンプで銀メダルに終わった。
その雪辱に燃えて迎えた母国開催の1998年長野五輪。葛西は、団体戦の4人から外された。前年末に痛めた左足首の影響でNHは7位(入賞)だったが、まさか主力の自分がメンバー落ちするとは、想像すらしていなかった。2月17日、会場の白馬ジャンプ競技場で日本チームへの大声援のなか、悔しさのあまり仲間に「落ちろ」「飛ぶな」と叫んでいたと言う。2本目に日本が逆転で金メダルを獲得した瞬間は、見ていない。既に会場を離れ、宿舎で悔し涙を流していた。「長野の歓喜」は、葛西にとって屈辱物語だった。
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「このままでは終われない」。屈辱をバネに、W杯では優勝を重ねる。それでも五輪、世界選手権では金メダルに縁がなく「勝負弱い」とまで言われた(1992年フライング世界選手権では金メダル)。だからソチ五輪で個人戦の銀メダルを手にして、レジェンドと呼ばれるようになっても、葛西のリベンジは終わっていない。今でも白馬のジャンプ台を訪れると「当時の悔しさがよみがえってくる」と素直に話している。
“長野の呪い”から20年。平成30年の節目に巡ってきた五輪の舞台に、金メダルの悲願を目指す。今季のW杯ではトップ10入りが1度だけと振るわなくても、先月のバート・ミッテンドルフ大会で行われたフライングヒルで今季最高の5位に入り、全日本選手権でもLHで優勝。勝負どころの大ジャンプ、手のひらで空中のバランスを取るムササビ・ジャンプは健在だ。
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来年4月30日に天皇陛下が退位され、翌5月1日に皇太子さまの即位と新年号が施行される。平成最後の五輪、そして白馬によく似た平昌のジャンプ台で、葛西は悲願の金メダルに挑む。現役生活は、大リーガーのイチロー(44)と同じく「体が持つ限り50歳までやりたい」と表明。となれば、2022年の北京五輪も視野に入っている。